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2014年1月13日

正法眼蔵勉強会2日目。

  どのような日常的な行いも出来事ではあるが、この出来事という言葉は重要な意味を持たされはじめている。哲学のテキストに、あるいは呪術師の発話にと。重要なという意味は特殊なという意味に屈折し、特殊はいずれはユニークつまりは唯一に微分される。
 宗則さんは、昨日、入浴前の雑談にて、「正法眼蔵ほど、おもしろい話はありませんからね」と言われました。正法眼蔵に対するイメージに仏教ということと、お坊さんということがこびりついています。どのようなテキストとも共存できない特殊な世界の特殊な言葉が書かれてあると思う私にとっては、これをお話や小説、もしくは物語にできないというへんな自信があります。いわんやテキストなどと呼べるはずがないと。かたくなさは、この固さは仏教やお坊さん、法としての経典(こんな言葉は使いたくないのだが)を思考することを妨げていると思う。形而上学を入れると尚更、味わいにくくなる。
宗則禅師。
しかし、私は形而上学をまったくわかっていない。余裕を持ってわからないと豪語している。なぜわからないことがわかるんだと、自分の大脳に問いかけてみたくなる。何一つわかっていないということを知ることができるということはすごいんじゃないだろうか。わからないその人はなぜだか、とてもうれしそうに笑ってすらいる。こんな私でも、チベットがいまだ中国軍から侵略されていない時代のお坊さんの笑顔と、中国政府がポタラ宮殿を金ぴかに補修し、どこぞの僧院のお坊さんの迷いに満ちた素顔との差ははっきりとわかる。正法眼蔵にも、わからないということのままに生き、なおも法を求めるからこそ、ここまで法は伝承されてきたのだということが実際の禅師と弟子との逸話(これは物語ではなく、実際にあったこと)を通じて記されてある。
 私が得度した時、習わしとして、釈迦牟尼仏を起点にして、歴代の禅師の系図を筆で書かされました。ただでさへ、出家してお坊さんになるということにド緊張していた私の驚きを察してください。思わず、村田住職に言いました。「つながっていたんですね」「文字のない時代なのに?」私は系図の最後に村田住職を書きました。私の持っている手がきの系図の中の和樹さんは、私が弟子をとらない限り、私の手がきの系図で終わってしまうことを知りました。(システム的にです)
 やがて呪術的なムードは去りました。私は呪術のことなどまったくわかりません。岩波文庫の正法眼蔵第一巻末尾の法系図は幹にある大師しか記載されていないのですが、枝葉を入れると厖大な法伝承者がおられます。それら全部の禅師が記載されたものがあるのだそうです。村田住職の正式な弟子は現在4人いますが、この全員が弟子を持たないと村田住職の名前が書かれた系図は4枚しかないということになります。

 あきらかに、昨日の記事はわたくしの構築した物語にすぎません。確かに法は語られましたが、さて法はテキスト化されていますでしょうか?今日の輪講で、お坊さんということが話題に上りました。「私はお坊さんじゃありませんから」と宗則さんが言われたのは世間でいうところの葬式などの儀式をとりあつかうことを主たる行いとするお坊さんではないという意味なのでしょうが、私はここでも、そうは言っても、歴代の祖師のごとく、ブッディストであり、ほんとうのお坊さんなのでしょうとつぶやくのでありました。私が私になりきった時、私を私と名指す差異はどこにもないのですから、私はもはや、なにものでもありませんとおっしゃっているのにもかかわらず。
 何度でもわからないんだあと顔に手をあて、その舌のねもかわかないうちに、がんばっておれもわからないをわかるんだと傲岸な顔をしているのでありました。しかし、私は私の顔を私の視線でもって見ることができないのでした。そのことを知っているのでした。

