2011年6月27日

アオサギ

アオサギは最近はちょっと近づいただけでは、田んぼからどこうとしない。でもその姿を撮影しようとしてデジカメを持っていると車を止めただけですぐに遠くに去ってしまう。一日中田んぼを歩いていてくたくただった夕刻、隣りの田んぼで田面を凝視しているアオサギの彼がいたのでこちらも凝視した。  彼は全く私と無関係なところにいるような気がしてなんだかほっとする。小難しい問題や大問題にまみれている人の世界とは全く関係なくエサを必死に採ろうとしている姿にほんとにほっとしました。非常に迷惑な存在なのですが、存在者としての彼の私との接点の無さに心打たれました。精巧なロボットのような絵に描いたような色彩の彼は息をし又自力で動いている。写真は2009年度のものです。


2011年6月26日

6月24日現在の田んぼの様子


いよいよ田んぼの雑草とのたたかいも峠を越えようとしている。できるだけ楽に田んぼをやりたいという願いが少しずつ成果をあげているように思う。草が生える条件を一つづつ消して、生えてきても成長を妨げるような条件をつくりだし、そんな過酷なフィールドで最善をつくし幸運に恵まれた草を畦ぎわから呆然と眺めるということをやっている。用水の水が不足して深い水をためられなかった田んぼの惨状をみかねて、田んぼに入り素手で草をむしりとりながら、自分になぜだ、なぜだと問う。
草はただ条件がそろったから生えたのだろうか。ただやみくもに生えてきたのだろうか。そこに種としての意志はないだろうか。みんな生きよう、子孫を残そうという願いを持っていないのだろうか。われわれの言う意志などということばを吹き飛ばすほどの種としての意志があるような気がする。田んぼは人間が作り出した不自然なフィールドではないだろうか。自然という言葉の属性を考えるとなると膨大な知識がいりそうでしり込みをしてしまうが、あえて言いたい。
いくつもの田んぼが並んでいて、耕作をしていないものも含めて田んぼは日本の原風景というような顔をしているが、そこに集う幾種もの雑草や初期の早苗を踏みつぶしてしまうアオサギや鴨それに田んぼの畦に大穴を開けてしまうモグラも立派な原風景だ。どうしても稲を中心にしてみる目からは人工的な自然農法しか生み出せないが、そうした邪魔だと思っている動植物の邪魔があってこそ今現在の田んぼのリアルな風景が始まるような気がする。そしてよりよい気象条件に恵まれなければいかに人間が努力してもお米という品物は生まれにくい。宮沢賢治がオロオロと歩きながら見ていた風景も古きよき日本の原風景といったおおげさなものではなくて、こうしたリアルな今現在の田んぼだったと思う。
朝一番に今日一日の仕事の段取りを考えて田んぼ廻りを始めるのだが、へたくそな離着陸で稲を踏んでしまう鴨を追いかけて朝一番に自分の予定がはぐらかされて、でも鴨のかわいさにまあいいかと苦笑いしたりしながら再び畦を歩くとまあ見事な大穴が畦に開いているのを発見したりします。田んぼは想像以上に大きくて本当はここの畦を歩く予定もなかったのに鴨のおかげだと思えたりします。そしてその大穴をこのくそモグラめと言いながら踏みしめてふさぐと気のせいか稲が風に揺れている姿が稲の喜びと重なります。そしてなによりその喜びは私自身の喜びでもあります。きっとそこに自然そのものがあるのでしょう。私が気付かなかっただけで自然は自然としてあり続けていたし、またこれからもあり続けるのでしょう。

