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2016年9月12日

『地獄の季節(ランボー)』



わかることだけしかわからないわたしがいくらわからないことを考えても結局たどりつくのはわかることだけである。なぜなら今わたしはこのことをわかっているから。
 わかりえないということがわたしにはいまだにわかっていないから、こういうことを考えてしまう私自身がわからないものの正体である。私自身をわかったということは、わかろうとする限りわからない。わかったときはわからないものとなってしまうのだから。
 時間や空間の残酷さを生じさせているのは私自身である。
 眠っているとき、私自身が目覚めている時がある。そのとき、私は求めている者が幻影であることを知っていた。私の解釈を通らずに入り込んでくる彼の言葉は、目覚めた時には消えていた。私自身がいなかったからこそ、彼自身も幻であることは間違いがない。その時、わたしは全てをわかっていたから。それが記憶の正体である。時間や空間なしにはあり得ない。時空を超えた理解されるべきものの正体はわたしが考えるこの先には無かった。わたしはわからないことをめざすべきだ。時空の上に安住しながら苦悩することなど、理解可能な屑しか残さないのだから。
 わたしは起きながら眠っていたのである。言葉の山はわかる時空から生まれたのではなく、わからないそこから、いまだに生まれてはいなかった。わたしはわたしという記号にすぎなかった。それがわかれば、時空を生みだしたのもうなずける。わたしも時空も、まだ言葉にはなっていなかった。言葉は理解を促す道具ではなく、促された私自身を問うための唯一無二の本体であった。どこからどこへと問う幻の私自身が、あたかも自分が主語であるかのようにいるけれども、そんなものはただの幻である。私は私自身をわからないままであるのだから。わからないことそのものが主語としての私自身を要求していたのである。わたしとは他者であり、眠りを必要とする幻影そのものである。
         

2015年2月4日

勉強会2日目。

 聲があって言葉があって、文字があって活字がある。大いなるの大の文字は大小の大ではなく、maha、思議(思考)の対象にならないものをかろうじて記録してある。表現とすると理解の範囲内のような錯覚を覚える。回向というのはそのように思考の対象にならないところからやってくる響きのようなものである。
 理解の上手な脳を持って生まれた人がいるという嫉妬がものすごい。したがって、いつもそのような人であると決めつけた人に対して、問答をいどむような気がしていたが、じつは痴話げんかのようなものであった。
 考えてみれば、もしも、そのように明晰な頭脳をもってなんでもわかる人がいたとしたら、そのようになんにもわからない人がいたとしたら、恵まれているのは、あらかじめ絶望的にできない人の方ではないかと思う。
 しかし私はそのどちらからも中途半端な脳を持っている。平均的な脳のくせに、聲を声とすりかえてのうのうと、言葉を紡ごうとしていたのであった。

 …、となぜ自信を持って言えてるのだろうか。なぜ、自分はだめな人間ですと自信満々なのだろうか。自信をもって大いなるものと言えているのは錯覚ですよねと尋ねる人は不安でたまらないところから言葉を発しているから結果的に他者としての大いなるものに触れている。しかし、よくある間違いである私は、自信満々に理解できないのですよねと尋ねる。まったく根拠のない自信から言葉を発しているから、結果的に大いなるものは小さくないという意味の大でしかないのだ。

2015年2月3日

勉強会1日目でした。

浄土真宗の佐野さんを招いて勉強会がありました。今回は歎異抄ほかのテキストはまったく使用せず、佐野さんのオリジナルなお話でした。

Izh-du=汝

izh-es=それ(物)    一般的意識の構造的問題

身土不二

迷 罪 機 法

instinkt


trieb

drive

ノートに書いたのはこれだけで、あとは静かに話す佐野さんの言葉が流れていました。秩序だって論理的な言葉だけが聞こえます。常に絶対にわからないのですという結びで終わるから安心して聞いています。言葉尻だけを言葉そのものと思いこんでいる私ですから、言葉そのものを抽象して終わります。わかっている、そんなことと平気で結論付けます。わかっていないということが耐えられないのですね。わかってから自分を始めようとしてきたのですね。これでは無限に言葉だけが続くような気がします。



2015年1月27日

眼球譚。

商店の説明は、お客さん側からなされなければならぬ。商店には無数の商品が並ぶ。商品には名前が必要だが、買われてしまえば、その使用価値以外にはない。買ってもらうために言葉を探しているのだった。新しい言葉、ふさわしい言葉、素敵な言葉、わかりやすい言葉を探す。ところで新しい言葉なんぞあるわけがないのに、どうして、新しいものが発売され続けるのだろう。新しい物ができたからだろうが…。
 バタイユのテキストに挑戦する。バタイユは新しくなかった。わからない言葉が並ぶが、それがバタイユの作法なのに違いない。簡単に理解されるものにろくなものはない。卑猥そのものが並ぶと決して卑猥とは感じないものだ。それでも無理矢理卑猥を感じようとすると精神にとっては致命的である。いまここにわからないものをわからないと思うことによって、はじめて存在できるものがある。それこそが新しいのだ。
 それにしても登場人物が少ないうえに、かれらは物語をつむがないことを宿命づけられている。バタイユによって。読むわたしが出逢うのはテキスト内の虚構ではなく、わからないと叫び続けているバタイユ自身である。わからないを所有できるものがこの世にはいない。
 したがって、バタイユは私であり、私はバタイユなのである。物語に感動して涙するのではなく、わたしたちという、時間と空間を超えた涙がわたしたちという物語を構成しているからだろう。よーくわかるよ。バタイユ。おまえが考えていることがまったくわからないということが。
 