 宗則さんの提唱

 多処添些子(たしょてんしやす) 多い所にちょっと足す=大悟

 少処添些子(しょうしょてんしやす)少ない所にちょっと減らす=劫迷


道元禅師は、言葉を二重に使う、同じ言葉を別なところで違う意味で使うのだそうです。「気楽に読み物のようにして読書したいのですが、古文の知識などを補いつつ解説しているうまい参考書はありませんか」と尋ねると、「ありません」「水野先生の脚注で十分です」村田住職は、んなもんあるわけがないみたいな顔をされました。ですよね、「道元禅師の表現なんすもんね」とたかをくくったのでありました。「宗則さんは、それこそ、40年間、何度も何度も自分の頭で読んできたんですから」「わしなんか、3行で終わっちまうところを、道元さんはこんなに厖大な文章を残しておるんやぞ」



それにしても、わがメモのひらがなのなんと多いことか。文字じたいを知らないのでありました。

特記 宗則さん、村田住職ともに、「正法眼蔵は道元禅師の表現なんですよね」に対して「そうです」    とおっしゃいました。


2017年8月19日 訂正
村田和樹の正式の弟子は4人ではありません。ご子息もお弟子さんでした。遼雲さんが、きっと法をつぐのではないでしょうか。あるいはもうついでいるのではないでしょうか。

2014年1月12日

正法眼蔵勉強会1日目。


左 櫛谷宗則。 右 村田和樹。
今年はじめての更新です。今日は櫛谷宗則さんを招いての勉強会でした。集ったのは9人。こじんまりと、降雪の中提唱の声が響きました。正法眼蔵「現成公案」。ここに書かれてあることは仏の目から書かれてあるので、凡夫にはわかりません。と言われる。ニュアンスは上からではありません。あくまでも、ただの事実として説明をされました。何度も何度も読み下してきたセンテンスを追うと、まあこんなものかとわかったような気になっています。しかし、皆と輪講するうちに、わかるということは、仏法の話の場合、まるでわかっていない、もしくは、本旨から遠ざかるということがテーマとなって、我が身にふりかかってきました。「おれだけがわかっていなかったのか!」坐が暗くなっていきました。すでに積雪に囲まれて消音されていたのですが、さらに、どんどん静かになっていきました。むろん、私の見える風景がです。
 まさやさんが私に向ってストレートに言われます。「宗則さんを坊主であるとか、そういう風に見ることは違います。あくまでも、ぼくたちと同じなんです。仏法の話における言葉は、にしかわさんが意味づける言葉とは違うんです。むしろ言葉の出る瞬間、つまりは言葉そのものの前後における時間を見るということにおいて、ぼくたちと同じなんです」(意訳)
 村田住職も言われます。「つくづく、仏法の話をする場が無いんだなあと思う」
あらかじめ、構築された私が身聞きし、意味づけする場に、宗則さんの言葉をすっぽりと当てはめていては、未来永劫、宗則さんの言葉は入ってこないのだ。
 慈行さんが隣の席で言います。「言葉ってのは、ほんとうに、引っかかり安いものなんだ」
2年ごとに訪れる宗則さんの言葉がどんどん磨かれていくと、皆は言います。もう何度目でしょうか。あいかわらずの私に宗則さんは、またまた、同じ質問をされました。「なぜ小説を書くんですか」私はなんにもわかっていないんですと言いたいのに、そのことにしっくりする言葉が私の中にまるでない。龍昌寺の庫裏は、言葉が力を持つ。その力の前に、さらっとした読書などで得た私のボキャブラリーのおもちゃ箱の中を幼稚園児のようにしてがちゃがちゃと手をつっこんでも、何もない。とりわけ、私を楽しませるものが皆無である。
 あれこれと思い悩む思いよりも、生命=いのち、今現在、この場所でも事実としてあるこのこれの方が、はるかに古い。いやはるかでなくてもいい。思いが生命のことをとやかく言うことの無力さはふつうに考えてもわかるはずなのに、驚くことはおろか、聞く耳すらないのである。積み重なってあるわけではなく、その都度、その都度なまなましい。
 すかさず、まさやさんは言う。「ぼくがぼくのなまなましさに追いつけないんですよ」ムリなんですよ。だからこそなまなましいんですよ。
 宗則さんの提唱。

