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2013年12月15日

原発も遺伝子組み換えもTPPも、賛成か反対かで話しはじめるのは止めようじゃないか。

 どの国の良識も決して中立ではない。中立をつきつめるとよくわからなくなる。事実と真実の哲学的探究という側面もある。そのままをそのままと簡単に言わせない傾向を感じる。福島原発から大量の放射性物質が環境に出てきて以来のテレビや新聞など、報道機関のあやしい動きを見れば私のような社会不適応者の鬱を吹き飛ばしてくれるような人類滅亡物語が感じられる。戦争が始まると精神障害者が激減するという。
 地球がどんどん小さくなっていく。宇宙の果ても見えたかのように、整理整頓された形で、自分の人生もそのような傾向におさまっていく。自分とはいったい何なんだろう、とでも考えるか。問いではなく、ある物語にとっての必然的帰結。終わらないというエンディングを迎え続けるわけだ。やはり自分自身を見すぎると何にも見えなくなってしまう。
 人が人になってから、問題が生じたのではなく、問題そのものが人であるとすれば、全てがつながる。私という事実をそのまま知ることができない者としてこの私は生まれたに違いない。ただこれらは私の脳内でおこなわれていたのだろう。私が私になった瞬間を思うと意識が遠のく。
 順番が違うじゃないか。瞬間瞬間の私の連続をつないでいるのは物語である。
 みたいなことを思いはじめて、まだ4,5年しか経っていないのだけれども。
 今までに一度たりとも途切れていないということもセットで考えるべきだったと思う。何が何と連続しているのかは、全くわかりません。(政治や経済の始まりは、体制を担っている人たちが失敗の無意識的隠蔽という形で間接的に、自らの手で見せ始めているじゃないか?そんなもん、政治でも経済でもなんでもないけど)
 
 こんな風に考えると、なんだかほっとする。
味噌うまいんだよなあ。手前味噌だけど。麹づくり今年もはじまります。

2013年11月1日

飛んで火に入るエホバの方々。

ズルズルとしていたら、エホバの人たちがやってきた。神様の話かよと居留守をつかおうと思ったけど、けっこうそういう話は好きなので会う。マスクにめがねのおばちゃんと、女子大生のようなかわいいねえちゃんがいる。今日の神様の話は何から始まるんだと待っていると、パンフレットを取り出して、死んだ人に会えると聖書には書いてあるのですが、あなたはどう思いますかと来た。
 生前に知っていた人となら、私の頭の中でいつでも会えます。でもそれはあくまでも私の想像上のその人ですから、今目の前にいるあなたとここでこうして神様の話をしているかのように思えますが、私はあなたとほんとうに会っているのかと疑問に思うことがあります。
 また始まった。が、止まらない。メガネ越しの目に向かって、べらべらとしゃべっている。人格神として、五体が人のような姿の神様のイメージが強烈すぎて、聖書に入ることができないんです。あなたは何を信じてらっしゃる。と尋ねれれて、そのように言い訳を入れてから、私の中にあるであろうむずむずしたわからないこのこれを信じています。きっといつの日にか、私なりの言葉でこのむずむずを解き明かすことができるという可能性を信じています。なんにも、知らないくせに、キリストであろうとマホメットであろうと、お釈迦様であろうと、マザーテレサであろうと、達磨さんであろうと、ダライラマであろうと、かの人たちはきっと解き明かしたのでしょうが、それらの言葉は皆彼らの言葉にとどまっているのであろうから、ワタシ自身の言葉でそれらを翻訳できる日がきっとくるのだと思っています。メガネの方の影に隠れるようにして立っていた女性が一歩踏み出してきて、顔を見せてワタシの話を聞こうとしはじめるのを、いいことにして、何かうまくこの話をエンディングに持っていこうと思う。喋れば喋るほど、彼女は近づいてくる。メガネの女性も負けじと興奮してくる。まさかこのように自分たちの話に相槌をうってくれるような状況に少し驚いている。
 あなたたちのように、信仰を持つことを決心された方たちの知識とワタシのようにズルズルとしている者が読む聖書の知識とはゼンゼン違うんでしょうね。
 いつものように謙遜でつまりは自己韜晦でしめくくろうとするワタシにメガネの女性がマスク越しに言う。あなたのように、自分の思考のイメージの中だけでグルグルと堂々巡りをしている状態から見る神様と聖書に書かれた神は違うんです。このように言われる。後ろの彼女に向かって、聖書のもっとも古い言葉は何語で書いてあったんですか。「初期はヘブライ語で後半はギリシャ語です」。はじめにことばがあったと書かれてあったと思うが、それゆえに言葉が止まらない。言葉の止まらなさを人は人自身の永遠ととりちがえてしまう。
 このような話し合いは、相手に優しくしよう、相手とつながろうと思う限り、ゴールが見えないのであった。どんどん一人になっていくのであった。神はいつでも、必要な言葉だけをあらゆる人の形をとって届けてくれる。メガネとマスク越しの目が光っていた。「また会いましょう」ありがとうございました。

2013年7月29日

無題。(至上の理解者は最悪の誤解をしている!)

