2017年11月29日
研究と表現のかい離について
マルクスがどうにもわからなかった研究対象は貨幣だが、貨幣自体の意味がわからなかったのではなく、(むしろそんなことは瑣末なことにすぎなかった)なぜ貨幣は貨幣なのかということであった。貨幣の理解不能性を実感したそのプロセスそのものが謎だった。 謎を謎たらしめるために表現した「資本論」自体の謎を通じて今度は私がその謎を続けることができる。問題は物そのものではなく物を物たらしめる関係性である。
「私の弁証的方法は、ヘーゲルとまったく逆なのだ。ヘーゲルの場合思考の過程こそ、現実にあるものを作り出す中心であって、現実にあるものは、思考の過程とは何の関係もないのである。しかもヘーゲルは、思考の過程をイデ―という名前で独立した主体に変えてしうまうのである。逆に私の場合、イデーなるものは、人間の頭脳に移転され、移し替えられた物質的なものにほかならないのだ」
内山禅師のテキストのイメージを再び引用したい。この二つの図ですべては氷解する。何もわからないということを!私たちはまだ見ぬ未来に向って幾度でも進化することが可能だ。
2014年2月20日
2013年5月3日
正法眼蔵勉強会。前夜祭。
人の言うことを聞くことは困難であるというより、不可能であるということから、人の言うことを聞くことは始まる。ということをinekoさんから教えてもらった。masanariさんはどんなに反省してもあなたには人の言うことを聞くことができない。と教えてもらった。以前なら、泣いて逃げ帰るのだが、聞きたかったんだ。誰かがいつも言ってくれていたのに、まだ、言ってくれる人がいるんだ。やっとわかった。erikoさんはずーっとこのことを言い続けていたんだ。(更新、5月4日2時)聞くということから始まるのが仏典の読解でも、理解でも解釈でもない、まずもって枢要な行為である読むという行為である。
2013年1月28日
勉強会。初日。
農閑期というより、雪で何もできない僻地ということに甘えて、冬休みだと豪語してきたのですが、老齢による体力低下やピークをむかえつつある子育てでのコストアップなどなどの理由でなかなかのんびりできないなあと思いながら、やっぱり脳みそが熔けそうな時もあったりして、最近テレビでは、ものすごく立派なお父さんが出てきたりして、末娘の手前、もはやダメおやじでごめんねと言う気も失せて、それでも今、このようにしてあるしか手がないのだからと、気をとりなおしながら、生きております。
さて今日は勉強会であります。先生は佐野さん。(2011年冬の勉強会→)もはやかってに思っているのは、お坊さんから何かを得ようなんて思うのがまちがいのはじまりなんで、お坊さんがいたら、その香りを素直にをかげばよいのだということであります。お坊さんの持っている経験やその他もろもろが、たとえものすごく、価値が高くて有用であっても、そのお坊さん全体を味わうには、かえって、有用であればあるほど、邪魔なものになっているのだということに、思いをはせることこそが、お坊さんに最も敬意をはらうことなんであると思うのです。仏教は本来、不立文字なのであり、どのような偶像もないのだし、当然のことながら集団という志向性はゼロなのであります。ブッダもダルマも当然のごとく、自らが自らの最大にして、最愛の解釈者なのであります。
なんとなく思うのは、最大の敵のもとでもっとも輝くのがbuddhismもしくは禅なのであります。敵は文字ではなく言語なのです。ご立派なお坊さんですねとご本人に言うことこそが、眼前に立つつるつる頭の人の全存在を否定することなのではないだろうか。
と、ここまでが勉強会前に入力したものでした。さて勉強会も終わり、再びテキストに向かっております。信心ということと、礼拝するということ、そして南無阿弥陀仏の名号と、仏の話でした。何か良くなるなどの目的を持った信心でも、浄土に運んでもらえるのだが、その浄土は花の咲かないプラスティックのような花々に囲まれていて、苦は何ひとつないのだが、ものすごく退屈なのだそうだ。ある時、如来がその浄土を護っている弥勒菩薩にそこにたどりついた男のことを尋ねたのだそうだ。「この男は、なんとかしてここを出ようとしております」というような状態なのだそうだ。では、今度は、私が何か、よくなるような志向性でもって信心するようなことは、かえって邪魔になるのですかと尋ねると、佐野さんが答えてくれる。「救いがないということに気付いた時に初めて、仏の方から私という状態にむかって一つの矢印がむかってくる。そのことぐるみのありようが救いなのです」救いのないことが救いなのである。これは論理でも物語でもなく、現実の様をそのまま表したことばであると、私は受け取りました。在るという時の在は現実であり、事実そのもののことなのだと。