 バタイユの本は使用価値がないのにもかかわらず、売れたらしい。とにかく、商店の説明はむずかしい。ほんとにむずかしい。商品は勝手に飛翔するのに。

2015年1月17日

時禱詩集 リルケ

なんの脈絡も私自身には感じられないのだが、ショップ開設と同時にリルケの詩を読んでいる。志村ふくみさんが書かれた本の中にコピペされているテキストである。志村さんのリルケの熱い思いから説明されてあるが、そのテキストはぜんぜん心に入ってこない。志村さんのせいではないと思うが、詩の中のことばが独り歩きしてわたしの心に届いているという感じがある。だからこそ、志村さんの散文が完璧にリルケのことばを捉えてあればあるほど、志村さんの散文は私にとってじゃまなのである。

 不思議な感覚になる。私が読んでいるという感覚が消え去って、ことば自身が直接私の意識内で響いている。当然、その意識を意識とはもう呼べていない。むこうからやってくるという感じ。私の逡巡とかいろんな感情などなんの防御にもならない。読後の感動もない。そこではわたしがリルケの思いを引き継いで考えている。

詩は詩にすぎないんだね。その発見の喜びと不安が同時にある。お茶を一服すると、たちどころにいい詩だなあと天井を見上げるんだね。天上じゃなくてただの天井。でも天上を見上げるリルケの詩はいつもかならずどこかでだれのところにも届いているんだね。

2015年1月6日

詩経国風 雨月物語 

雨月物語の原文が心地よい。読書という行為は目を起点にしつつも五感を越えた感覚をもたらしてくれるという意味で私自身の意識を越えた世界を文字通り見せてくれる。その証拠に偶然図書館で借りていた詩経の本がするすると読めるような気にさせてくれる。もちろん漢文は中国語そのものの本テキストだからなにを表現したのかは皆目わからないが、詩という形態そのものの呪術性が直接わたしの心に入ってくるような気がしたのでした。そして散文としての白川氏の理解した世界が直接(表現という抽象行為を経ずして)わたしに入ってくるのです。中国、正確を期するならば漢字を使うネイティブを理解せずして、現在使用している日本語のネイティブにはなれないのだという心の奥底からわきあがる問いを共有するのです。
 読書とは共有であって、わたしとあなたの差異を抽象するためにあるのではないのだということがわかる。そして問題そのものがわたしの問いに呼応するかのように文字としてある不思議。
漢文の素養があれば、ものごころのつかないうちに強制的にたたき込まれていたならば作文能力はおろか、日常会話にいたるまで、あるいは心内語にいたるまで滞りなく行われていただろう。もっと言うなら、心の悩みと現在思われている現象が実は言語使用能力の問題であっただろう。
 でもこうなってしまったわたくしにとって小さな政治的意図であったとしても、文句を明治維新政府の役人に言ってもはじまらない。なにより極東アジアのかたすみの小さなわたくしの自閉と逡巡があればこそ、漢字文化の対象化が可能であったのだからとわたくしの心は言う。言語はみたり聞いたり書いたり読んだりしているうちにわたしの心を乗っ取りすらしたけれども、わたくしはわたくしに反乱することなしにわたくしに出会わないということを思わせてくれるものもやはり言語なのだ。言語はそれそのものを無化することによってわたくしをわたくしたらしめてくれる。わたくしがわたくしそのものであるためにはそのような無を耐えられるように訓練することを避けてはならないのだということを教えてくれる。詩とは言語そのものである。時間が経てば記録に過ぎない。そして記録を残すのは人間ではない。詩そのものがわたくしなのであるから。