 あいかわらず、わけのわからないことを書いている。自分に正直であれと思うほど、アタマに浮かぶわけのわからない文章を許してしまう。意味の生じない文章を書く力がほしい。天邪鬼であってはならないが、言語そのものを感じたい。言語が記号であるということをスタート地点とするならば、言語そのものを説明することは不可能である。しかし、破綻した文章、すなわち絶望的な文章は、それが言語ではないというただ一点により、言語そのものを間接的に説明することができる。色も匂いも重さもないその場所をあらわすためには、言語で言語を説明しようとする行いよりは、悪くないし、間違ってもいないと。それそのものはあるのならば、ないのではない。などと言っても、どうにもならない。
 先日、BS放送で、どこかの民放局が1956年産のコメディー映画をやっていて、たまたま見た。くっだらねえと悪態をつきながら、なんかの溜飲を下げていると、ほんの2分も経たないうちに映画にのめりこんでしまった。ストーリーが完璧ゆえに、くっだらねえプロットが逆に人の生活そのものを描き出すのに有効であることがわかる。人を笑わせるためには今現在ある人の至高の標準的生活そのものを壊さなければならない。そして何より、普通の生活を骨の髄まで知り尽くしていなければならない。やはり一瞬でも意識が壊れたことの無いものには喜劇など到底不可能であることがわかる。さすが、目に見えない原子力発電にエネルギーのほとんどを頼ることを決定した国家だと思う。それに大好きなデリダやソシュールもネイティブとしての言語はフランス語だったのではないのかしら。(あんまり細かいこと言わないでください)明治維新政府は近代の国体をフランス人に真似たらしいのもわかる。自分の言語が音声的に世界一であると確信していることもここでは清々しい。
 ソシュールに関しては、今このおれさまが、言葉をしゃべっているということ気付くことのきっかけを作ったスゴイ人だと思っている。ソシュール自身はいま、私が言葉を話していることに気づいたとき失神も絶望もしなかったのだろうか。ソシュールの以前にもたくさんの人が気づいたではあろうが、そのことを説明できるそれこそ言語を持つまでになんという長い年月を費やしたことだろうか。今では、言葉を話すから人間であるという転倒が平気で行われていることを誰も不思議とは思わないのはなぜであろうか。彼自身は著作を残さず、沈黙してこの世界を去ったと言われているが、彼の沈黙が現在の(現在よりもちょっと昔か)構造主義と呼ばれる磁場を作ったのは自明の理である。
 田んぼで稲を育てようとしても、畑で野菜をどしどしこしらえようとしても、あるいはよき父としてなどとは言わないが、普通の家庭を築こうとしても、何かを始めようとするときに必ず、去来する寂しくて無力で虚無な感じ。そうした癖が私の意識にはあって、しかも、このことをまず説明してからではないと何事も始めてはならないと思っていた。が、これは今となって見れば、たんなるグズでのろまでこざかしい言い訳にしか過ぎないとは思う。再び、が、ミタビしかし、わたくしという一個の特殊現象をそもそも社会的言語にて説明するという間違いに気づくためにはとても、有効な遅延行為であったと思う。今50才を越えて、大脳の生理学的年齢も古くなり、記憶力、思考力などの能力も衰えて、しかもスタートラインでのぼたんのかけ違えに気づいたことは、わたくしという個人的現象にとっては何の意味がなくとも、社会的には非常に有効な検体となりうるのは間違いのないことであると思う。(犯罪者が明確に正義を輪郭づけるように)
 われわれは物語を脱して小説世界を維持できるかが、晩年の中上健次のとらわれだったように思う。文学者はそもそも破綻しているがゆえに世界を求めざるを得ないのだと。日本の俳諧には何かまだわれわれの知らない魅力があるように思える。否、日本語そのものにわれわれネイティブがネイティブであるがゆえに気付くことのできない磁場があるように思える。音声(的)言語だけをランガージュとするソシュール、書かれたものの中にエクリチュールを発見したデリダ、その両者ともによだれを垂らさんばかりに日本の書物を手に取るに違いない。