例のごとく、参加者が何かを輪番でしゃべらんといかんかったのですが、その中にyuikaちゃんという可愛らしい中学生がおったのですが、その話がもっとも的を得ていたなあ。
「ムズかしくて、ワケがわかりませんでした」やっぱり、チュウボウはすげえと思ったのでした。
さて今日は勉強会であります。先生は佐野さん。(2011年冬の勉強会→)もはやかってに思っているのは、お坊さんから何かを得ようなんて思うのがまちがいのはじまりなんで、お坊さんがいたら、その香りを素直にをかげばよいのだということであります。お坊さんの持っている経験やその他もろもろが、たとえものすごく、価値が高くて有用であっても、そのお坊さん全体を味わうには、かえって、有用であればあるほど、邪魔なものになっているのだということに、思いをはせることこそが、お坊さんに最も敬意をはらうことなんであると思うのです。仏教は本来、不立文字なのであり、どのような偶像もないのだし、当然のことながら集団という志向性はゼロなのであります。ブッダもダルマも当然のごとく、自らが自らの最大にして、最愛の解釈者なのであります。
なんとなく思うのは、最大の敵のもとでもっとも輝くのがbuddhismもしくは禅なのであります。敵は文字ではなく言語なのです。ご立派なお坊さんですねとご本人に言うことこそが、眼前に立つつるつる頭の人の全存在を否定することなのではないだろうか。
と、ここまでが勉強会前に入力したものでした。さて勉強会も終わり、再びテキストに向かっております。信心ということと、礼拝するということ、そして南無阿弥陀仏の名号と、仏の話でした。何か良くなるなどの目的を持った信心でも、浄土に運んでもらえるのだが、その浄土は花の咲かないプラスティックのような花々に囲まれていて、苦は何ひとつないのだが、ものすごく退屈なのだそうだ。ある時、如来がその浄土を護っている弥勒菩薩にそこにたどりついた男のことを尋ねたのだそうだ。「この男は、なんとかしてここを出ようとしております」というような状態なのだそうだ。では、今度は、私が何か、よくなるような志向性でもって信心するようなことは、かえって邪魔になるのですかと尋ねると、佐野さんが答えてくれる。「救いがないということに気付いた時に初めて、仏の方から私という状態にむかって一つの矢印がむかってくる。そのことぐるみのありようが救いなのです」救いのないことが救いなのである。これは論理でも物語でもなく、現実の様をそのまま表したことばであると、私は受け取りました。在るという時の在は現実であり、事実そのもののことなのだと。
例のごとく、参加者が何かを輪番でしゃべらんといかんかったのですが、その中にyuikaちゃんという可愛らしい中学生がおったのですが、その話がもっとも的を得ていたなあ。
「ムズかしくて、ワケがわかりませんでした」やっぱり、チュウボウはすげえと思ったのでした。
2012年11月17日
勉強会1日目。(典座教訓)
例年、1月から2月の冬場にやる勉強会が、この時期に行われた。講師は、安泰寺住職のネルケム無方さん。ドイツはベルリンの生まれで、座禅と本国で出会い、師と場を求めて日本にまでやって来られました。ドイツ人であるとか、日本人であるとかはもう言わせないほどに仏典を読みこなし、イントネーションになまりがあれども、話す日本語は、日本人ネイティブの私とは比較にならないほど、正確無比であります。
安泰寺は曹洞宗の大学である駒沢大学の講師を兼ねたお坊さんが、純粋な修行道場をつくるべく建立されました。無方さんが住職に至るまでの顛末は師自身が編んだテキストを読んでください。安泰寺HPからたどりつけます。その生涯の厳しさは半端な私からは想像を絶しております。
日程のせいかしら、勉強会参加者は10人でした。少数の車座にて、いつもと雰囲気が違ってはいましたが、無方さんの全身からは、純粋修行道場たる安泰寺で時代を越えてなされている厳しい修行生活の匂いがいたします。
勉強会の主題は、道元禅師の編まれた「典座教訓」。台所での所作、と心構えが細かく書かれています。たくさんのお坊さんの食事を準備することから、修行の場での集団生活の在り方にどうしても話がゆき、共同体の存立条件にまで思いが至ります。なぜ、世間から孤立して、そのような場が必要なのか、隔てられて、区切られている場ゆえに、かえって、世間との、社会との関係性が際立ち、公式、非公式にたくさんの定義付けや概念が生じざるを得ないのです。
