地球がどんどん小さくなっていく。宇宙の果ても見えたかのように、整理整頓された形で、自分の人生もそのような傾向におさまっていく。自分とはいったい何なんだろう、とでも考えるか。問いではなく、ある物語にとっての必然的帰結。終わらないというエンディングを迎え続けるわけだ。やはり自分自身を見すぎると何にも見えなくなってしまう。
人が人になってから、問題が生じたのではなく、問題そのものが人であるとすれば、全てがつながる。私という事実をそのまま知ることができない者としてこの私は生まれたに違いない。ただこれらは私の脳内でおこなわれていたのだろう。私が私になった瞬間を思うと意識が遠のく。
順番が違うじゃないか。瞬間瞬間の私の連続をつないでいるのは物語である。
みたいなことを思いはじめて、まだ4,5年しか経っていないのだけれども。
今までに一度たりとも途切れていないということもセットで考えるべきだったと思う。何が何と連続しているのかは、全くわかりません。(政治や経済の始まりは、体制を担っている人たちが失敗の無意識的隠蔽という形で間接的に、自らの手で見せ始めているじゃないか?そんなもん、政治でも経済でもなんでもないけど)
今までに一度たりとも途切れていないということもセットで考えるべきだったと思う。何が何と連続しているのかは、全くわかりません。(政治や経済の始まりは、体制を担っている人たちが失敗の無意識的隠蔽という形で間接的に、自らの手で見せ始めているじゃないか?そんなもん、政治でも経済でもなんでもないけど)
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