「諸法の仏法なる時節」この一語で驚いていいんです。続くありありあり、断絶です。そしてなしなしなし、続いているんです。」庫裏に不怠(ふたい)という言葉が輝いておりました。これは怠けるなというよりも、怠けていられないということです。宗則さんが話すと、道元禅師もお釈迦様も身近です。おじいちゃんの何代か前という感じです。まるで言葉が宗則さんの身体を借りて降りてくるみたいでした。

追記。ここで書かれた言葉の時系列は私が編集したもので、各人の話した内容もかなり意訳いたしております。ですから、各人の意図とはまるで違う可能性が高いことをお断りしておきます。

道元禅師の歌が紹介されました。私としては以外でしたが、かなり多作であったとのこと。村田住職によれば、吉本隆明は3流と評価されているとのことです。

 風もつながぬ
 
 すておふね

 月こそやは(夜半)の

 さかりなりけり

2013年11月30日

とにかく座りなさい。


 座禅体験の行事が終わりました。何がわからないのかがわからないという状態で、はたして、道元禅師に対する懐疑が深まるなどということがありえようか。疑いなど持てようか。いったい何を伝承してきたのかがわかっていないものが何を言っても届かない。

 村田住職が具体的に座禅の方法を教えてから、皆がチーンの合図で座りはじめました。静かで厳かな空間に一瞬にしてなりました。自動的な感じが、伝統っちゅうものを感じさせてくれます。疑いなど感じているひまもありません。けっこう座れるじゃん。そして身体の痛みがそのようなドラマを吹き飛ばしてくれます。はよ終わらんかな。

 座禅を終えて、庫裏にて、談笑しました。村田住職は話すことを入念に準備されていました。メモを見ながら、子供たちやご父兄の反応を見ながら自分のご先祖さまに対してのありがとうとすんませんをそのままあらわしているのが合掌であり、そのような単純な事実を常に忘れていること、何がわからないのかがわからないのだという状態を自動的に感じざるを得ない行いとして座禅などがあるということを知らせてくれました。村田住職はちゃんと衣と袈裟を装着されておられました。

あいかわらず、自分を中心にしてしかこの場を見ない私は、勝手に、三井の地元からやって来られた方々が思うのは、この龍昌寺という寺がわざわざ、金沢から輪島にやってきて、この寺の住職はいったい何をどのように、またなぜ、やっているのかを知りたいと思うんですよとやってしまった。「みなに自己紹介をという前に和樹さん自身の紹介をしてからにしませんか」と。師は「そんなもん、あんまり、どうでもいいじゃないかな」と一蹴されました。

 しかし、子供たちのための行事であることをすっかり忘れておりました。緊張してみなをもてなさないとと思っていたのですが。朝のお勤めに行くと、本堂には座布団がしかれており、庫裏にはストーブのための薪が並んでいました。そして、お勤めの後に和樹さんが「雪が降っとってみんな大変やね」と言いました。私はなんと言ったと思いますか。「みんな三井の人ですから雪には慣れています」です。何の準備もしていないで、自分の準備しかしていない。30分前にIさん母子がよろみ村までやってきました。ほーれ、皆さん勝手にやってくるではないか。さても、Iさんは「寺への入山口と県道からこっちに入ってくるところに人が立っていたほうがいいかもしれませんねえ」そうか、とあわてて、車で県道と市道の交差点にて皆さんを待つ。お父さんが同行できないKさんのご子息を助手席に乗せて本堂に帰る。車中Kくんは理路整然と寺ではみなさんどのようにされているんですか」とあたりまえのことを尋ねられる。ぼけーっと本を読んだりしているだけだとも言えず、考えているふりをしながら、自分でのわけのわからないことをしゃべっている。その醜い姿だけは見せてくれる。何でも素直に聞いてくれるから、Kくんの応対は、ますます私の醜さを浮き彫りにしてくれる。