2011/6/2 yoromi Tsyoutenura

2011年6月21日

そろそろ雨が降ってほしい


田んぼの水廻りをしていると、だんだん大きくなっていく稲が大きく風にゆれているのを目にします。自分が責任を持っている田んぼと他の田んぼでは見え方というか、見方そのものが違います。自分の手塩にかけた田んぼは自分の持ち物のようでいろいろな言い訳を考えながら今現在の状態が最善であると思いたいのだが、同時にこうではなかったといろいろな後悔も去来します。いわば田んぼの今現在の有様、状態あたかも自分の心の今現在のありようも示すような気もしてなんだか恥ずかしいという気持ちもいっぱいです。
おそらく田の農民はそのような見方をしていないでしょうし、見ることすらしていないかもしれません。まあ自意識過剰の受け皿として稲が風に揺れる姿があるわけです。畦の水漏れを見つけては喜び、明確に漏れた場所がわからず水が田んぼにたまらない、たまらないと憂いたり、用水におおきな排水口のような水漏れを見逃しておきながら用水が細くてこのままでは稲が田んぼで干上がってしまうと大騒ぎしたりととても忙しい日々が続いています。
いわゆるスタンダードな方法の田んぼではもうすでに水を切り、少し田んぼを干し始めています。われわれの田んぼは中干しどころか水をできるだけ深くためて栽培しますので水の必要性は益々高く、水の入っていない田んぼのすぐ横でダバダバと用水の入り口を開けて田んぼに水をジャブジャブと入れています。
皮肉ではなくてほんとうに親切な与呂見地区のおじいさんやおばあさんは私の顔を見るたびに「もう水はいらんげぞ」と大きな声でどなります。与呂見地区の家々の田んぼは約17枚ほどありますが、各所にそんな声が待ち構えていて気の小さい私は少しオドオドしながら水廻りをしています。米ぬかをいれて深水で稲を育てる方法に確信を持っているつもりですが、心はほんとうにこの方法が最善であるのかと問うてきます。
もちろんこれらの対話はまったく静かに自分の心のうちになされているだけですので、自分自身だけが感じる喧騒は外には漏れていないのだと思っていますが、稲には伝わっているかもしれない、田んぼの水まわりをしているもののブレはただちに稲の生育に影響を与えるのではないかと疑っています。水位の低下が激しい田んぼの水漏れの原因をつぶした瞬間に稲は風に揺れてその安堵とその喜びを即座に表現しているように思われます。
どうにも客観的にというか、正確に田んぼで何が起こっているのかがわかりません。田んぼを思う自分の心の動きと稲の実際の生長を混同してしまったり、必要以上にドラマ化してしまうのは大げさな性格のせいではありましょうが。
ただ一つ感じるのは時代というか政治制度や文化が少々変わっても田んぼの基本的性格は不動であるということです。水を必要とすること。そのためにこれからの農民もがんばるのだろうということです。治水の性質上、個人的な単独行動は制限されムラゼンタイという発想は消えることがないでしょう。そこにどんな名前の政治制度や経済制度が被せられてもです。そのような田んぼの自立性に私自身呪術的な性質を被せることなく田んぼの過去や将来を考えられたらいいなあと切に願っています。


2011/6/11 sakata yonmaida

2011年6月12日

やすむぞ2


民主党の補助金制度のせいであろうか、長年休耕していた田んぼで田植えがされている光景に出くわします。田んぼが復活することはめでたいことなのだとは思うのだが、うがってみてしまうとお米の生産量と補助金が第一義で、田んぼ自体に目がいっていないのではないのかと思ってしまいます。もちろん、お金が悪いと言っているわけではないですし、生産量はとても大切な目標であることは間違いないですし、何も古き善き田んぼというような国粋的な思想によるものでもないのですが、なんだかさびしい。
笑ってしまうほど、丁寧に草刈がなされている畦道や周辺の様子をまるで家の中を手入れしているようだと思っていた近隣の農家の人たちの仕事ぶりが実は日本の美しさのかなりの部分を育ててきたのではないかと思えます。
そうした丁寧な仕事振りに比べたらわれわれだって土木的な仕事ではあるのですが…。
なんというかわれわれは頭で田んぼ仕事をしているが、在来の農家の方々は身体全体で田んぼにいるというか仕事ではなくて人生のしっかりしたひとコマを営んでいるというか、時間をしっかりと積み重ねているというか。
きっとお百姓さんはおれの田んぼなんて思っていなかったのだろうなと思う。先祖から受け継いだ田んぼを当然のように子孫に残すためにやっていたのだろうと思う。言葉にするとちょっと変だけれども、そんなに自分のことを言語化していなかったんだろうなあと思う。