2014年12月2日

呪術師はふつうのおじさん、おばさんである。

 七尾市のみやざきさんという整体師宅にうかがって2月いらいの左肩脱臼のような状態をなおしにいきました。ふくださんやそばきりじんさんなどから不思議な雰囲気の人だという情報を得ていたので、へんな(わたしにとってはふつうの)緊張がありました。予約時間の1時間前についてしまい、30分前なら礼儀ただしいと思われるだろう、玄関をあけるといかにも治療室であるかのようなドアがありどうぞお入りと書いてあるのをまにうけてはいるとせまい部屋でご婦人の施術をされている背中が見えた。まずいものを見たかのようにあわてて、外で待ってますと言って、駐車場の車の中でラジオを聞きながら一服こいて、眼下に並ぶ全国有名パチンコ店の車を眺めていた。たばこの匂いがするともってのほかかなと心配していた。
 もう一回治療室に入ると、小さな勉強机のいすにすわってぷかぷかとたばこを吸っている先生がいた。あらかじめ準備していた左肩の状態と原因を言った。わかりやすくと思うと、かえってわかりにくくなってしまうのかなと思う。とにかく治りたいと願ったがどうもなにかがぜんぜん足りないような気がした。先生との間に沈黙が結構長かった。何か言おうにも思いつかず、机上の小さな液晶テレビで流れているサスペンス物を見ていた。こういう時に聞こえてくる役者のセリフは、意味深く感じられることが多いのはなぜだろう。
 先生に準備ができたのだろう、そこに横になりなさいと言われ仰向けに寝る。先生にまかせるんだ、力を抜くんだとふんばっていたかもしれない。患部と関係なさそうな両足のすねから施術が始まり、すぐに左肩に来て、触りはじめると先生の少し荒い息が間近に聞こえる。こういう時って息をひそめるのはなぜだろう。除所に激しさがまし、左肩が痛くなる所に来て、いかにも痛くするという気がして、力んでしまう。力を抜けと自分に命令すると先生が力を抜いてと指示してくれる。もうこれ以上すると私の左肩が不具になってしまう直前まで来ているのだろう。この限界を知っているということが施術師のゆえんなんだろうと思う。机上のテレビから「PTA」という音声が聞こえる。もしかしたら、先生はわたしの生活の上でのひっかかりまで私に知らしめているのか…。
 苦しい時は声を出してもいいんだな。呻きにはじまって、痛いとはっきり言う。きっとわたしはわたしの体の限界を感じているのだ。ほんとに気持がいい。仕上げのような感じで、最後は木槌で脊髄を上から順番に叩かれる。おそらく全然違うのだろうけど、ちゃんとした僧院で、坐禅時に板棒でたたかれる時というのも、こうでもしないとこいつの性根はリセットされないだろうという目的がこめられているのだろうと考える。脊髄から脳髄に響く。この限界を越えると、わたしなんぞはいとも簡単に死んでしまうに違いない。よかった、整体で。魂消ないと形状記憶合金よりも、もっとよりよい(理想的な)形に戻ってしまう。
 施術後、一服くゆらす先生と歓談する。先生のとこにはなんかたいへんな状態じゃないと来れないんすか?先生は笑って、そんなことないですよと言う。帰りの車中、やはり気持がいいけれども、行きたいと思う場所じゃねえよなとつぶやく。もう一度来ないとだめですか。と尋ねると、これ1回でいいですと断言されたのを喜ぶ、わたしの左肩なのでした。
 それにしても、施術室といい、家といい普通だったなあ。

2014年12月1日

摂心でした。

これまでならば、足がいたくないときはほとんど眠っているか、座禅に飽きていたし、足が痛いとなんとかして痛くならないか、あるいは痛くても我慢するか、考えることで時間はかなりゆっくりと進んでいた。今回の19時30分以降はこのどちらでもなかった。修行するといいうドラマも描けなかった。ほとんど足がつらかったのだが、我慢できる。ふと、菩提心がたりないのだということばが浮かぶとがまんできる程度の痛さが消えた。完全に消えたというのではない。次の今日最後のセッションでも通用する言葉だった。やったあと思った。

 家に帰り無方さんの勉強会のことをフェイスブックにのせるために、ついでに安泰寺のホームページを見ると蠟八摂心のことが書かれてあり、パラパラとページを見ているうちに、最前の喜びが消えた。

そして今、現在12月8日未明まで座り続けている人たちがたくさんいるのだと思うと、いてもたってもいられないが、とにかく今日は眠ろうと思う。

2014年11月2日

接心でした。

 昨日、一日座る。本堂に入るとき、合掌して入るとき、いったい誰にあいさつしているのかいまだに知らない。ほとんどの場合、げんさんがいるからげんさんのいるこの場所にあいさつしたのだなと思う。座布団にむかってまた同じことをくりかえし、うしろをふりかえって、本尊の方にまた同じことをくりかえす。お釈迦様にむかってと思うと得心する。のどのかわいた酔っ払いが、水を恵んでくれた人に対してみたいな感じが一番的を得ている。とにかく、座る。一日合計、11回のセッション。せっしんというのが正式だが、語呂が似ている。
 足が痛くない午前中はほとんど眠っているのだろう。時間がたつのが速い。起きているときは希望に満ちた妄想が浮かんでは、いかんと考えないようにということで意識が座っていることに飽きることがない。足が痛くなり始めると、姿勢を動かしたり、視線を動かしたりして眠るひまもないから、時間がたつのが遅い。意識自体が妄想だなんて発見したように喜ぶというひねり技で時間を進める。時計ばかり見ている。過去のいろいろな反省も使える。
 終わって思うのは、自分は起きていると考えているときは眠っているのではないかということ。それならば、眠っていたなと思っていた時はほんとうは起きていたのではないか。ということ。ねむっているかどうか、という二分法は、意識があるかないかという二分法と限りなく混同されているのではないかということ。
 とにかく、なんかがんばっているんだなと思えた時、後ろに振り返ってあいさつするお釈迦様はどのような属性、どのような名称で呼ばれようが、このようなただ座る素地を生み出した当のその人自身であると思える。すぐそこにそのお方はいる。それはそこにすでに絶対的にいないがゆえにである。やる前とやった後でいろいろ考えてしまうが、ただやっているその時間は、とにかくやっているのだなああと思える。昨日の座った時間のすべてがいとおしい。私の後姿がいとおしい。
 なんかしらんけれども、とにかく座る時間を持とうと思っています。ありえない時間を与えてくれると思っています。

