2011年6月5日

田植え終る


ようやく、田植えが終わった。代かき(田んぼの耕運です)をして翌日田植えというセットが6回で12日かかりました。田んぼが34枚で、3町3反といってもなんのことだかわからないですね。やっている仕事は田んぼに水を入れてトラクターで耕運して、田植え機で植えるだけなのですが、面積の単位も想像しにくいと思います。
田んぼの基本単位が300坪で一反(たん)、これが10枚で1町です。よけいに広さがイメージしにくい。実際に田んぼに入っている私も毎回入ってみて、広いなあとか、以外に狭いなあとか感じるだけで田んぼ自体の説明もなかなか言葉では難しいのです。とにかく、ほぼ平らなフィールドが畦という囲いで囲まれていて、土をトロトロにこねることによって、水がいっそう漏れにくくなる場所という以外に手がありません。
近所の農家のじいさんばあさんも小さいころから仕事というだけではなく生活の中の風景の一部として身についていて、いや生活そのものとして田んぼがあたりまえにあったのでしょうから、なおのこと言葉で説明する機会すらなかったのではないでしょうか。
私などは農家とは直接関係のない給料生活者の家で育ち、田んぼってどんな風になっているのだろうというただの好奇心から始まったので、当然本や経験者の言葉でスタートして今に至っています。20年ほど経ちましたが、今にして思えるのはもちろん、本の知識も相当に役立っているのだけれども、毎年晩冬から晩秋までほぼ同じ行程を繰り返してきて時季ごとのお天気の中で、この身体が直接田んぼというフィールドから感じてきたものがきちんと積み重なって今年の米作りがあるのではないかということです。
川の水をせき止めて長い用水路をクワで掃除する時や崩してはまた塗りなおす畦を眺める時に自分の視線の中にもうとっくの昔に死んでいる農夫や近年亡くなられたじいさんの視線を自分が見ているという錯覚にとらわれることがあります。生前何のコネクションもなかったじいさんが縛った縄を見たり、隠れた排水口を示す記号のような杭を見て涙が出そうになったことがありました。あるいは、まだ生きているのに、急激に老けてしまったじいさんを見てごくろうさまでしたとつぶやいていることもあります。
かと思うとカエルやカッコウやアオサギやその他もろもろの生き物たちの若々しい鳴き声にうれしくなったりもして、まわりから見たら黙々と(仏頂面で)田んぼのそこかしこで仕事をしているように見えていろいろ考えているもんだと関心します。(自分を)
在所の家々は丁寧な佇まいをして建っていて、畑のそばには南無阿弥陀仏と刻印されたお墓がぽつんとあります。在所のじいさんばあさんは文句泣く季節の循環のようにして、そこに入るのだと疑いなく決めているのではないだろうか。死ぬのはあたりまえだとわかっているのではないだろうか。頭ではなく頭も含めた身体全体にそうした法則がお墓に刻印された南無阿弥陀仏のように刻まれているのでないだろうか。
無限の彼方から始まったのではないにせよ、相当長い年月の繰り返しの中で、土をいじり、道具をふるうそれら農村の姿に自分も少なからずいいものを受け取っているのではないだろうかと思います。自分でもわからないのだけれども、もしかしたらそのわからなさは言葉にしようとすることから始まっているような気がしてきます。静かに世界に耳を傾ければ聞こえるような気がします。目だって、鼻だって、ほんとうは想像だにできないような記号というか信号というか合図というか、うーむわからないけれども、何かあるものを感じているような気がする。
何と言ったらいいのかわかりません。




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