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2013年11月17日

まだまだ秘密がございます。(恥ずかしくて言えません)

 
小春日和。やさしい言葉。
7年前の能登沖地震(震度6強)で動いてしまった屋根の母屋瓦を治すために屋根に登る。毎年の積雪でずれてしまうようになったのです。春まっさきにやらないといけないのに、もうすぐ時雨れ始める今になって、やっとです。高いところが苦手なので、愚図っていたのでした。家を見上げるとのたうっている甍が気になるのですが、太陽が出ていないと瓦が滑るしとか、言い訳をしていたのですが、もう一つ屋根に登るふんぎりをつけるために、重要な点があるのです。それは、よろみ村に人がいないということです。オドオドを見られるのがいやということもありますが、ただただ、怖いという状況において、平地で動いていたり、喋っていたりするそれらの動きがより増幅して見聞されてしまうのです。こんなに危険な目にあっているのに、なんとも平地で安心しきって生きている様を見ると、高いところに置かれた状況がより一層、クリアーに感じるのです。
 とりわけ怖いのは梯子から足を離して屋根に上がる瞬間です。帰りも怖い。梯子にいざって近づいて、立って、梯子に足をかけて、そして、体を反転させる時がなんとも言えず怖いです。だいぶん慣れましたが、それでも、怖い時に思うのは、なんと平地で安穏とボケーっとしているのかということです。高いところと、へびがダメだから自給生活者にはなれんなあ。それに不器用で釘も満足に打てない(特に4寸釘以上)。一人ではまず、自給生活をできない男なのであります。無芸、大食、人畜有害。高い志も無く、無難に人生を終われたらよしと思っているし、身体が遺伝的に丈夫で(胃痛の経験がない)、寝つきの時と集団生活以外の時はまことに熟睡できるし。(夢も覚えていない)いやなことからは逃げ続けているし。人の文句を言うのは上手だが、自分をきらいきらいと言いつつも、自分にまともに反抗したこともなし。煙草をバカバカ吸うし、真夏はわざわざ、ビールを買いに行くし。まともな定職を持ったことがなく、奥さんのパートで食べさせてもらっているヒモのくせに、奥さんをいたわるどころか、結婚初期から中期まで、DV夫だったし。
………。もうやめます。キリがない。ほんとにダメなことを、こうしてわかっているのなら、なぜすぐに今にでもやめないのか。屋根の母屋瓦と同じくらいにしか、思っていないんだ。いや母屋はすごく大事なところなんだけれども。
完全に真っすぐなんてムリ。これでいいと自分に言い聞かせる。

2013年5月2日

接心(摂心)でした。

昨日は接心にて、一日座っておりました。眠ったり、いろんなことを思ったり、足の痛みを我慢したりしましたが、よくよく見るとほぼ同じかっこうをしているのがおかしかったです。一回、一回、のセッションみたいな感じでなんとか最後までいきました。genさんも座っておられました。咳払い、げっぷ、唾を飲む、うめき、屁など全く聞こえませんでした。genさんは暇さえあれば、座りたいみたいです。titibuの実家に帰っていることが多いのですが、yoromiにいないとわかっているのに、本堂の扉をあけると、もしかしたらとgenさんの座布団の方に意識を向けてしまいます。失礼ながら、いてもいなくても、もしかしたら座っているのではないかと思わせてくれる人です。本堂中央に木彫りの座僧が置いてありますが、失礼ながら、それと全く違わないと思ったりします。(この人、kyotoの某観光有名臨済宗寺院に10年もおったんです)
 私の方は、まるでロダンの考える人のモノマネのようだなと思います。それでも、今のところ誰も座るなという人がいないので、これからも、できるだけ座りたいなあと思います。こんなゆるゆるでいいんかいと思いますが、残念ながら、このような感じしか耐えられないと思います。わたしは。(まわりを見渡せばmurata住職をはじめとして、すげー人ばっかりなんだが)