厳しい仏道修行的な行いが、ほとんどない龍昌寺とはいえ、世間から離れている場の性質上、やはり、世間との関係性は常に厳しく問われます。私はそうなんです。このような場でどうあるべきかという概念付けが絶えず心の片隅を占めております。無方さんと会うと、特にそのような思いが心の片隅から前面にせり出してまいります。
2日目の話題は安泰寺と龍昌寺の共同体としての分析をテーマにされるということですから楽しみでもあり、ちょっと不安でもあります。不安というのは、そうした外の、しかも専門道場の道長さんによる龍昌寺の姿があからさまになる予感がするのです。そして、当然のごとく、yoromiに暮らす一人一人の様子が素描されるのではないかと思うのです。
しかし、明日は、炭焼きの火入れにて、欠席です。残念至極でもあります。
安泰寺は曹洞宗の大学である駒沢大学の講師を兼ねたお坊さんが、純粋な修行道場をつくるべく建立されました。無方さんが住職に至るまでの顛末は師自身が編んだテキストを読んでください。安泰寺HPからたどりつけます。その生涯の厳しさは半端な私からは想像を絶しております。
日程のせいかしら、勉強会参加者は10人でした。少数の車座にて、いつもと雰囲気が違ってはいましたが、無方さんの全身からは、純粋修行道場たる安泰寺で時代を越えてなされている厳しい修行生活の匂いがいたします。
勉強会の主題は、道元禅師の編まれた「典座教訓」。台所での所作、と心構えが細かく書かれています。たくさんのお坊さんの食事を準備することから、修行の場での集団生活の在り方にどうしても話がゆき、共同体の存立条件にまで思いが至ります。なぜ、世間から孤立して、そのような場が必要なのか、隔てられて、区切られている場ゆえに、かえって、世間との、社会との関係性が際立ち、公式、非公式にたくさんの定義付けや概念が生じざるを得ないのです。
厳しい仏道修行的な行いが、ほとんどない龍昌寺とはいえ、世間から離れている場の性質上、やはり、世間との関係性は常に厳しく問われます。私はそうなんです。このような場でどうあるべきかという概念付けが絶えず心の片隅を占めております。無方さんと会うと、特にそのような思いが心の片隅から前面にせり出してまいります。
2日目の話題は安泰寺と龍昌寺の共同体としての分析をテーマにされるということですから楽しみでもあり、ちょっと不安でもあります。不安というのは、そうした外の、しかも専門道場の道長さんによる龍昌寺の姿があからさまになる予感がするのです。そして、当然のごとく、yoromiに暮らす一人一人の様子が素描されるのではないかと思うのです。
しかし、明日は、炭焼きの火入れにて、欠席です。残念至極でもあります。
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| 左 ネルケ無方。 右 村田和樹。 |
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| masayaさん。 |
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| murata keikoさん。 |
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| fukuda sumikoさん。 |
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| 左から hatao jian kobayashi jin hatao hitosi。 |
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| 講義終了後の語らい。 |
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| itaya harumiさん。 |
2012年11月14日
薫習。(燻習)
炭焼きがもうすぐ始まる。昨日の土というか、泥というか、粘土というか、地球の表土というのか、とにかくそのそれに溜まった雨水を混ぜて、ゴム手袋をはずして、素手でこねていると夢中になっていった。元気になった。何が元気になったのだろう。体であることは間違いないが、ちょっと違う。頭ともいえる。でもそれも違う。昨晩は、土はあそこのを採取して、水は学校の水道からバケツで運べばいいなと、段取りをしていたのだ。炭窯に来るとmurataj住職の言ったとおり、土はある。水も警報が出るほど降った時雨がたまっているのだった。風と雨は激しいが、炭窯は何年か前に修繕がほどこされていて、一滴ももれていない。最初は、修理する部分からかきとった土に再び水を混ぜて使っていたのだが、だんだん、なくなりそうになり、中学校側のグラウンド脇の斜面をパノラマで首を振って探す。