2011年6月11日

雑草との戦いであります



誰も種をまいていないのにもかかわらず、雑草はコンクリートをもつきやぶって生えてきます。よろみ村の田んぼでは長年、田んぼにみんなで入って草取りをやってきました。みんな年をとったり、めんどくさいのはたまらんと思ったり、あるいは書籍にて米ぬかがきくというのを読み省力化でいいのではないかと考えたりしながら現在では田んぼに米ぬかをそのまま散布して田んぼの水を発酵させて、濁らせて光をさえぎり、深水による酸素供給の停止効果とともに雑草の発芽を抑えるというやり方を実践して数年が経ちました。
当然のこととして水を大量につかいます。幸いというと我田引水になってしまうのですが、休耕田が多い当地では比較的自由に用水を使わせてもらっていますし、もともと水に恵まれている場所ということもあって水の乏しい一部の田んぼを除いてうまくこの米ぬかは機能してきました。雑草を抑えるとともに肥料効果もあり年々目に見えて発芽自体がむずかしくなってきた田んぼもできたように思います。
田んぼをやっておられる与呂見地区の方々はとても仕事がていねいで上手に適量の水を使うので尚更水には困らずにやってこれました。
しかしみんなで田んぼに入らなくなって田んぼ仕事も効率的になったのでしょうが、どこかにさびしい思いがよぎります。手で除草をしていたときはそれこそ6月いっぱい、2、3回は約34枚の田んぼを巡回していましたから…。一生懸命だったのです。なにより田んぼというのは不思議なフィールドで、いやいや入ったにせよ一端入ると黙々と目の前の雑草(要するに稲以外の植物)をとることだけしか考えられなくなるのですから、おいしいお米のためになどという雑念も消え果ててただ、田んぼにおるのですから稲がその熱い思いに気が付かないはずがない。
よろみのお米のおいしさは人間の労働量に比例しているはずだと思いたい。
その風景が全く消えてしまったのだからさびしいです。いまや草取りは個人的な仕事になってしまったような気もします。別にみんなが仲良く田んぼに向かっていたわけではないけれども田んぼはそんなバラバラを一つの風景に仕立て上げる見事なフィールドだったと思います。
いつまでも感傷に浸ってはおられませんが…。新しき田んぼの風景が広がりますように。願わくば、土木工事をやっているような田んぼ仕事になりませんようにと自戒しております。何千年も続いた田んぼが我々のこざかしい農法の小さな変化で変ってしまうとは思えません。



原発を拒み続ける小さな島

 現実ってあんまり大きすぎて目に見えない たいへんなことが起こっていなくても やっぱり大きいのだろう あんまり大変すぎると ニュースにもならないし 正確に起きていることを説明すると 結末のないというよりは結末しかない 物語のようにしか聞き取れない 読めない物語のようだ 国際的に信頼されている機関の説明が まるで出来すぎたシナリオになってしまうのは恐ろしい 
相変わらず責任者の顔が目に見えないのと 放射線が見えないのとぐちゃぐちゃになってしまい 最終的には各人がどう読み取るかしか手がないではないか 世界は 日本は もはや全体がパニックなのではないか もともと明日は希望とともに成立するのならば もしも明日がまだ人間のもとにあるのだとして 昨日のような顔をした今日がまだかろうじてあるのならば どれほど悲惨な物語が今進行しているのだろうか
こどもたちはみんなちゃんと大人になれるのだとして 未来の大人は今日の大人をどのようによんでいるのだろうか かっこいい大人たち
をみつけることができるのだろうか

2011年6月6日

あんたにゃかなわねえなあ

 ソウルという名前の青年と小さな旅をする おっさんと若者だからそうそう話は合わない こともないのだ こいつのとおちゃんはその世界ではものすごい有名人で その遺伝子を直接うけついだ目の前のこの若者は やっとそのことに気付きつつある いや遺伝子同士だからよそもののおいらにはわからねえ世界の話かもしれない ネムと呼ばれたこいつのとおちゃんの話が車中で話題になる すごいなあ、すごいなあとうなづきつつも どこのなにがすごいのかはちっともわかっていないおいらの大脳は ときどき本人の意思にそむいて一服こいてやがる が、ネムさんのことを考えるとしみじみと笑いがこみ上げてくるおいらなのだ 一服こきすぎて空腹でダメを押された大脳とともにすしべん(当地で有名な飯屋さん)にはいって カツどんを食う あまりのうまさに満足すると視野のかたすみにおっさんのオーラが侵入する 偶然をおどろく前に全ては定められた運命のように展開する ネムさんの実物がおれらのテーブルに近づいてきてすわると カツどんを注文した それは、まぎれもなくネムさんの本物だったのだが それでもなお、ネムさんのイメージを追うしか手がなかった今日の私でありました まあただの偶然ですけどおー ネムさん画像あり(撮影 村田和樹)