2013年4月15日

よかれと思ったのだが。

先日の新車庫づくりにて、ユンボがあったので、水はけがよくなるだろうと思って、深い溝を掘った。すでにあった溝につなげたのだが、新しい溝の方が深くて水が排水されなかった。そこまではよい。ところが水がどんどん深くなっていくではないか。そして減る気配がない。あちゃちゃ。どうも、西川ミニ農園もいつもより湿っている。あちゃちゃ。
 kawabataさんが草刈り機の修理においでたので、なにげなく聞いてみると、とんでもないことをやらかしたみたいだ。どうも水の新しい道をつくってしまったらしい。よかれと思ってやったことが、逆になってしまった。田んぼを長くやってきて、このざまだ。水のことを知らないのであった。ただ、穴を掘ってしまったのだった。水はけをよくするためには二重三重の仕事が必要になってしまった。これでは墓穴も掘れないではないか。
 こうして、実際の自然の重さをリアルに感じることができるのだ。一手間一手間ごとに自分がどういうところに立っているのかが、少しづつわかっていくのだな。負け惜しみや強がりのようでもあるが、どのような失敗にも無駄なんか無いんだな。

2013年4月8日

PTA会長任期終了。ただのゴミ野郎に戻りました。(といってもまだ福会長)

 日雇い仕事ばっかしていて、結構ハードな現場が続いたので、更新をすっぽかしていたら、もうめんどくさくなってしまった。更新が。かといって、やめる理由もない。かといって、なんでブログなんか始めたのかも忘れてしまった。最後はうそだな。ありあまる自意識を誰かほめてくれんかと思って始めたのは忘れもしないのだ。yoromiで呆けて暮しているわけだけれども、日雇いの現場は賃労働なのだから、社会的な行動っつうもんを意識しないといけないんで、しかも、親方がおるわけで、そのもとでヒエラルキッシュな存在をキープせなあかんもんで、さらに又、行き帰りのドライブが長いもんだから妄想大会もすこぶるはげしくて、この意識をどないすればいいんやとちょっとひきこもってyoromiモードに戻そうとしたのだが、うまくいかず、悶々と今日の新車庫の建前を迎えたのであった。ezakiMさんやsobakiri jinも来ていて、さらにmurata住職、にgenさんもいる。みんな現場仕事に習熟されていて、遠慮深くないので、ようするに親方、船頭が多い。ふと、故itayaさんがよぎる。そして、まだ死んではいないが、日雇い現場で楽しませてもらっている我が友、ワッキーもまたよぎる。わしみたいに仕事のできない奴は遠くから流し眼で見てた方がケガせんでいいと思う。ゆっくりと目の前に自分のできそうなことが生じたらなんとかそれをこなそうと決めるとワイワイと建前が進行していく様子を眺めるのは心持がすこぶる良い。しかし、みんなうまいこと釘を打つわい。みんなうまいこと帳尻を見つけるわい。
 ついでに、西川ミニ農園の水はけのために、ふっかーい溝をユンボで掘ってもらったのだった。小さいとはいえ、重機はすげえや。そういえば、kanazawaから、hataoさん、ryoukou廣成寺住職と建築士の方方がいらっしゃっていた。














追記。
  アンドロイドタブレットで青空文庫版で大杉栄の諸作品を読んでおります。アナーキストなぞとたいそうな冠をかぶせられた人たちは、なんと気のやさしくて、小さくて、と痛感し共感しております。「生の拡充」を読むと、征服と反抗という図式から入らぬテキストなど、たとえ文学なんぞという冠をかぶせても私は許さないと。私も常にそこが気になっていたのです。しかもテキストと言った途端にじわじわと征服者のDNAも浸入しているわけで、神経の細い人など、たやすく、誰一人信じられなくなるということになると思われる。ある種の鈍感さは、ここではありだなと。以外だったのは、彼は警察ではなく軍人に殺されたということでした。

