2013年2月28日

作文。(与呂見村通信編集人として)

誰かが言ってました。藩とか国なんてないんだと。あるのは人の集団だけなんで。昔は目に見える範囲しか見なかったから、今の方が、はるかに中央集権的国家なんぞ、抽象的な妄想にすぎないということが自明なんじゃないか。
 集団にもその時期その時期のムードがあって、それが目に見えない形で中心となる人物を後押ししていただろうと思うのだ。よろみ村通信を読んでいて、年代が下がるにつれて、作文が形骸化しているのがわかる。書きたい人と書きたくない人がわかる。書くのがすきだから書きたいのではないということもわかる。得にitayaさん無き後は、坂を転がるようにして、おもしろくなくなってしまった。蛇足ながら、書いた人が皆、まっすぐに作文に向わざるを得ないのが作文の特質の一つでありますから、よろみの皆もそのことをはずす人はいません。しかし、私の作文は見るに耐えられない。謝ってもすまん。なんだか、マジメに作文しようと、思っております。
 でも、でも、このような作文が集まる場というのは、ありそうで無い。なんとか続いてほしい。

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