 
自分のことをも、もてなせない者に他人をもてなせるわけがない。他人をそのまま感じることができない。なんとなく、で行事を終わらせて散会となる。Kくんのお父さんはまだ来ないので二人して庫裏のストーブの前で話す。「さっきの寺の人は今どこにいるんですか?」さっきの寺の人というのはおそらく村田住職のことだろうと思い、さっき座った場所のその奥にふつうに暮らしているよ。場所、ふつう、暮らす自分の話している言葉の正確性を問うているつもりだったが、そんなことをくりかえしているオトナの言葉はひどくわけのわからないものと感じることだろうと思う。何を伝えたいのかが全てじゃないか。一人で問うしかないんだ。この寂しさの真っ暗闇まで行かんといかんのだ。そして窓が開かれるようにして、他人の存在があるのではないか。まだそこまで行ったことがないから、ゼンゼン想像でしかないのだが。
右 村田住職(ブログへ)  左 三井小学校の児童たち。
「12月8日はね、お釈迦さまが悟りを開いた日なんだけれども、そのことを追体験するために、12月1日から8日までずーっと座禅しっぱなしのお坊さんが日本国内に1000人ぐらいはいると思うよ」と知ったかぶりをするとKくん、驚いてくれた。「そんなこと可能なんですか?」「やったことがないからわからないけど、可能なんだよ」


 昨夜、晩御飯の時に、末娘がうれしそうに、「死後の世界ってあるげんよ」と言った時に、これだけは大切だから言っておかないとと思って、「戻ってきて死後の世界を説明しているだけで、その人は結局、まだ死んでいなかったのだから」と言ったとたんに末娘が烈火のごとく怒りました。「うすうすそんなことはわかっていたけれども、こんな時に自分の考えを押し付けているあんたは空気が読めないKYやけーわい」今度は私がキレて「どんな空気や、一生空気を読みながら生きていくんかい」と論点を完全にずらしてしまいました。


落ち着いて考えてみると、私はまだ死んでいないから、死後の世界があるかどうかわからないということを言いたかったんだな。と思いました。でもやはり死後の世界なんてないんだあと断定しているとしか思えない口調だったのだ。それを末娘は怒ったのだった。



2013年5月7日

正法眼蔵勉強会。3日目~4日目。(?)

 夢を見ているような時間でありました。正法眼蔵の勉強会のことであります。tokyo ginzaにあるギャラリーバー kajimaのkajima makishiさんを通じて知り合った方々が一斉にyoromiに来られます。よい意味でも悪い意味でもなく、yoromiが彼らが帰られるまで乗っ取られます。そして彼らも酒を呑み、タバコを吸い、それはまるでギャラリーバーkajimaそのものがこちらにワープしたようでもあります。違うのは彼らは早朝より坐禅をくみ、経をとなえることから一日が始まるということです。宿坊に泊まり、生活そのものでもあり、旅でもあり、ある種のセッションでもあります。三日連続していわば、議論もすれば、それぞれの今を語り合ったり、うっすらと中心テーマが浮かびあがってもきます。村田住職の「正法眼蔵」現成公案の講義が中心であることは当然なのですが、村田住職はそのテキストがテキスト自体を無に帰するものとしてあると言います。ただ、間違いなくそのテキストが無ければ、この勉強会も無いことも言うまでもありません。
 私の夢はそうして今も続いております。勉強会ではたくさんのことを聞きました。見ました。それらを整理しようにも、なかなかできません。同時に整理しようとする、そのことが、私が夢から覚めることを阻んでいるように思えます。私が生きているということを言葉にすること自体が私自身を一つの物語に閉じ込めているのではないのか。堂々めぐりはそのようにして、そこで起こっている。ただ堂々めぐりをしているポイントが、もしも一瞬でも見えたとしたら、事態はほんの少しづつ変わってきている。そして、今というポイントが微細な変化の数々を現実たらしめていることがわかる。一つたりとも同じことを繰り返すことができないのだと教えてくれる。
 彼らが帰った後の寂しさときたらありません。再び私のyoromiが私の目の前でさびしく広がっています。ほんとうに夢のような時間をありがとうございました。ここで改めて、yoromiに来られた方々の一人一人に心からお礼を申し上げます。私が夢から覚めた時、みなさんは私にとってほんとうの実在として、他者として私の存在と呼応していただけるものと確信をしております。yoromiは暮している私たちからしても謎の定義不能の場所であり続けてほしいと、願っております。


