2013年12月10日

第6回輪島中学校統合準備委員会。

 6月以来開かれていなかった輪島中学校の統合準備委員会があった。この間、三井中学校に教育委員会がいきなり訪れてスクールバスの要望は受け入れず、既存の民間路線バスを利用すると通告してくる。(この言い方は、きついかもしれんが、あえて教育委員会の仕事ぶりを讃えたつもり)
統合反対の要望と同様に、なんだよ最初から決まっていたのかよという感じである。
 ちいさな会議室に30人ほどがいて、そのうち、保護者は10人もいただろうか。あとは学校の先生に市役所の人のみであった。半年ぶりの開催にもかかわらず、用意されたレジュメは議事進行以外はまったくの白紙。議事にて制服や校歌、通学などが報告されるも、真新しいことはなく、校歌は依頼した作詞者の作品があまりにも幼稚で50年にたえる綿密な準備過程にそぐわず、作曲者の天沼氏に作詞も依頼している段階なのだそうだ。
 小さな会議室には統合決定後すみやかに決定した男女の制服と体操服(コムサデモード)が並ぶ。最後のあいさつにて、某中学校校長先生が、散発的に実施された各小中学校の交流にて、大人と違って子供たちはオープンで適応力があるから安心しましょうみたいな、まさに大人の無関心ぶりを象徴するような意見を述べて会は参会する。所用時間1時間、予定どおり。
 唯一、三井小学校の父兄であり、統合問題をまさに問題としてひきあげてくれた萩野さんが、質問時間にて、この統合委員会はいったい統合問題にどのように関与しているのか、その意味がわからないと、やんわりとやさしく、かつ理論的に言われた。彼がいなかったら、形式だけの会議が何回かやられただけで、新中学校は稼働していたことだろう。
 自分のこととして、自分を勘定からはずして考えるような市民が不在の状態で民主主義的手法だけを進めてしまうと、議論する場所もなく、新しい施策が発表された段階ですべてが決められているということになる。そして施策に対して何も言わないということそのものが、即推進への力となっていく。「決まったもんを、ごちゃごちゃ言うてもね」「なかよおせんかまああ」。とまるで鎌倉時代のまんまのような状態であることが露呈される。
 これらの批判は、私自身に向けられている。誰かが言うとったけど、日本は近代の体をなしていないというのはほんとうだ。

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