2015年1月17日

時禱詩集 リルケ

 リルケの詩を読んでいる。志村ふくみさんが書かれた本の中にコピペされているテキストである。志村さんのリルケの熱い思いから説明されてあるが、そのテキストはぜんぜん心に入ってこない。志村さんのせいではない。詩の中のことばが独り歩きしてわたしの心に届いている。だからこそ、志村さんの散文が完璧にリルケのことばを捉えてあればあるほど、志村さんの散文は私にとってじゃまなのである。

 私が読んでいるという感覚が消え去って、ことば自身が直接私の意識内で響いている。むこうからやってくる。感情などなんの防御にもならない。読後の感動はない。そこではわたしがリルケの思いを引き継いでいる。

言葉は言葉にすぎないんだね。不安が同時にある。でも天上を見上げるリルケの言葉は私にも届いているんだね。

0 件のコメント:

コメントを投稿