でも足元からちょうど畳の縦の長さの距離ぐらいに土が見える。色もhaginoさんが言うように黄色い。小さなくわ(正式名称があるのか?)で削ると適当な細かさの、均一な土がとれる。枯れそうなロゼッタ状の雑草が混ざるが、ナントカ壁は田んぼで寝かした泥に稲ワラを細かく刻んだものをいれるではないか。それが、名もない雑草に変わっただけ、と思う。いいかげんとええかげんは違うのだ。田んぼも完全に水を漏らさなければ水が腐るし自然とともにあるより手がない原始産業として、炭窯はエントツ以外(地)で完全に空気を遮断してしまえば、火を容易に魔物に転化させることができるのである。ふうっ・よくしゃべる。シャベル。どこかちょうどよいもれがあって生活は成立していたものと推察する。
夢中になったのは、そういう世界とのふれあいに喜ぶ、わが自意識がであり、わが自意識をである。 とはいえ、テキストによる勉強も忘れまい。kanazawaのhataoさんがわがために、(^^)超簡便な啓もう書をつづってくださっておられる。実際に火入れのせまっている現在こそ、そうした誠実で確実にだれかに向けられている文章が薫習されやすい。(薫習という語が大乗起信論にあり、このあいまいきわまりない語からすべての心と意と識の説明が始まる)いつのまにか、という感じでしか現在を説明できないのです。風がなければ薫らない。壊しては、また作りなおせる。永遠に繰り返すことができる。が、しかし、今、現にここにある、これまでにもずーっとあり続けてきた。ものだけでできる。その喜び。
夢中になったのは、そういう世界とのふれあいに喜ぶ、わが自意識がであり、わが自意識をである。 とはいえ、テキストによる勉強も忘れまい。kanazawaのhataoさんがわがために、(^^)超簡便な啓もう書をつづってくださっておられる。実際に火入れのせまっている現在こそ、そうした誠実で確実にだれかに向けられている文章が薫習されやすい。(薫習という語が大乗起信論にあり、このあいまいきわまりない語からすべての心と意と識の説明が始まる)いつのまにか、という感じでしか現在を説明できないのです。風がなければ薫らない。壊しては、また作りなおせる。永遠に繰り返すことができる。が、しかし、今、現にここにある、これまでにもずーっとあり続けてきた。ものだけでできる。その喜び。
2012年10月24日
新車庫作り。
JUSAI 123: 車庫作り。⇒世代交代。⇒枯葉よ。
大乗起信論を携帯している。ちらちらと読む。気に入った部分だけを読む。なるほど、そうかと思う。すべては幻影であると。だが、要点は、最初に書かれてある。信を起こさせるために書かれてあると。本を閉じて、次に本を開くまでの間、そのことを忘れる。それはすばらしいことだと思う。また、信を起こすことが一番なんだと思う。それを何度もくりかえす。同じことをくりかえしているという奇跡よ。私は断言する。決して、この私は信を起こすことはできないんだと。もしかしたら、それは可能なのかもしれないと思えること。何度もくりかえされる、同じことの間にあるほんものの、ほんものほんものよ。
禁煙している。もしかしたら止められるかもしれないと念じながら続けている。この私という意識も止められるかもしれないという意味も込めて、念じると、止められるかもしれないという念仏は効く。
大乗起信論を携帯している。ちらちらと読む。気に入った部分だけを読む。なるほど、そうかと思う。すべては幻影であると。だが、要点は、最初に書かれてある。信を起こさせるために書かれてあると。本を閉じて、次に本を開くまでの間、そのことを忘れる。それはすばらしいことだと思う。また、信を起こすことが一番なんだと思う。それを何度もくりかえす。同じことをくりかえしているという奇跡よ。私は断言する。決して、この私は信を起こすことはできないんだと。もしかしたら、それは可能なのかもしれないと思えること。何度もくりかえされる、同じことの間にあるほんものの、ほんものほんものよ。
禁煙している。もしかしたら止められるかもしれないと念じながら続けている。この私という意識も止められるかもしれないという意味も込めて、念じると、止められるかもしれないという念仏は効く。
2012年8月23日
雨が降る。
思いがけず、雨が急に降った。sakataにだけ降ったのかと思うほど、自分の願いが通じたのかと思うほど、遠方には、青空があった。絶対に不可能なことが可能なのかと思えた一瞬だった。雨乞いはありだなと。田んぼや畑など、人為的な始まりのようでいて、今では神がかりとしか思えないような心とともに長くあったのだなあと。