2014年4月13日

水と緑を守る。

 資本主義などというと、もっぱら批判されるものとしてあるような気もするが、実はわれわれの意識のかなりの初期段階からわれわれとともにあるような気もする。資本主義こそがわれわれのお父さんであるかのようにも思える。エコエコというコピーは商品コピーと同類でもあるが、実はわれわれ自身がエコとともに生まれたのである。
 だから素直に正直に金を稼ごうとする行為そのものの欺瞞に気付けずに、自然破壊が有為な開発とカテゴライズされたり、あるいは無自覚に人を傷つけても、痛痒がなかったりする。昨年より、与呂見周辺の植林が刈り出されている。後継者のいない在所の人達が祖先の木を始末するために個別にやっているものと思っていたが、どうもそうではないようだ。伐採業者がヒト山幾らで伐採権を買い取り、与呂見じゅうの植林を刈るらしい。たった十数本刈り出すために重機が長年培われてきた風景を一変させる。キャタピラー車が入りさへすればよいコンビニエンスな林道がである。彼らはコスト以上の金になるからと自然破壊などという自覚無く、ビジネスとして今日の流れ作業として重機や大型トラックをオペレートしているに違いない。この怒りを彼らにぶつけてもタコが自分の足を食うようなものだ。
 廃村、限界集落の問題に帰してはならない。日本国自身がもっともっとあやうい集団だからである。心して、許してはならないものを許してはならないと思う。すこしづず、すこしずつ積み上げてきた文化がいとも簡単にくずれるように、機械やそれを使ったシステムは大型化、精密化の速度を増している。それ以上にわれわれの無自覚化がうなりを上げて始まっている。

 わたくしたちのお母さんはどこにいるのだろうか?
こぼれ種(梅干しに不適とされた)だぜ。

2014年3月16日

民族。

図書館で借りた 『海女の島 舳倉島』フォスコ・マライーニを読む。舳倉島は輪島の沖合30キロぐらいのところにある天領です。(今もそうなんちゃうか)輪島市に属していて、渡り鳥の希少種も寄るらしくて、バードウオッチング愛好者や観光客も近年は多いと聞くが、ついこの前までは海士町(500年前ぐらいに九州から渡来したらしい)の人のものでした。別に脅すわけでもなく、法的規制に頼るでもなく、言うまでもなくあの島は彼ら彼女らのものだという印象はわたしだけではないと思う。
 海士町はほんの小さなブロックにあります。文字通り中上健次的な路地を彷彿とさせてくれます。身体能力に優れ(ローマ・メルボルンオリンピックにて銀メダリストを輩出)、小学生の時から煙草を吸ったりしていたり、中には秀才もいたが、総じて勉強嫌いで(高校を出た者がいじめられる)男も女も中学を卒業すれば海で飯を食べていく。私は気がついていなかったが、文字通り私のように輪島市民全員が彼ら彼女らを差別してきた。(今後もそうだろう)
 著者はイタリア人。最初はエスニックな裸の海女という興味からだったらしいが、いっしょに短期間寝食をともにして、もっと大きくておおらかなものを海女に感じ始める。本の口絵にウエットスーツが普及する前の薄い腰布以外は裸のままの肉感的写真が30枚近くあって、思わず、エロチックなものを感じてしまいました。しかし、それだけではないものも感じたのは確かなのです。その点は著者もうまく言い切れていないのですが、そうそう簡単に言葉にできるような人間の感覚では無いような気もする。文化人類学的に日本人は元来裸に抵抗が無いというのは事実でしょうが、違うな。著者がふるさとのシチリアの同じような小さな漁村を思い出すが、欧米人の目に止まるエスニックというのは、海士町のように被差別と自覚しながらも、何世代にもわたって生きてきた強さ、きままに生きているように見えて、外部には知られることのない厳格なしきたりを素直に忠実に生きてきた歴史を持つもののことを言うのだろう。
 こちらからエスニックを演じるあべの美しい日本なんぞ、とうの昔に読まれているのだな。ちなみにうちの奥さんはその海士町の厳格なしきたりの中の厄払いの儀式に大勢の海士町の33才とともに参加したのでした。差別者たる私からすればおまえすげえなあーと、感心するより手がないのでした。海士町で風呂屋の姉ちゃんとして名前が知れ渡っているのです。空の青と海の青がほどよく混じり合っているのです。今もそのようにあると願っています。それに白い肌だな。ちょっといやらしいかな。