追記。

arimaさんへ。

 コメント機能、今一度試してみてください。こちらでも触ってみますから。

2013年5月5日

正法眼蔵勉強会2日目。

 よいライブを見たすぐ後の感想もだいぶん時間が経ってしまった後の感想でもない、感想を書きたい。murata住職の話よりも、murata住職の話す場がキラキラと輝いているように思えた瞬間がありました。話の内容に興奮したのではなく、そこに必死になって自分自身の今を話している人がいるという喜びです。もちろん、たくさんの言葉を教えてもらいました。murata住職以外にも、たくさんの、それぞれの今を聴かせてもらいました。つぶさにメモだけは、それぞれの名前とともに書いてあるので、明日最終日が終わってから整理整頓をして紹介したいです。あしからず。今日はここまでで。

温くなって葉物がいっせいに芽ぶきました。どの畝がどの野菜かわからなくなってしまいました。いずれはわかります。

2013年5月4日

正法眼蔵勉強会1日目。

miyuki masanari。トップバッター。「にっちもさっちもいかない私」
誰かが演壇に立ち、それを聞くというスタイルは、どのような趣旨の会であれみながマジメにならざるを得ない。マジメというのは従来の意味のそれとはちょっと違って、もっと深いものがあると思う。そして演壇に立つものの全部があからさまになるのである。話を聞く人の解釈により、それらはいかようにも広がっていく。演壇に立つものは、そのような意図を持っていなくとも、自身の倫理を越えた倫理が突き立てられているのだ。今、あなたの口から出ている言葉は、ほんとうにあなた自身が語っているのかと。あいまいなムードや空気をすくい取っているだけなのならば、あなたはただの幽霊だ。ロボットにもなりきれていない霞みのようなものだ。
 演壇に立っているものは、自らに責められながら自らを探し、自らを語るのだ。自らを絶望に駆りたてるのだ。そのことに耐えうるかではなく、そのことを受け入れられるかが、あなたがそこに立っている理由なのだ。

左 sumikoF 右 itayaA。どうもです。

2013年5月3日

正法眼蔵勉強会。前夜祭。

 人の言うことを聞くことは困難であるというより、不可能であるということから、人の言うことを聞くことは始まる。ということをinekoさんから教えてもらった。masanariさんはどんなに反省してもあなたには人の言うことを聞くことができない。と教えてもらった。以前なら、泣いて逃げ帰るのだが、聞きたかったんだ。誰かがいつも言ってくれていたのに、まだ、言ってくれる人がいるんだ。やっとわかった。erikoさんはずーっとこのことを言い続けていたんだ。(更新、5月4日2時)聞くということから始まるのが仏典の読解でも、理解でも解釈でもない、まずもって枢要な行為である読むという行為である。

2013年1月28日

勉強会。初日。

 農閑期というより、雪で何もできない僻地ということに甘えて、冬休みだと豪語してきたのですが、老齢による体力低下やピークをむかえつつある子育てでのコストアップなどなどの理由でなかなかのんびりできないなあと思いながら、やっぱり脳みそが熔けそうな時もあったりして、最近テレビでは、ものすごく立派なお父さんが出てきたりして、末娘の手前、もはやダメおやじでごめんねと言う気も失せて、それでも今、このようにしてあるしか手がないのだからと、気をとりなおしながら、生きております。
 さて今日は勉強会であります。先生は佐野さん。(2011年冬の勉強会→)もはやかってに思っているのは、お坊さんから何かを得ようなんて思うのがまちがいのはじまりなんで、お坊さんがいたら、その香りを素直にをかげばよいのだということであります。お坊さんの持っている経験やその他もろもろが、たとえものすごく、価値が高くて有用であっても、そのお坊さん全体を味わうには、かえって、有用であればあるほど、邪魔なものになっているのだということに、思いをはせることこそが、お坊さんに最も敬意をはらうことなんであると思うのです。仏教は本来、不立文字なのであり、どのような偶像もないのだし、当然のことながら集団という志向性はゼロなのであります。ブッダもダルマも当然のごとく、自らが自らの最大にして、最愛の解釈者なのであります。
なんとなく思うのは、最大の敵のもとでもっとも輝くのがbuddhismもしくは禅なのであります。敵は文字ではなく言語なのです。ご立派なお坊さんですねとご本人に言うことこそが、眼前に立つつるつる頭の人の全存在を否定することなのではないだろうか。
この経本は、西川家の仏壇の引き出しに入れてあったもので、七尾市常福寺よりと裏書されている。筆跡がばあちゃんかな。わからない。じいちゃんの父ちゃんが能登島から輪島市に来て雑貨屋を開いたのだが、お墓の竿の部分だけが能登島に残っていて、それを輪島に持って来た時にお世話になったのかな。顛末はわからないが、佐野さんの勉強会で役立つことこの上なしです。ずっと仏壇に入っていたせいで線香の香りが染みついているのも、ええ感じなんです。