そして、食べ物を得るということが、神事としてあったのだと。小賢しい分別の、いかに有用なように見えて、いかに無力なのかと。生きることと、食べることと、働くことと、祈ることの区別のなかった時のことを思う。阿含経の現代語意訳(といっても、大正12年刊)を読んでいる。ブッダの話されたことにもっとも近いテキストと言われている。文字通り、神話のような筋を歩むが、書かれてあることは簡便のように見えて、かなり恐ろしいことを意識に要求している。ゆえに、私というふんばりさへはずせば、これほど、染み入る経典は無いように思える。かなり、抄訳されてあり、訳者が選んだ全体の中のごく一部ではあるが、最後の章が恐ろしい。釈迦族の滅亡に際し、ブッダが静かに荒れ果てた聖地をただ見るシーンである。
佛は思わず、次のような短詩を口ずさまれたのであった。
すべての作られたるものは、
みな無常である。
生まれ出でたるものは、
必ず死なねばならぬ。
それゆえに、
生まれることがなければ、
そこには死がない。
滅だ、ほろびだ、無だ。
この滅こそ、
最上の楽しみである。
「さあ、お前達、みんな一緒に、尼狗留園に行こうではないか。」
やがて、その尼狗留園についたとき、佛は座につかれてから、弟子達に次のような、悲しい言葉を與えられた。
「これが、尼狗留園だね。何と言う驚くべき荒廃であろう。わしは、かつて、ここでお前達に何度いろいろ語ったろう。その当時は、数知れぬ人々が群衆していたのに、いまは、砂漠の中にいるように、誰もいないではないか。ああ、もう、再び、わしはここへは来れないだろうよ。」
2012年5月29日
シロカキ。(5)
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| へび。 画像中央に赤い視線がございます。 |
ゴールデンウイーク前後に植えられた稲はすでに葉を広げて、風にもこもこと揺られています。人様の田んぼとはいえ、気持ちがいい。温い田んぼの水が白く濁り、あわあわとしていて、なんとも稲もうれしそうであります。yoromiの田んぼも早苗が植えられたからには、どんどん追いついていくことでしょう。田んぼに連日入っていると、多くの生物と遭遇しています。意識に登るだけでもかなりのものです。へびも多く出会います。jusaiはへびが苦手で、今でこそ、恐る恐るまたぐこともできるのですが、田んぼを始めた当初はへびという文字すらダメで、文句なく、理屈なく、絶対的に恐怖の対象だったのです。今でも、縄やながいものを見ると、一瞬へびかと思い、びくっとしています。ダメなんです。どうしてもダメなんです。触るどころか、目に映ることはおろか、頭に思い描くこともできません。生物図鑑などの写真も触れません。自分の生きている間は恐怖のまま終わるのだと思っておりました。
絶対に自分は変わらないと思う自分の方が変わることもあるのだなあと、思いました。もしかしたら、好きになれるんじゃないだろうかと思いました。ふつうなら逃げるだけのシマヘビだったのですが、今日のそいつはしっぽをガラガラヘビのように震わせて、なおも、赤い視線を私自身の方に向けてきます。以前、田んぼの土手側を歩いていたら、いきなり鎌首をもたげたシマヘビが、びっくり箱のような感じでぴょっと出来来た時にうへあーと逃げたのですが、私が動くたんびに潜望鏡のような上半身をこちらの方に向けてきました。怒っていました。怒りそのものでした。何か俺が悪いことしたかあと怒鳴ると、さらに彼の怒りが強くなるのがわかりました。彼は言葉やその他の媒介物を通して、意志を伝達してくるのではなくて、意志そのものを対象自身の知覚機能に直接届けることができる。
今日のヤツと目を合わせていて、理解したのですが、彼らは相手の、例えば、jusaiでしたら、jusaiの恐怖そのものを利用しているのではないのかということです。もしそうなのだとしたら、彼にはそのような意志など無い。ふと思い出すのは、20年以上前に(まだjusaiはyoromiに住んでいません)田んぼにて、ryusyou寺の来客のロシア人の方に、スネークと英語で指さした時のことです。彼女は一瞬の間合いを置いて、悲鳴をあげて50メートルほど全力疾走して逃げて行かれました。確かに彼女の悲鳴の方がはるかに怖かった。そして、彼女は明らかに足元の蛇を全く、見ていなかった。ブッダの肉声にもっとも近いと言われている聖典、スッパニパータの第一章は「蛇の章」であります。そして、jusaiのミドルネームは小さい蛙であります。jusaiの一番最初のあだ名はガマでした。なんの話でしたっけ。ヘビの話をしている自分自身に驚いております。