2014年2月20日

4コマ漫画に1コマ加えると…。


  
人の錯覚していく様子がなまなましく描写されている。この5コマで十分だ。

 『人生料理の本  典座教訓にまなぶ』内山興正 第三刷(昭和47年12月8日)P44~45

2014年1月21日

風邪をひいております。

3日ほど、高熱にうなされておりました。母が熱にさいなまれているのを、これ長年の不義理の詫びと病院に連れていって以来です。母はどうやら新興宗教(母は宗教ではないと言い張る)の仲間がムリをして会合に来たのをうつされたらしい。
 頑丈な私の貧弱な精神にとって、大脳が熱に犯されていることは耐えがたい。軽いパニックのような状態になる。臭覚と味覚が全く失われていることがさらに、不安を増す。かろうじて感じられる事象が、かつての意味を失い、さらにはそれらの展開している未来も、ただただ不安であるというその一点を薄暗く素通りしていく。
 頻繁に測定する体温の上昇で、こりゃ病院にいくしかないと電話する。地元の病院には医者がいなかった。市立病院に電話すると、まず大丈夫ですかみたいな気持ちが伝わってきてほっとする。正常ではない今の方が、人の気持ちのあるなしに素直に反応している。インフルエンザをご心配ですか。でしたら、10時間ほどの潜在期間がありますのでと言われ、即座に今すぐに行かない方がいいとわかる。その旨を伝えると、その通りですが、もしもつらかったらいつでもおいでくださいと説明され、安心して市販薬を飲んで眠ると、断続的ながらも深く眠れた。飯を食うことと、眠ることはなんて大事なんだ。と思う。
 大脳が耐えているのだろうか。私という精神が耐えているのだろうか。もちろん私の大脳である。考えているのは私なのだろうか、私の大脳なのだろうか。熱にうなされているのはもちろん大脳の方であろう。大脳は自分自身に対することばを持っていないからわからない。なんてことを延々と考えていた。おそらくもって生まれたくせのようなものだろう。
 体温も戻り、頑丈な胃袋が飯をほしがっている今、ふりかえってみました。風の菌は細君にうつりました。零細家内企業のパートであるせいか、満足な休みもなく連日働く彼女が倒れている様をみるのはつらい。母の宗教なかまを一瞬うらむ。待てよ。問題はそんなところにはないぞ。仕事のないこの季節、彼女の稼ぎだけがたよりなのである。思えば、細君は私のような出口のない妄想にあけくれるひまもなく、子育てから家計までを心配しぬく日々をもう何年やっているであろうか。

追記。
 A・トインビーの「試練に立つ文明」がおそろしくすらすら読める。ギリシャローマさらにはラテン語による研究、オックスフォードなどなど目もくらむような知の傑作などという先入観を捨て、俺見たいなあほはあほとしてすなおに読めや、と思って読んだせいかしらん。そして衝撃的な一節に目が止まる。(事の真偽はこの際どうでもいい)

「われわれはおのれの文明のみが世界唯一の文明であると夢想する地方文明の、真にわらうにたえる奇想天外の二つの実例にぶつかるからであります。
 まるで夢のような話ですが夢ではなく、日本人は自分の国こそ「神国」であり、従って外敵の侵入には難攻不落であるということをほんとに信じていたのであります。(ところがその日本人自身は、不幸な北欧人種の「むくつけきアイヌ」こそいい迷惑で、この人種を追い払って、そう古い昔の話でもなく、まんまとそのあと釜にすわりこんでいるのです。)日本が「神国」?まさか。だって紀元1500年の日本は、シナではとうの昔、紀元前221年の始皇帝がシナをそこから救い出したところの、教化能力も何もない一個の無政府的な封建社会だったのです。シナがあれほど遠い昔に独力でやってのけたことを、日本はシナから拝借した世俗的文明と、またシナ人の御世話によって伝えられたインドの高等宗教の御馳走を1千年近くもまんまと満喫したのちでも、なおかつ成就することに失敗しているのであります。」

 長年タブー化してきたことが、かくもあっさりと言語化されていることに素直に驚いたのでした。つよがりだけど、わざと、あえて、成就させなかったから続いているんだ。お前自身が心配しているようにお前自身の西洋文明の方があぶないわい。まだもうろうが残っているな。おまえらは不安そのものだから言語も文明も強固だ。しかしこっちはどのようであれ、うたうんだ。不安のかけらもないんじゃ。まだもうろうとしているな。風邪のおかげで、休めるだろう?私の大脳よ!

2014年1月13日

正法眼蔵勉強会2日目。

  どのような日常的な行いも出来事ではあるが、この出来事という言葉は重要な意味を持たされはじめている。哲学のテキストに、あるいは呪術師の発話にと。重要なという意味は特殊なという意味に屈折し、特殊はいずれはユニークつまりは唯一に微分される。
 宗則さんは、昨日、入浴前の雑談にて、「正法眼蔵ほど、おもしろい話はありませんからね」と言われました。正法眼蔵に対するイメージに仏教ということと、お坊さんということがこびりついています。どのようなテキストとも共存できない特殊な世界の特殊な言葉が書かれてあると思う私にとっては、これをお話や小説、もしくは物語にできないというへんな自信があります。いわんやテキストなどと呼べるはずがないと。かたくなさは、この固さは仏教やお坊さん、法としての経典(こんな言葉は使いたくないのだが)を思考することを妨げていると思う。形而上学を入れると尚更、味わいにくくなる。
宗則禅師。
しかし、私は形而上学をまったくわかっていない。余裕を持ってわからないと豪語している。なぜわからないことがわかるんだと、自分の大脳に問いかけてみたくなる。何一つわかっていないということを知ることができるということはすごいんじゃないだろうか。わからないその人はなぜだか、とてもうれしそうに笑ってすらいる。こんな私でも、チベットがいまだ中国軍から侵略されていない時代のお坊さんの笑顔と、中国政府がポタラ宮殿を金ぴかに補修し、どこぞの僧院のお坊さんの迷いに満ちた素顔との差ははっきりとわかる。正法眼蔵にも、わからないということのままに生き、なおも法を求めるからこそ、ここまで法は伝承されてきたのだということが実際の禅師と弟子との逸話(これは物語ではなく、実際にあったこと)を通じて記されてある。
 私が得度した時、習わしとして、釈迦牟尼仏を起点にして、歴代の禅師の系図を筆で書かされました。ただでさへ、出家してお坊さんになるということにド緊張していた私の驚きを察してください。思わず、村田住職に言いました。「つながっていたんですね」「文字のない時代なのに?」私は系図の最後に村田住職を書きました。私の持っている手がきの系図の中の和樹さんは、私が弟子をとらない限り、私の手がきの系図で終わってしまうことを知りました。(システム的にです)
 やがて呪術的なムードは去りました。私は呪術のことなどまったくわかりません。岩波文庫の正法眼蔵第一巻末尾の法系図は幹にある大師しか記載されていないのですが、枝葉を入れると厖大な法伝承者がおられます。それら全部の禅師が記載されたものがあるのだそうです。村田住職の正式な弟子は現在4人いますが、この全員が弟子を持たないと村田住職の名前が書かれた系図は4枚しかないということになります。