日雇いに 明日も行けと 暦言う

2013年5月15日

こかせてください。

ryushou寺前デカ田の裏山に道があります。5年ほど前に炭窯がつくられました。→わじゅカタル
古い言葉が知りたいと思っています。違うかもしれんが、日本だけなんではないか、たった200年前の日本語がわからないのは。書き言葉という特殊性があるのかもしれないが、それでも辞書を引いても読めないのは大変なことと思うのです。
 よく考えれば、古い言葉は自分にとっての他物として封印されているがゆえに、現行の意識がどうにかこうにか、古い書かれたモノを認識できるようになるということは、他文明では考えられないような出来事をもたらすのではないかという淡い希望です。なぜ、唐突にこのように言うかと言えば、yoromiのような僻村にて、連日田んぼに入っていると風景を描写しようとすると、あまり使えるような言葉がなく、(かえって、測量、土木系の専門用語が機能せざるを得ないという気がします)もしかしたら、長い文章を重ねることなく、たったの一語で目の前の瞬間を書きとめることができるのではないかと思えるのです。(かろうじて、芥川龍之介の中期の伝記的作品にその名残があるような気がします)
 小学校から漢文をはじめとする難しい勉強をしておけばと思ったりします。良かれと思ってという明治時代の官僚の方々の努力がかえって、自分自身を表現する時に、その行為を阻害する働きをしていると思うのです。われわれ、現在に生きる者は明治時代以前を博物学的にとらえるより手立てが無いのです。
 古い言葉は消えてしまってはいない。無用の長物としての厖大な古書を、今一度、じっくりと味わってみたい。
itayaAさん、朝の読経後、くりの窓を拭いておられます。

2013年2月20日

つねに、原発事故後。最短で300年間。最長で2億年。

組織っちゅうんですかね、目に見える部分が、何かをやろうと決めた時にその何かは発表されるんすかね。これをやろうとおもうんだけれども、どうだろうかと、決める前に発表されるっちゅうこともあるんすかね。どっちが多いんすかね。
 民間の私利企業と、人の金をあずかって運営している、たとえば、地方公共団体では違うだろ
うし。何かを本気でやろうとしているのが組織の目に見えない部分に属しているとなると、どちらにしても、それはあんまりよくないんじゃねえのという声は届かない。すでに目に見えない部分に沿うようにして、利害関係者からうごめき始め、中間にもろもろのものをとりこみながら、最終的に多くの目に見えない人たちの無言の声が、何か、の全体をゆるやかに覆う。それ、おかしいんじゃねえのは、不思議にも緩やかな幕に覆われたこの、何か、に必ずたどりつく。
 さて、目に見えない部分っちゅう言い方はあまりにも抽象的ですね。これが最大のなぞですね。それ、やめてほしいなあが、増えるほどに抽象度が増していく。これはかなり怖いことですぞ。この部分は目に見えなくなって、しかも無くなりそうもない。(決して、放射線のことを言っているわけではありません)何かをやろうと決めた人物や団体が仮にあったとして、彼らのコントロールの範囲さえ、越えてしまうんですから。コントロールできる意思はこの世にはほとんどありません。地球外生物はこれに全く興味を示さないでしょうし。
 何事も起こらず、よりよく機能する、何か、がほとんどで、そうした事例はとりたてて、騒がれることもなく、ふつうのこととして日常を形成していることと思います。問題は、問題がありそうだと騒がれた、何か、です。致命的なことがあった時に目に見えない部分の不気味な意思は、いろいろな場所で試験紙に反応するようにして出現しております。いまだに放射線が放出されている状況を見ないようにしているテレビなんぞ、その最たるもんだと思います。(あれ、放射線のことをいいたかったわけじゃないんだが)

2012年10月17日

病院花便り。

指、回復傾向にある。治るというのはすごい。何事もなかった時に戻ろうとしている。五感はなんと不思議なのか。五感を感じるとはなんと言語を絶していることであろうか。安物の天体望遠鏡の使い方がわからないまま、夜空を覗いていて、とつぜん、光が飛び込んで来た時、思った。脳はもはや天空ですら物語の中の現象としてしか理解できなくなっている。(言語を絶した世界のことゆえ、表記にゆれが生じることを自明のこととしてほしい)のだと。単なる点は理不尽なまでに冷たいのであった。痛みはどうだろうか。農作業では、左手(利き腕ではない)の小指は、なくてもできる。でもPCのキーボードを使う上では非常に困る。長く打てない。回復するから、困れるのだろう。
wajima病院内に臨時的な感じでおいてあった。病院花便り。内科の男先生の手による。花が(*^ω^*)という感じがえかった。