yamagishi田
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| ひこばえ(去年の稲刈り後の株)から苗が自然発芽。 |
本日田植えもいたしました。
苗箱 38
米ぬかは明日。
nishitani田(小)
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| 再び。文様が龍ですな。 |
nishitani田
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| 花が咲いておりました。 |
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| なんという名前なのだろう。 |
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| イボ草。非常に取りやすい草にもかかわらず、秋にはスゲーことになるやつ。 |
ピアノ田
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| yoromi田んぼ街道。 新さんはふんとに、絵になります。 |
トラクターのクラッチがきかなくなったとのこと。これはかなりの大修理だなあと思う。が、水をかけてトラクターをきれいにしてから、点検すると、クラッチレバーとクラッチそのものを結ぶ小さなピンが無くなっていただけとのこと。それにしても、農機具自体の馬力と器具の堅牢さに比べて、本体と器具をつなぐピンに小さくて、ちゃっちーこと。トラクターもそうだったのか。という感じ。んでも、良かったよかった。
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| takashima田前にて復活。 |
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| 中央ボルト締めの部分が本来はピン。問題は原因が特定されてはじめて問題となる。したがって、解決不可能な問題というものは、文法上ありえないことになる。ってほんまかいな。へびという文字がですらおそろしいオマエはホンモノだ。 |
ピアノ田向い
村田住職だましだまし、トラクターを動かす。
ピアノ田上
耕運機にて、全部をシロカキ。
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| ピアノ田上。 田んぼわきの小川をきれににする村田住職。 |
2012年5月4日
正法眼蔵勉強会 1日目。
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| 提唱前。がんばって、写真を撮りました。 |
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| 提唱中。龍昌寺 住職 村田和樹老師。カメラ越しながらじーっと見させていただきました。 |
横浜の加島牧史さんの呼びかけではじまった正法眼蔵(道元禅師作)の勉強会10回を数えたそうです。3日連続にて先講の方のそれぞれのお話と龍昌寺住職の村田和樹老師による提唱が続きます。村田住職の場合、正法眼蔵をテキストとして使われずに、どちらかというと一見、現在の心象風景を元にした自分の思いを語られますし、各先講のお話もこれといった中心的カテゴリーが皆無ですので初日はちょっと整理しきれなずにただその場にいるという感じの参加者が多いことと思います。
それでも、ご縁というのか、集った方々に共通の何かがあるのか、次第に微かなテーマみたいなものが浮かび上がってくるように思います。村田住職の場合、講義者からの一方通行を嫌われるので、最後に参加者各人の感想などを喋らせますから一層、複雑さを増すかのように思われますが、各人が全く違うこと、いわば自分のことを話すゆえに、その真の多様性はかえって場そのもの、そして今この時そのものがもともと一つであるという基本的な次元に立ち返らせてくれるように思います。口で言うほど人類は多様ではありえないのだけれども、本来一つの場所と時間を完全に共有するがゆえに、各人一人一人はそれぞれ違ってあるより他に手立てがなくなるように思うのですが。