 と、ここまでが勉強会前に入力したものでした。さて勉強会も終わり、再びテキストに向かっております。信心ということと、礼拝するということ、そして南無阿弥陀仏の名号と、仏の話でした。何か良くなるなどの目的を持った信心でも、浄土に運んでもらえるのだが、その浄土は花の咲かないプラスティックのような花々に囲まれていて、苦は何ひとつないのだが、ものすごく退屈なのだそうだ。ある時、如来がその浄土を護っている弥勒菩薩にそこにたどりついた男のことを尋ねたのだそうだ。「この男は、なんとかしてここを出ようとしております」というような状態なのだそうだ。では、今度は、私が何か、よくなるような志向性でもって信心するようなことは、かえって邪魔になるのですかと尋ねると、佐野さんが答えてくれる。「救いがないということに気付いた時に初めて、仏の方から私という状態にむかって一つの矢印がむかってくる。そのことぐるみのありようが救いなのです」救いのないことが救いなのである。これは論理でも物語でもなく、現実の様をそのまま表したことばであると、私は受け取りました。在るという時の在は現実であり、事実そのもののことなのだと。
 例のごとく、参加者が何かを輪番でしゃべらんといかんかったのですが、その中にyuikaちゃんという可愛らしい中学生がおったのですが、その話がもっとも的を得ていたなあ。
「ムズかしくて、ワケがわかりませんでした」やっぱり、チュウボウはすげえと思ったのでした。



2012年11月17日

勉強会1日目。(典座教訓)

 例年、1月から2月の冬場にやる勉強会が、この時期に行われた。講師は、安泰寺住職のネルケム無方さん。ドイツはベルリンの生まれで、座禅と本国で出会い、師と場を求めて日本にまでやって来られました。ドイツ人であるとか、日本人であるとかはもう言わせないほどに仏典を読みこなし、イントネーションになまりがあれども、話す日本語は、日本人ネイティブの私とは比較にならないほど、正確無比であります。
 安泰寺は曹洞宗の大学である駒沢大学の講師を兼ねたお坊さんが、純粋な修行道場をつくるべく建立されました。無方さんが住職に至るまでの顛末は師自身が編んだテキストを読んでください。安泰寺HPからたどりつけます。その生涯の厳しさは半端な私からは想像を絶しております。
日程のせいかしら、勉強会参加者は10人でした。少数の車座にて、いつもと雰囲気が違ってはいましたが、無方さんの全身からは、純粋修行道場たる安泰寺で時代を越えてなされている厳しい修行生活の匂いがいたします。
 勉強会の主題は、道元禅師の編まれた「典座教訓」。台所での所作、と心構えが細かく書かれています。たくさんのお坊さんの食事を準備することから、修行の場での集団生活の在り方にどうしても話がゆき、共同体の存立条件にまで思いが至ります。なぜ、世間から孤立して、そのような場が必要なのか、隔てられて、区切られている場ゆえに、かえって、世間との、社会との関係性が際立ち、公式、非公式にたくさんの定義付けや概念が生じざるを得ないのです。
 厳しい仏道修行的な行いが、ほとんどない龍昌寺とはいえ、世間から離れている場の性質上、やはり、世間との関係性は常に厳しく問われます。私はそうなんです。このような場でどうあるべきかという概念付けが絶えず心の片隅を占めております。無方さんと会うと、特にそのような思いが心の片隅から前面にせり出してまいります。
 2日目の話題は安泰寺と龍昌寺の共同体としての分析をテーマにされるということですから楽しみでもあり、ちょっと不安でもあります。不安というのは、そうした外の、しかも専門道場の道長さんによる龍昌寺の姿があからさまになる予感がするのです。そして、当然のごとく、yoromiに暮らす一人一人の様子が素描されるのではないかと思うのです。
 しかし、明日は、炭焼きの火入れにて、欠席です。残念至極でもあります。