 あきらかに、昨日の記事はわたくしの構築した物語にすぎません。確かに法は語られましたが、さて法はテキスト化されていますでしょうか?今日の輪講で、お坊さんということが話題に上りました。「私はお坊さんじゃありませんから」と宗則さんが言われたのは世間でいうところの葬式などの儀式をとりあつかうことを主たる行いとするお坊さんではないという意味なのでしょうが、私はここでも、そうは言っても、歴代の祖師のごとく、ブッディストであり、ほんとうのお坊さんなのでしょうとつぶやくのでありました。私が私になりきった時、私を私と名指す差異はどこにもないのですから、私はもはや、なにものでもありませんとおっしゃっているのにもかかわらず。
 何度でもわからないんだあと顔に手をあて、その舌のねもかわかないうちに、がんばっておれもわからないをわかるんだと傲岸な顔をしているのでありました。しかし、私は私の顔を私の視線でもって見ることができないのでした。そのことを知っているのでした。

 宗則さんの提唱

 多処添些子(たしょてんしやす) 多い所にちょっと足す=大悟

 少処添些子(しょうしょてんしやす)少ない所にちょっと減らす=劫迷


道元禅師は、言葉を二重に使う、同じ言葉を別なところで違う意味で使うのだそうです。「気楽に読み物のようにして読書したいのですが、古文の知識などを補いつつ解説しているうまい参考書はありませんか」と尋ねると、「ありません」「水野先生の脚注で十分です」村田住職は、んなもんあるわけがないみたいな顔をされました。ですよね、「道元禅師の表現なんすもんね」とたかをくくったのでありました。「宗則さんは、それこそ、40年間、何度も何度も自分の頭で読んできたんですから」「わしなんか、3行で終わっちまうところを、道元さんはこんなに厖大な文章を残しておるんやぞ」



それにしても、わがメモのひらがなのなんと多いことか。文字じたいを知らないのでありました。

特記 宗則さん、村田住職ともに、「正法眼蔵は道元禅師の表現なんですよね」に対して「そうです」    とおっしゃいました。

2014年1月12日

正法眼蔵勉強会1日目。


左 櫛谷宗則。 右 村田和樹。
今年はじめての更新です。今日は櫛谷宗則さんを招いての勉強会でした。集ったのは9人。こじんまりと、降雪の中提唱の声が響きました。正法眼蔵「現成公案」。ここに書かれてあることは仏の目から書かれてあるので、凡夫にはわかりません。と言われる。ニュアンスは上からではありません。あくまでも、ただの事実として説明をされました。何度も何度も読み下してきたセンテンスを追うと、まあこんなものかとわかったような気になっています。しかし、皆と輪講するうちに、わかるということは、仏法の話の場合、まるでわかっていない、もしくは、本旨から遠ざかるということがテーマとなって、我が身にふりかかってきました。「おれだけがわかっていなかったのか!」坐が暗くなっていきました。すでに積雪に囲まれて消音されていたのですが、さらに、どんどん静かになっていきました。むろん、私の見える風景がです。
 まさやさんが私に向ってストレートに言われます。「宗則さんを坊主であるとか、そういう風に見ることは違います。あくまでも、ぼくたちと同じなんです。仏法の話における言葉は、にしかわさんが意味づける言葉とは違うんです。むしろ言葉の出る瞬間、つまりは言葉そのものの前後における時間を見るということにおいて、ぼくたちと同じなんです」(意訳)
 村田住職も言われます。「つくづく、仏法の話をする場が無いんだなあと思う」
あらかじめ、構築された私が身聞きし、意味づけする場に、宗則さんの言葉をすっぽりと当てはめていては、未来永劫、宗則さんの言葉は入ってこないのだ。
 慈行さんが隣の席で言います。「言葉ってのは、ほんとうに、引っかかり安いものなんだ」
2年ごとに訪れる宗則さんの言葉がどんどん磨かれていくと、皆は言います。もう何度目でしょうか。あいかわらずの私に宗則さんは、またまた、同じ質問をされました。「なぜ小説を書くんですか」私はなんにもわかっていないんですと言いたいのに、そのことにしっくりする言葉が私の中にまるでない。龍昌寺の庫裏は、言葉が力を持つ。その力の前に、さらっとした読書などで得た私のボキャブラリーのおもちゃ箱の中を幼稚園児のようにしてがちゃがちゃと手をつっこんでも、何もない。とりわけ、私を楽しませるものが皆無である。
 あれこれと思い悩む思いよりも、生命=いのち、今現在、この場所でも事実としてあるこのこれの方が、はるかに古い。いやはるかでなくてもいい。思いが生命のことをとやかく言うことの無力さはふつうに考えてもわかるはずなのに、驚くことはおろか、聞く耳すらないのである。積み重なってあるわけではなく、その都度、その都度なまなましい。
 すかさず、まさやさんは言う。「ぼくがぼくのなまなましさに追いつけないんですよ」ムリなんですよ。だからこそなまなましいんですよ。
 宗則さんの提唱。