次第に何を言いたいのかがぼやけてしまいます。初日の先講はH大学教授のinazawaさんの日本仏教史(これほど単純なネーミングですむようなお話ではありませんでしたが)でした。わかりやすいカテゴライズや理論をないがしろにしてきたjusaiから見れば、氏のようないわばプロの理論家の存在はまばゆいばかりでありました。そしてjusaiなどは文学的なポエジーにすぐに逃げてしまうのにもかかわらず、あくまでも言葉とともにあり続けるという意志を感じさせていただきました。仏法は言葉にはできないという逃げを持たない覚悟のようなものを持たれているのではないでしょうか。全然、jusaiの想像ですが。氏は若い時にインド放浪をされていたようで、jusaiのような半ば奥能登に引きこもってきた者からはさらにまばゆいのでした。
日本にもこうした理論同士のやりとりが始まる予兆がいたします。理論と不可分の個人の成立もはじまる予感がいたしました。
2012年1月23日
勉強会二日目。
仕事で今回の勉強会に参加できなかった妻に「正法眼蔵の勉強会だったんでしょ」と聞かれてうんと言うも、「どんなんだった」と聞かれては何と答えたらいいか迷う。正法眼蔵の中身を説明しようにも話し始めるとっかかりもわからない。確かに話を聞いてはいたが、はて一体誰がこの話を理解しようとしているのかがわからなくなる。確かに聞いたのは私だから私でいいのだが、どこぞの私なのかと考えてしまい、まあようするに逃げ続けたいのだなとしめくくるも、どこに逃げるのかと考えると再びわからなくなる。おれみたいなレベルの人間の理解に応じた先入観を植え付けることにしかならないから、ほんとうは直接ああいいうふうにちゃんと話せるレベルのお坊さんから直接聞いたほうがいいに決っていると言うもそれでもふんづまりでもやもやするだけ。確かにこういうことが書いてあるという納得のようなものも感じた瞬間も多々あったのだが、そのときそのときであって、今それを思い出して言ってもなあとお茶を濁す。そもそも仏典を読むという表現じたいがしっくりこない。では味わう。違う違う。そんなしゃれた言い方を言う場に自分などいないとやはり逃げたい。が魅かれる。まだ出会ってもいないのではないかとさらに逃げ続ける。いったいどこからどこへ。又明日も逃げるのか。
内容を理解すると消えてしまう文章というのがあるのだとしたら、それを理解したものは消えてしまうのではないか。永遠に同語反復をくりかえすのではないか。それを自意識と呼ぶのではないか。自意識とは永遠を自ら仮定した場に閉じ込められた空虚なのではないか。ないものを消すことはできない。もともと無いと言ってしまってはすでにあるものになってしまっているではないか。
そして、正法眼蔵だけは何百年経っても残っていて、目の前にあるのだった。
内容を理解すると消えてしまう文章というのがあるのだとしたら、それを理解したものは消えてしまうのではないか。永遠に同語反復をくりかえすのではないか。それを自意識と呼ぶのではないか。自意識とは永遠を自ら仮定した場に閉じ込められた空虚なのではないか。ないものを消すことはできない。もともと無いと言ってしまってはすでにあるものになってしまっているではないか。
そして、正法眼蔵だけは何百年経っても残っていて、目の前にあるのだった。
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| 正法眼蔵の勉強会。総勢16人参加。 |
2012年1月22日
悩みが大きいというのはラッキーなことなのではないか。
櫛谷宗則さんのお話を聞きました。道元禅師の著された正法眼蔵を元に不可思議な比喩であふれている仏法の文章を解いてくださいました。冬の勉強会と称して、何度もくりかえし聞いてきたのですが、わかりそうになればなるほどそうではないと思われてきます。どんどん順調にわからなくなっていきます。師のお話はそれでいいのだ、それでいいのだと言ってくれているようで元気が出てきます。どんどん時は流れていきます。釈尊もいつのまにか2500年ほど前の人になってしまいましたが、たかだか2500年かと思えます。わからなくていいのだが、わからないままでよいわけがないと思います。ひとえに私自身の意思だけを自分自身で問うより他ありません。
思うにその問いの大きさに応じてしか理解できないのではないでしょうか。そして問いは苦悩が深ければ深いほど大きくなるように思います。同じ言葉が未来には違う深さを持つのだと思いました。自分の具合の悪さが世界一であると思いたいのですが、苦悩が大きいがゆえにその苦悩が見えない人もいるのだと想像されました。
自分の得ばかり考えるというのはほんとうに醜いことなのではないかと思えました。ただ、その都度
その都度であります。
feed 龍昌寺 住職 村田和樹
思うにその問いの大きさに応じてしか理解できないのではないでしょうか。そして問いは苦悩が深ければ深いほど大きくなるように思います。同じ言葉が未来には違う深さを持つのだと思いました。自分の具合の悪さが世界一であると思いたいのですが、苦悩が大きいがゆえにその苦悩が見えない人もいるのだと想像されました。