左 ネルケ無方。 右 村田和樹。


masayaさん。

murata keikoさん。

fukuda sumikoさん。

左から hatao jian   kobayashi jin   hatao hitosi。

講義終了後の語らい。

itaya harumiさん。

2012年8月2日

稲穂が出る。

yoromiばばなき田んぼ1

 いよいよ穂が出た。田んぼをちょっと、湿らせようと水を入れているのだが、思うように入らない。そればかり考えていたから見逃していた。だが、朝にはまだ出てなかったように思うのだが。
ボケているのか。Sさんの家族なのか?こんなに至近は初。
やっぱ、ポンプか、しょげている。念のために用水を見ると、田んぼへの入り口を、流れてきた枯れ草が塞いでいるではないか。なんだよ。いじめんなよ。ちょっと増えた流量。明日だな。と様子み。
思うように水が抜けない田んぼと水がなかなか入らない両極端の田んぼに翻弄された一日でした。ちょろちょろっとほんのわずかだけの水流がとんでもないことになる。小さな排水口を見逃しただけで、ボロボロのイネカリ風景になってしまう。その時の後悔ほどデカいものはない。
まだ間に合う時にどうして、もっとつぶさに田んぼを見ないのか。
ムラの古老たちは黙々と今日やることをやっている。(ように感じる)
yoromi一番の名水。ふんとにきれいに暮らしておられます。水がちょろちょろと流れています。ふんとにうまい。というか、うまいとしか思えないような季節にしかここの水が飲めない。

夕方、宝さがしに林道をドライブする。なかなか、ない。いつしか、尾根道になっており、遠くに穴水湾が見える。noto半島が横たわっている。衛星目線。なんとか、宝は見つかる。宝が何なのかは諸般の事情で言えない。
宝の山1

宝の山2

宝の山3。じょうもの。
追記




 勉強会田んぼ。





2012年5月15日

田んぼの荒起こしと草刈。6日目。

  田んぼの写真を載せても、どの田んぼも同じように見えます。田んぼから田んぼへ移動して、アゼを塗りながら、田んぼの特徴を探すのですが、どれもこれだっと一発でわかるようなものが見当たらなくて困っています。誰それの家の隣で、大きさがこれこれで、お米の出来不出来、持ち主はこれこれこうでとか、なになに水系の上から何番目とか、たくさん特徴があるにはあるのですが。
よくよく考えてみると、自分の思い入れたっぷりの情報を聞かされても困りますよね。田んぼが大好きだあという感じが伝わればいいんですけど。でも最近気づいたのですが、自分がやっている田んぼだあという気持ちが強すぎると、おもしろくないなあと。それに新しい人がポンと手伝いに来られても、なんだか入りにくくなるというか。この田んぼで初めてお米がとれたのはどれくらい前なのだろうと想像いたします。何人の人がこの田んぼにかかわったのだろうと数えたりいたします。すると、たかだか、自分がこの田んぼをする回数は、全歴史のほんの一部に過ぎないのだなあと思いいたります。
最近、田んぼという美しき規範というフレーズがマイブームになっています。そこでは所有するとか、私がこれだけやったのだからという思い入れも、些細な歴史のひとコマに過ぎません。たくさんの人が田んぼに入っている風景がほとんど見られない現在、yoromiのように、けっこうたくさんの人がかかわっている田んぼというのはかなり贅沢な状態なのではないかと思います。具体的に一人一人の仕事がラクになるという点もさりながら、田んぼという美しき規範のもとに人が結集しているという有り難さを痛感しております。
そのように思うと、疲れた身体も、ちょっと飽和状態の思考もともに、現在を離れて、本来的にただここにいるという事実の喜びの元に溶けてゆきます。