「諸法の仏法なる時節」この一語で驚いていいんです。続くありありあり、断絶です。そしてなしなしなし、続いているんです。」庫裏に不怠(ふたい)という言葉が輝いておりました。これは怠けるなというよりも、怠けていられないということです。宗則さんが話すと、道元禅師もお釈迦様も身近です。おじいちゃんの何代か前という感じです。まるで言葉が宗則さんの身体を借りて降りてくるみたいでした。

追記。ここで書かれた言葉の時系列は私が編集したもので、各人の話した内容もかなり意訳いたしております。ですから、各人の意図とはまるで違う可能性が高いことをお断りしておきます。

道元禅師の歌が紹介されました。私としては以外でしたが、かなり多作であったとのこと。村田住職によれば、吉本隆明は3流と評価されているとのことです。

 風もつながぬ
 
 すておふね

 月こそやは(夜半)の

 さかりなりけり

2013年12月10日

第6回輪島中学校統合準備委員会。

 6月以来開かれていなかった輪島中学校の統合準備委員会があった。この間、三井中学校に教育委員会がいきなり訪れてスクールバスの要望は受け入れず、既存の民間路線バスを利用すると通告してくる。(この言い方は、きついかもしれんが、あえて教育委員会の仕事ぶりを讃えたつもり)
統合反対の要望と同様に、なんだよ最初から決まっていたのかよという感じである。
 ちいさな会議室に30人ほどがいて、そのうち、保護者は10人もいただろうか。あとは学校の先生に市役所の人のみであった。半年ぶりの開催にもかかわらず、用意されたレジュメは議事進行以外はまったくの白紙。議事にて制服や校歌、通学などが報告されるも、真新しいことはなく、校歌は依頼した作詞者の作品があまりにも幼稚で50年にたえる綿密な準備過程にそぐわず、作曲者の天沼氏に作詞も依頼している段階なのだそうだ。
 小さな会議室には統合決定後すみやかに決定した男女の制服と体操服(コムサデモード)が並ぶ。最後のあいさつにて、某中学校校長先生が、散発的に実施された各小中学校の交流にて、大人と違って子供たちはオープンで適応力があるから安心しましょうみたいな、まさに大人の無関心ぶりを象徴するような意見を述べて会は参会する。所用時間1時間、予定どおり。
 唯一、三井小学校の父兄であり、統合問題をまさに問題としてひきあげてくれた萩野さんが、質問時間にて、この統合委員会はいったい統合問題にどのように関与しているのか、その意味がわからないと、やんわりとやさしく、かつ理論的に言われた。彼がいなかったら、形式だけの会議が何回かやられただけで、新中学校は稼働していたことだろう。
 自分のこととして、自分を勘定からはずして考えるような市民が不在の状態で民主主義的手法だけを進めてしまうと、議論する場所もなく、新しい施策が発表された段階ですべてが決められているということになる。そして施策に対して何も言わないということそのものが、即推進への力となっていく。「決まったもんを、ごちゃごちゃ言うてもね」「なかよおせんかまああ」。とまるで鎌倉時代のまんまのような状態であることが露呈される。
 これらの批判は、私自身に向けられている。誰かが言うとったけど、日本は近代の体をなしていないというのはほんとうだ。

2013年12月9日

ゴミもエネルギーになれるというのに。

 小春日和、ストーブ用の薪がもう少し欲しかったのと、廃棄物のようにして家の前にある間伐材を整理をしたかったので、薪割りをしました。雨ざらしでも丸太の中は乾いていたのに驚きました。鬱々と家で陽のあたる窓の外を恨みながら愚図っていたのが、動き出すと別人のようになりました。(みやたけさん、怒らないで)忙しい知人のブログを見てグーのねも出ません。
 ゴミのごとく見ていた丸太のやまが、どんどん、我が家のストーブの燃料になっていく。屋根の下に並べると貯金をしているようで、うれしい。ストーブのエントツも掃除しました。アラブの石油にも、原発にも頼っていない、通貨の移動もないのはすごいことだと思いました。ただ、毎日パートでへとへとの細君や新聞奨学生として自立しようとしている次男に対しては、私を呪え、怨めと言うしか手がないのです。そんな私の思いとは別に家族は私をスルーしてくれてます。悪人にさえなれないのでした。善人は言わずもがなです。