2011年6月5日

田植え終る


ようやく、田植えが終わった。代かき(田んぼの耕運です)をして翌日田植えというセットが6回で12日かかりました。田んぼが34枚で、3町3反といってもなんのことだかわからないですね。やっている仕事は田んぼに水を入れてトラクターで耕運して、田植え機で植えるだけなのですが、面積の単位も想像しにくいと思います。
田んぼの基本単位が300坪で一反(たん)、これが10枚で1町です。よけいに広さがイメージしにくい。実際に田んぼに入っている私も毎回入ってみて、広いなあとか、以外に狭いなあとか感じるだけで田んぼ自体の説明もなかなか言葉では難しいのです。とにかく、ほぼ平らなフィールドが畦という囲いで囲まれていて、土をトロトロにこねることによって、水がいっそう漏れにくくなる場所という以外に手がありません。
近所の農家のじいさんばあさんも小さいころから仕事というだけではなく生活の中の風景の一部として身についていて、いや生活そのものとして田んぼがあたりまえにあったのでしょうから、なおのこと言葉で説明する機会すらなかったのではないでしょうか。
私などは農家とは直接関係のない給料生活者の家で育ち、田んぼってどんな風になっているのだろうというただの好奇心から始まったので、当然本や経験者の言葉でスタートして今に至っています。20年ほど経ちましたが、今にして思えるのはもちろん、本の知識も相当に役立っているのだけれども、毎年晩冬から晩秋までほぼ同じ行程を繰り返してきて時季ごとのお天気の中で、この身体が直接田んぼというフィールドから感じてきたものがきちんと積み重なって今年の米作りがあるのではないかということです。
川の水をせき止めて長い用水路をクワで掃除する時や崩してはまた塗りなおす畦を眺める時に自分の視線の中にもうとっくの昔に死んでいる農夫や近年亡くなられたじいさんの視線を自分が見ているという錯覚にとらわれることがあります。生前何のコネクションもなかったじいさんが縛った縄を見たり、隠れた排水口を示す記号のような杭を見て涙が出そうになったことがありました。あるいは、まだ生きているのに、急激に老けてしまったじいさんを見てごくろうさまでしたとつぶやいていることもあります。
かと思うとカエルやカッコウやアオサギやその他もろもろの生き物たちの若々しい鳴き声にうれしくなったりもして、まわりから見たら黙々と(仏頂面で)田んぼのそこかしこで仕事をしているように見えていろいろ考えているもんだと関心します。(自分を)
在所の家々は丁寧な佇まいをして建っていて、畑のそばには南無阿弥陀仏と刻印されたお墓がぽつんとあります。在所のじいさんばあさんは文句泣く季節の循環のようにして、そこに入るのだと疑いなく決めているのではないだろうか。死ぬのはあたりまえだとわかっているのではないだろうか。頭ではなく頭も含めた身体全体にそうした法則がお墓に刻印された南無阿弥陀仏のように刻まれているのでないだろうか。
無限の彼方から始まったのではないにせよ、相当長い年月の繰り返しの中で、土をいじり、道具をふるうそれら農村の姿に自分も少なからずいいものを受け取っているのではないだろうかと思います。自分でもわからないのだけれども、もしかしたらそのわからなさは言葉にしようとすることから始まっているような気がしてきます。静かに世界に耳を傾ければ聞こえるような気がします。目だって、鼻だって、ほんとうは想像だにできないような記号というか信号というか合図というか、うーむわからないけれども、何かあるものを感じているような気がする。
何と言ったらいいのかわかりません。




2011年6月3日

助かります

ちはるにそうるにおとわきくん、ありがとう。ほんとにラクチンです。田植え機が入らないところは手で植えなければならないし、田植え直後に米ぬかを手でまかなければならないし、人出が即、戦力なのです。なにより、にぎやかでおまつりみたいでいいです。にしても、小さな田んぼにいったい何人いるんでしょう。

いまだに現在進行形の

Kさんのリヤカー

こざかしい知識などいらねえ

いかにもみたいなのはなおさらいらねえ

田んぼは毎年つくられてはこわされる

来年の種もみだけがそれを知っている

何千年かはしらねえけど

一世代もとぎれていねえからすばらしい

こんな大きな話じゃなくても

小さい話もすばらしい

こざかしいのははずかしい

こんなことをいっているおれさまが

こざかしい はずかしい

Kばあちゃんの仕事量に関して

ばあちゃんだいじょうぶかい

そんなにふらふらしてだいじょうぶかい

もうとしなんだからゆっくりやればいいじゃん

やさしくてまじめなおれさまはばあちゃんの心配をするが

ばあちゃんの手は何十年もくりかえしてきたしごとを

追いかける。ちょうどよいタイミングで、今できる最善の速さで

ごちゃごちゃこざかしい知識だけでものを言うおっさんに

見るに見かねたようにしているのは

ばあちゃんのこころではなくて

ばあちゃんのしごとそのものだ