自分の得ばかり考えるというのはほんとうに醜いことなのではないかと思えました。ただ、その都度
その都度であります。
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| 櫛谷宗則禅師(画像中央) |
feed 龍昌寺 住職 村田和樹
2011年2月28日
勉強会(2/26,27) 講師は佐野明弘さん
真宗のお坊さんである佐野さんに来ていただき、親鸞さんのテキストをもとにお話をしてもらいました。親鸞さんがひたすら念仏をしなさいと言い残されたおかげで、言葉にまみれた現代人のわれらはモクモクとイメージの花をさかせます。何かを学びたいから必死になって何かをつかもうとするのですが、どこかでそのわかりたいというからくりそのものがひっくりかえされてしまいます。ひきつけられるのにもかかわらず、ただ門前でたちすくむ夏目漱石のようでもあります。わからないとうんうんとうなる静かな時間が流れます。何か言葉で埋め合わせたいのですが次の瞬間に自分の身体そのものがひっくり返りそうです。
しかし、容易にはひっくりかえらない。自動システムのように勉強会のタイムリミットだけが、とりあえずわたしたちの過去と未来をつなげます。容易にわかるものなんてたいしたことがないと佐野さんは言い切ります。それを聞く私は一瞬、身をそのことばに委ねようとしますが、思考はそれをやはり一瞬のうちにはねのけます。まるで自分の思考が言葉の根本を知っているかのように。そんなからくりに満ちた自分から逃れたい、言葉や意味の世界から出たいと思うこと自体がすでに思考であることを思い知らされます。
真宗聖典という東本願寺発行のテキストの中にたくさんのお話が載っています。その中のあるシーンが佐野さんによって語られました。 人間はくさくてかなわない、その匂いを嗅いだものは発狂して死んでしまうほどの匂いなのだそうだ。笑ってすまされそうなお話なのだが、どこか怖い。
2011年1月20日
正法眼蔵を読む
1月17日18日に兵庫県安泰寺の住職、ネルケ無方さんを迎えて現成公案の勉強をしました。正法眼蔵は曹洞宗を開いた道元禅師が書かれたテキストです。禅のテキストですから法の本質を指摘する部分の難解さを頭の中でイメージするしか手がありませんでした。勉強会に参加した人たち同士でディスカッションをする時間があるのですが私は常に中途半端な物語としてしか理解したことを言えず、さらに考えようとするとイメージさえ言葉に容易に変換されたように見え、結局自分の脳裏に写る文章をぼそぼそと音読しているような状態でした。もとより正法眼蔵に何が書かれてあるのかを知りたいはずなのですが、講師である無方さんに具体的に何を尋ねるのかすら思い浮かびませんでした。よくあるパターンですが何がわからないのかがわからない幼稚園児のようでした。(幼稚園児ほどの純粋な好奇心があればいいのですが、実際に考えていることは何とか自分が本当の自分になりたいという欲望しかないように思います。)無方さんの著した新潮新書が近日、出版されましたがそのテキストの中にも確かにそのような文言がありました。本当にこういう自分が勉強会の場にいることが恥ずかしかったです。こういう言い訳が全く無方さんは届かないんだと思いますがやっぱり言っておきたい。
正法眼蔵の勉強会は毎年冬になると他のお坊さんを招いて行われるのですが、いつも同じ言い訳が重なります。素直にテキストの中の文言に対しての質問をしたいのですが、どうにもクリアーにならない自分でありました。でも無方さんが今日(1月19日)龍昌寺を去りましたがそのような堂々巡りがあっさりと消えてしまうのが不思議です。残り香すらありません。そして又いつもの自分探しが反省と悔恨を引き連れて始まるのです。どうにも何を勘違いしているのかがわからないどころか、この強烈な自我は自分自身を否定することが絶対にできないのだとおびえた目をして小さな声でぶつぶつと呟いています。
あまり真正面から見れませんでしたが、無方さんの姿はこうした臆病者の典型を私の思いの中に示してくれます。全く無方さんの意図するところであるはずがないのでしょうが、自己否定を肯定し続ける私にほんのわずかな光明を開いてくれたように思います。小さな窓が閉じないうちに外に出ようと思います。
上の画像は2010年五月の勉強会のものです。
(講師はよろみ村 龍昌寺 住職 村田和樹)
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