2013年12月8日

ちょっと沈んでおりました。

 参議院での特定秘密保護法案の採決より、鬱に沈んでおります。原因はさまざまに思いつきます。政権が国民の懸念を知りながら法案の成立そのもののために強行採決したこと、長男や次男が徴兵されるような事態に動き出したこと。この両極端の間で法案の具体的中身への思いが介在しております。同時に私個人は、この法案が守ろうとする秘密や秘密を漏洩しようとする者に抵触するほどの意志を持つほどの生活を送っているだろうかということも、もう秘密にはできません。「おまえ、関係ないだろ」と言われているような気がしてならないのです。
 現在の日本国における議員内閣制による行政統治は、システムとして私を含む20才以上の全国民が選んだものということになっている。近いようで、遠い、遠いようで、近い、距離感が実測でも想像でもよくわからない。単なる勉強不足なのかと、今頃になって特定秘密保護法案の修正法案を読んでみても、以外にわかりやすい文章だと思うが、日本国が何をさすのかがそもそもわからない。安倍内閣総理大臣の脳は日本国をどのように認識しているのであろうか。
 あの人の国会答弁をYouTubeにてちらちらみていると、さんざん美しい日本とか、世界の平和とかを連発するのに、具体的に日本国憲法の条文を理解されているかみたいな、個人的意見を問われると必ず、私は総理大臣としてここに座っているのですから、いちいち憲法を論じる立場にはありませんと言う場合が多いのは、ずるいを越えてとんでもない勘違い、あるいはとんでもない無思考を正直に言っちゃっているようで、傘下の大臣たちもそのような人間が多いのではないかと心配になってしまうのです。ようするに責任をまったく意識していない。
 民主主義はいかなる自動的なシステムをも排除するための超主観的な人間の意志がないと成立しないのではないか。私はこう思うがないと、簡単に暴走する多数決による意志決定システムになってしまうのではないか。そのためにたくさんの失敗を重ねつつ、血を流しながら修正してきたシステムなのではないのか。
 そこから抽象された言葉として国、平和などの美しい言葉がある。ちょっと元気に私がなったのは、言葉そのものが放つ美しさであって、鬱をもたらしたものは、システムとしての国を美しく輝かせる責任を誰か突出した頭脳がやってくれるからと責任逃れをしてきたことにやっと気づいた事そのものである。
 政治や経済、世界の歴史を自分のこととして、しっかりと勉強しようという気持ちをかりたててくれた今回の特定秘密保護法案審議の課程に感謝したい。

2013年12月6日

特定秘密保護法案成立。

  昨日、今日と日雇いに行ってきました。よろみ村で呆けて暮していたので、久しぶりに行った金沢は新しく舗装された片側3車線が多く、巨大なモノ売りの店も増え続けているようで、落葉が吹きすさぶ奥能登から来た者にとっては、そこにおるだけで緊張しました。アベノミクス効果は地方にようやくやってきたようです。日雇い先の所長さんも、急激に物が動き出してたいへんなんだそうです。仕事から営業所に帰ると、一時金と書かれたボーナスの明細書が入った封筒を目の前にして社員の方方はうれしそうです。
 ネットでは、特定秘密保護法案の国会採決をめぐって、官僚と経団連のシナリオでただ言われた通りのことを演じる政権与党という陰謀論がクローズアップされています。私自身も、2流私大を出たトリプルA(麻生、甘利、安倍)がわずか1年のうちに、これだけたくさんの仕事をこなせるわけがないと思っていましたから、どのような政策も陰謀論から帰納すれば得心がいくことばかりです。しかし東大法学部はいったいどうしたんだ?何をしているんだ?
 気のせいか、昨日(12月5日)委員会採決された瞬間にネットに沈黙が生まれてきているような気がします。勢いが無いのです。法案に反対する学者さんが言っておりました。この法律は不備でおそまつなほど、効果絶大なのである。人々はますます疑心暗鬼になる。これほど、費用をかけずに国民に政権の力をおよぼせる法律はないのである。そして、とりあえず、景気も何気によさそうだし、まあ安倍も悪いやつじゃないんだから、まあいいんじゃないのおが、合わさって、(テレビでは深夜に保護法案審議を直接担当している委員長(民主党)が何の落ち度もないのに罷免されたのに、あいかわらず、お笑い芸人がトークのために身を粉にしている)システムさへ、ちゃんと稼働しているんなら少々のことはいいじゃんか、みたいな流れに、国民は流れ始めたのではないだろうか。
 一昔まえ、つい10年ほどまえ、小泉いぜんの、政治家たちの愚図がなつかしい。今となっては、アメリカの後ろ盾なしにはものも言えないことを自覚しながらもとぼけ続けていた老獪さがなつかしい。明治維新を経ているにもかかわらず、鎖国的精神を続けようとしていた日本人が懐かしい。
私のように、そのような立派なおじいしゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさん、おにいさん、おねえさんの元で安心して愚図りまくってきた人間にとって、こんなにも、急激な欧米化は困るんです。
 それにしても、なんであべはあんなにうれしそうなんだろう?

おわび。
 おじいしゃんとなっておりますが、響きがいいのでそのままとしました。

修正。

 19時31分現在、参議院本会議ではまだ採決がおこなわれていませんでした。