さて今日の田んぼは


カーブミラー田
車が一台通れるだけの細い一本道沿いにあり、対向車とぶつからないように据え付けられたカーブミラーがあるので、すぐに名前が決まったラッキーな田んぼ。お米の出来がイマイチ。

yoromi カーブミラー田。
yoromi田んぼ街道へ。http://jusai123.blogspot.jp/2012/04/blog-post_01.html
角田をyoromi方向へ曲がると自動車一台で精一杯の農道に出ます。かってにyoromi田んぼ街道とjusaiが命名いたしました。yoromiの誰も知りませんが。


角田
yoromiでも古株の田んぼ。もはや説明いらずの田んぼ。角っこにあるためか、自動車の自損事故が2回ほどあり。一つは、冬の積雪時に道路と勘違いして車ごと田んぼにつっこむ。二つ目は、yoromiに上山しようとカーナビを見ながらバックしようとして2メートルほど下の小川に転落。
角田(カドタ)。
yamagishi田

大きさは後日、一覧表示しようと思っておりますが、この田んぼもデカいです。お米もものすごくとれます。肥料をやりすぎるとすぐに病気になるほどです。何をやってもできるヤツという感じ。
yamagishi田。写真左がわガードレールの見えるところがyoromi田んぼ街道です。
nishitani田(小)

水まわりをする時、うっかり忘れてしまったりする田んぼ。街道から見えにくく小さいのです。
今日の田んぼおしまいv(=^0^=)v

追記。

1  新さん来られました。ブログ内feed→http://jusai123.blogspot.jp/2011/10/blog-post_14.html
金環日食見に行くから、ちょっと抜けるネ。(裏日本は部分日食だからネ。)

2  正法眼蔵勉強会&田植え体験田んぼの稲はもうちょっとで活着(大地に根を張る!)しそうで   す。

たくさん植えすぎやっちゅうに。

パーフェクト。
3  肝心なことを言い忘れてしまいました。今日は一日中雨で、カッパを着ておりました。











2012年5月6日

正法眼蔵勉強会 2日目。3日目。&田植え体験。


わかりにくく、かつ、疲れる、何が写っているかがわかりにくい。まさしくjusaiの心象風景そのまま。
約30人の勉強会に参加された方々、お疲れさまでした。とにかく会は終りました。jusaiの中で起こった変化を記録するには、あまりにも脳みそが沸騰しているような感じゆえに記載することができないことをお許しください。そもそも自分の変化が対象化(対照かな対称かなあるいは大勝かな,
もしかしたら大将?)されればいいなあと思いながら続けている当ページにて、変化が大きければ大きいほど、例えば、小さな文体の変化でありますとか、用語用法の変化といった微細な変化となって表れることと思います。レトリックではなく、わかっていないことがわかったような気がしております。それでも尚小さなこだわりが消えてはいないこと、このありさまが今日現在のjusaiでもあります。肝心のレトリックの意味をわからずに使うこととわからないことをわかったということによってしかわからない、そのものを言えないということをごっちゃにしてる、みたいなこだわり。見事に目的と手段が転倒している。のかな?
2日目の午後、12名ほどで田植えを素手にて行いました。田んぼにこんなにたくさんの人がいるなんて。としか申せません。
わたしはどこに連れていかれるんだ。(あるいはわたしはどこにいこうとしてるんだ)
田んぼだっ。(ってどこ?)
米を植えている。(稲を植えている。苗を植えている)えっ?










田んぼだっ!

んなの知るかよ。

いち、にい、さん、→たくさん。
終わりはやってくる。
3日目、jusai欠席。kobayashiRさんに頼まれて、田植えをしておりました。田植え機にてひとりぼっちで。やっぱり一人は寂しかったです。

追記。 
4号苗床のパオパオとりました。4枚の苗床全てが太陽をそのまま浴びておることになります。