2013年3月4日

漏電。loading


雪解けの 速さを競う カメラかな。

 北海道や青森ほどではないけれども、積雪は思わぬ被害をもたらします。たとえば昨日などはお米の精米をしていていきなり精米器が止まった。夜おそかった(言い訳)から、今日先日、murata住職に言われていたどおりに、まれに出ていた太陽で精米器のポンプを干す。ふと、漏電ブレーカーは作動していないだろうかと配電盤を見ると降りていた。スイッチを戻すとポンプが作動する音が聞こえたのだが、すぐに収まった。いつもより大きな音だったから気になった。
 まっ帰ろうかと倉庫あたりでうろちょろしていたら、itayaさんとyasumuraさんがおいでた。yasumuraさんはギリシャ古典文学のプロフェッサーでひさしぶりにkanazawaの大学にて集中講義があったついでにyoromiにおいでたのです。英国の格式高い大学にて学んだりしていた言わずもがなのインテリで、背筋がしゃんと立っている凛々しきお姿に思わず「あいかわらず、お麗しい」と言ってしまいました。なんだか知的な会話をやらかしたくなって、ちょうど昨日、小委員会に行く前にざざっと呼んだヴォルテールの「カンディード」の話題を持ちかけると、まことに鮮やかにわたくしは知りませんが、ときっぱりと言われた。本物のプロフェッサーが放つ「知りません」と言う言葉は、かえって私には研究対象に対する深さが想像されて気持がよかった。カンディードはなんだか好きで自分の本棚から、なかなか離れない本の中の一冊なのです。その理由は小説最終行、主人公カンディードの言葉が大好きだからなのです。
「何はともあれ、わたしたちの畑を耕さねばなりません」
フランス革命後、絶対王政の崩壊による混乱の中を生き抜いたヴォルテール自身の一生のごときものがパロディーとして、一冊を駆け抜けているのです。東洋人にはわからないようなキリスト教やユダヤ人に対する風刺が文学として結晶していると思うのです。ただギリシャローマを知らずにキリスト教も踏み絵で撃退できると思うような心性から見ているせいなのか、逆にカタログの用語説明のような感じで西洋文明、とりわけフランスから見た世界が総覧できたような気にさせてくれるのです。岩波文庫にて、たったの172ページの中にです。(日本も踏み絵の国として登場している!)
文学って、人には見えないもの、を言葉にて見えるようにするという重大な役割を人類上になっているのですよね。と聞くとホメロスに純情を奪われたかのような少女に帰られたような輝く瞳を見せてくださいました。先生のような口調はこのような時には、なんとも心地よい響きを与えてくれます。kawasakiのお宅で、小さな畑も開墾されているとのことで、yoromi特製ボカシ肥料を大きな麻袋ごと持って帰られました。ジャガイモおいしいのよお。
 さて、清々しい青空なのですが、何か引っかかるものがある。so 水だ。ポンプだ。自家水道だ。
とにかく下の貯水タンク&ポンプを見に行くと水は十分にある。よしよし。水が無いからポンプは自動停止したんだな。せっかくだからと上の方に向う。フタを開けてよく見ると水位が低かった。あちゃちゃ。あせってnishiyachiさんに来てもらうと、電気が来ていないという。土中に埋まった電線がモグラかネズミにかじられたのかも。もうお昼だし、電気屋さんも呼ばねばということで午後を待つ。仮設の電線でつなぐしかないということになる。午後、いつの間にか電気屋さんとnishiyachiさんのご長男がもう来ていた。感じがよくて、頼りがいがありそうな電気屋さんが、説明してくれる。配電盤の右はじにあるボックスを開けて、ほらほら、ここに黄色いスイッチ、これ安全スイッチなんですけど、これをこうして押せば電気がいくんですよ。思いだした。このスイッチはmurata住職もやっていたことがあった。なんだよ。すんません。しょうもないことでプロフェッショナルを呼んでしまってとあやまる。
 murata住職のいない間に、水道のトラブルがなきゃいいがと思っていたのだが、とにかくよかった。murata住職がいなくなったら困るなあと思う時、真っ先に思うのはこの自家水道である。仏法よりも何よりも、自家水道の全てを教えてもらっておかないとと思うばかりなのです。
 nishiyachiさんのご長男の方が、帰り際、あのこのまえいっしょにおったポンプに詳しい人、あの人ほんとに詳しいみたいで、あの人やったら、今日のこともわかると思いますと言って帰られました。「あっ、あの人うちの住職です」と答えたのであった。しかし、専門家がやってきただけで、安心できるのはなぜだろう。ご長男はまだその点甘いかもしれない。「おれも気が付けばよかったんだけど」と後悔をされていた。お父さんのnishiyachiさんも気付かなかったが、師は上水道設備&ポンプの専門が深いんだな。忙しい電気屋さんを「話が見えない」にもかかわらず、派遣してくれました。そして電気屋さんも電気設備プロフェッショナル。漏電の原因を尋ねる私に「完全に漏れたら、すぐにわかるんですけどね。中途半端だとちょっと……」。やっぱ中途半端はその道を極めた人でも見えないんだな。

この時はまだ、原因が見えていなかった。




2013年2月28日

作文。(与呂見村通信編集人として)

誰かが言ってました。藩とか国なんてないんだと。あるのは人の集団だけなんで。昔は目に見える範囲しか見なかったから、今の方が、はるかに中央集権的国家なんぞ、抽象的な妄想にすぎないということが自明なんじゃないか。
 集団にもその時期その時期のムードがあって、それが目に見えない形で中心となる人物を後押ししていただろうと思うのだ。よろみ村通信を読んでいて、年代が下がるにつれて、作文が形骸化しているのがわかる。書きたい人と書きたくない人がわかる。書くのがすきだから書きたいのではないということもわかる。得にitayaさん無き後は、坂を転がるようにして、おもしろくなくなってしまった。蛇足ながら、書いた人が皆、まっすぐに作文に向わざるを得ないのが作文の特質の一つでありますから、よろみの皆もそのことをはずす人はいません。しかし、私の作文は見るに耐えられない。謝ってもすまん。なんだか、マジメに作文しようと、思っております。
 でも、でも、このような作文が集まる場というのは、ありそうで無い。なんとか続いてほしい。

2013年1月27日

水、出ました。

 すみません。きっとわじゅさんが治すだろうぐらいにしか思ってないんですよ。と言うとそれはしょうがないと言われました。

目印がないと、途方にくれる。この場所を探すのにけっこう時間がかかりました。
 よし、これで水がタンクに入るだろうと思って2回だめでした。で、3回目、やっぱり入らず、あたりは真っ暗になってしまい、とても寒かったです。最もやっかいな、凍結ではないかということになり、湯を沸かしてパイプにかけたり、バーナーで配管をあぶったりして。「明日でいいんじゃないすか」「明日、勉強会やぞ」「…」「とにかくポンプ、もう一回ダメ元でつけて終わるか」
やっぱり出ないなあとタンクを後に家に帰ろうとしていたら、ごぼっごぼっと音がしました。水がちょろちょと。そして水が出たのでした。
出るようにつくってあるのだから出てあたりまえなのですが、奇跡のように思います。で、水道をひねると水が出るのがあたりまえのようになります。このくりかえしをもう、何回やっただろうか。

2013年1月15日

Noto半島の古地図。

平成と昭和の大合併以前の能登半島の地図を見ていると落ち着く。まだ村がほとんどで、要所にポツンと町がかろうじてある。町以上の属性は、どんどん抽象性が増していく。意識の上でしか存在できないような砂上の楼閣である。国や世界なんていうものにたどり着く。まつりごとではなくて、政治を必要とする。
 與呂見と重々しい名前が奥能登のほぼど真ん中に書いてある。往時はゆりかごから墓場まであらゆる世代がそろっていて、小学校の分校まであった。今はどうだろう。一番若い人で70才をこえていて、祭りのみこしも神社を出ない。そしてjusaiが言うようなyoromi村なんてのも。あるようでない。ないようである。妄想上のものだから、常に定義付けをしないと消えてしまう。そして区切られ、隔絶されながらも、足下には確かに地面がある。大地などというしゃれたものじゃない。チベット民族まぼろしの王国シャンバラのように解脱の後にあるような神秘でもない。
 誰に区切られずとも確かにある村は、もはや無く。また、これからたどり着く小さな点もなく。ただここに立っているしかないことに無常の寂しさと永遠の矢印を見つけてうれしいんだと思う。
げんさんの薪山。垂直、水平きちんと出ている。

昭和11年ごろの尋常小学校の教科書についていた。

追記。

 用事で町に行ったら、コミュニティバスが走っていた。胴体には永井豪のマンガがデカデカと描かれてあった。jusaiが小学校低学年のころ、ハレンチ学園が全盛で、同級生や先輩たちと永井豪って輪島出身なんやてな。と、ひそひそ話していた。なぜ今頃になって美術館やら輪島市のIDに使うのだろう。なぜ、当時、支援しなかっとたのだろうか。やっぱりハレンチだぞ、バスが。

 

2012年12月11日

ゲリラ積雪続く。

 雪道は苦手です。ハンドルが制御不能になる、あの感じはたまらないものがあります。ツルツルに凍った、黒光りする下り坂を下る時のことを想像ください。なにものも信じられなくなる。高性能タイヤ?ABS?急ブレーキ禁止?全てのよき事がふっとびます。思いは一つ、無事、平地にたどり着くこと。
 恐怖感覚の違いも感じます。雪を見ても、危険ということに結び付きにくい人もいる。無邪気にジープタイプの車を信仰している人もいる。ちょっとした車の揺れに、車内で怯えまくっている人もいる。地下水のような車もあります。雪のない時には遅いと感じるのだが、雪道だと速く感じる。つまり、雪が降ろうが、雨が降ろうが、道が乾いていようが、常に同じスピードで運転する人。
 しかし、この怖い感じは嫌いではない。怖いものみたさみたいな感じでしょうか。怖く感じない人にはわからない感じでしょう。

もう堪能したよね。温かいところに行きたいよね。左 sumikoさん。 右  yukoさん。
mii小学校のPTA理事、役員会がありました。玄関に、まだ炭が置いてあり、炭焼きはすでに、遠い感じがしますが、炭の黒光りが増しておるように感じました。こうした現物は存在感がすごいです。ちょうど、PCや携帯などのITデバイスの放つ、電磁波の真反対というか。放たれた、エーテルとでも言いたいような見えない波動のおかげで、会に集うた人のオーラが柔らかいように感じます。もちろん、ワタクシの心と目が、すでにエーテルに長いこと覆われておるのですが。ちなみに、インターネットでよく出てくる、イーサネットというワードのイーサはエーテルのことなんだそうです。
mii小学校玄関にデコレートされた炭がありました。

炭焼き行事は、学校と先生がたと、児童と保護者のみなさんが、心を一つにできた、まさにPTA行事のあるべきモデルを提供してくれたように思います。でも成功(最大収量の半分ぐらいでしたが)であったということが大きかったように思います。理事会、役員会にて、次年度の予定が議題になりました。もう終わりに近いという喜びとさみしさを同時に感じました。考えや生活などに、それぞれの違いがあれども、ともに、同じ地球の上で生きているのだと思いました。盛り上がってしまいました。


2012年11月27日

拝 板谷さん。

こんなことばをはくのは、生まれて初めてなんじゃないだろうか。

「今日はひさしぶりに休んだなあ」

炭窯も冷えてきたし。yoromiの風呂焚き当番で、初めて新しく入ったニワトリも見ました。購入時にすでに、生後90日経っているので、赤ちゃんではない。が、ちょうど、思春期を迎えた中高生という段階か。幸い、おばちゃんニワトリたちも、静かに見守っているように見えました。
 ふと、板谷さんを思い出しました。彼は、jusaiがyoromiに入植してすぐに、ガンで亡くなられました。板谷さんを通じて、はじめて龍昌寺やよろみ村のことを知ったのです。初めての氏は、怒っておりました。怖い顔をしていました。しかし、その印象はすぐに消えて、優しくて、穏やかな顔やふるまいしか思い出せません。田んぼ仕事をしていても、亡霊のようにして、よくjusaiの意識に、その存在が現れてきます。
 今日は、itayaさんの仏壇(小卓に写真とチンとお酒が並んでいるだけですが)にお参りしました。




2012年10月24日

新車庫作り。

JUSAI 123: 車庫作り。⇒世代交代。⇒枯葉よ。

 大乗起信論を携帯している。ちらちらと読む。気に入った部分だけを読む。なるほど、そうかと思う。すべては幻影であると。だが、要点は、最初に書かれてある。信を起こさせるために書かれてあると。本を閉じて、次に本を開くまでの間、そのことを忘れる。それはすばらしいことだと思う。また、信を起こすことが一番なんだと思う。それを何度もくりかえす。同じことをくりかえしているという奇跡よ。私は断言する。決して、この私は信を起こすことはできないんだと。もしかしたら、それは可能なのかもしれないと思えること。何度もくりかえされる、同じことの間にあるほんものの、ほんものほんものよ。
 禁煙している。もしかしたら止められるかもしれないと念じながら続けている。この私という意識も止められるかもしれないという意味も込めて、念じると、止められるかもしれないという念仏は効く。

2012年10月22日

無常です。

一人、村の古老がなくなられました。隣家も病院に入っておられます。yoromi角田に車いすの古老が佇んでおられました。
 
yoromi田んぼ街道。
小指、順調に回復。ホメオスタシスすごい。予想外の抜糸。幸い、全く、無痛。鼻歌で実家によると、留守。母、自作のポシェットの修理を頼んでいた。修理というより、全く違うバッグに変わっていた。ほんとに気に入っていたのに。もうあの形をかつぐことがなくなった。いきなりのお別れ。くどいようだが、ほんとに気に入っていた。


病院の花だよりを盗撮してまいりました。おもしろいのです。中身そのものもすばらしいのです。が、私がとても、気に入ったのは中身たる花への作成者の愛情そのものです。いかに、私(のあなた)がそれを気に入っているかということが、(あなたの)私をして読ませるのです。愛はだれも所有することができないのですね。人に読んでもらいたいものがあるのですね。それそのものに素直なんですね。