pm3時半。

2012年7月21日

薪準備終わり。

一人で仕事をしていると、耳鳴りもうるさいけど、自分がうるさい。うるさいと感じるのも自分だけれども、どちらかといえば、うるさいと感じられる自分の方がはるかに多い。うるさいと感じる自分がいるときにだけ、うるさいと感じられる自分は存在できないのだから、もちつもたれつです。しかし、両方が、同時にあることはないですな。常に、私という場に存在できる自分は、どのようなタイプであれ、どれか一つですな。だから、現実に今あるのはどっちの自分だと、考えたら、もう検証不可能ですな。おいてけぼりをくらわせられながら、おいつこうとすることが、人生の全てだ。
最近のひらめき。思考と言葉と意識は絶対に同時発生なのではないか。で、常に今あるのは、その中のどれか一つなのではなくて、すべてである。たまたま、そのうちのどれか一つにこだわってしまった場合、そのこだわりから、一瞬でも抜けることは無理なんではないだろうか。自分でつくってしまった囲いは、出ることは、無理。だが、出る方法があるし、出た人もたくさんいたことだろう。
また、意識と自意識がまったく違うものだということを、表現することは無理だと思うのだが、これまた、すでにある。と思われるが、それは読めても、理解できても、伝わったことにはならないと思う。自意識を自分の意識だぐらいに思っているやつには、読書ということの本質を知らないものには、読めないと思うのだ。
自分という感覚は、そんなに古くないと思うが、一端知ってしまったものは、知らなかった時のことを、それが、たとえば、昨日だったとしても、全く思い出せないのだった。
アブやブヨは、両手が使えない時を見計らったようにして、やってくる。ブーンブーンと自分のまわりを旋回します。「ほんとにズルいやっちゃな。スズメバチかと思ったぞ」だが、叩き落とすと、中身がほんとうにスカスカだ。あわれなヤツやなあと思う。「やっぱり、ホンモノのスズメバチはレベルが違うな」。ハエもわざわざ、付いてくる。うるせえなあ。おろかな連中だ。そして、夕方、一服こいていると、目の前に女郎ぐもが、もさもさ、上下左右を行ったり来たりしているのが、目に入る。「器用やなあ。繊細な技やなあ」。いや、あれは本能的な動きなんであって、あいつらはエラくない。「いや、やっぱり、研鑽したんやって」。やっぱり、自分はアブやブヨと発している波長が一緒なんだなあと思いました。スズメバチやクモのことは全くわからない。
昨日の夜、やはり玄関外で一服こいていたら、左後方で、アフン、あへとかみたいな高波長の音がした。以前からよく、マムシを見る場所で、もしかしたら、子供のあれかっと、怖かった。「頼むから、許してください」とお願いする。なんだか、未知の生物から送信された言葉なのかもしれないと思うと、カエルや虫のなきごえも怖くなる。「お前、ビョウキなんやから」と自分が自分に言い聞かせても、ごまかせない雰囲気がある。もはやちょっとした物音にも意味をさぐろうとする。人間って、じゃないな、おれって、もしかしたら、なんにも知らんのかもしれない。と思う。玄関をあけて家に入ろうとすると、ガサゴソという物音の正体が動いていた。忘れよう。と思うとすぐ忘れられるのが、救いだ。自分と私と己は違うらしく、正確な説明も、特に仏教の教学の場では、ほぼ判明もしているらしいのだが、これだけは自信がある。この私という自意識では、そのようなことは絶対にわからないと。この強烈な自意識はこの私にしか触れないのだと。誰の、どんな意見も全く参考にならないのだと。クモの糸を見ていたら、芥川龍之介を思い出した。あいつ、36で死んだのか。若かったんやなあと思いました。でも、やっぱり、自分のあとをついてきたら、蹴飛ばすやろなあと思いました。
俺を一番疲れさせているのは、俺なんやなあと。


追記。

結局、8束もらった。どうも、束が小さくて、中の木切れも薄くなったようです。ゴミとしていたものを、ゴミではないことにしたのだろう。会社は厳しいのだ。

明日は田んぼの水を落とそうと思う。

2012年6月24日

公演会。in Wajima

 PTA活動にて、講演会に行く。親力で決まる子供の将来。うーmm。つらい。50を越えてなおも、自分はいったいどうしたらいいのかわからない者にとってはストレートすぎる演題でした。聞いているふりをして、200人を越える観衆に、一人立ち向かう方の話し方を研究しようと思いました。あがり症のjusaiにとっては神業にも近い行為なのです。
話を聞いてしまっていましたから、話し手が一枚上手でした。何百回も講演を重ねると、おそらく自分はこんなにうまく話しをしたなどという感慨はないのでしょう。それに、重大な集団的勘違いに気づいたものにとっては、その勘違いの要点を簡潔に伝えたいという強烈な熱意も生まれているのでしょう。親野智可等(おやの ちから)さんにはそれがあったように思います。話し方のマニュアルなんぞなかった。教育を大上段に語る場合に、容易に陥りやすい、権力への迎合もなく、かといって、在野で、がんばって、がんばらないでおこうみたいないい加減なスタンスもなかったように思いました。子供に対する教育の重みを臨床的に痛感せざるを得ない、教師としての現場を土台にされた方ですから、臨床例(すなわち実際の教育現場)を素直に研究しようという決意のようなものも感じました。
中庸というのはむずかしい。客観という主観からしか客観が見えないようにして、あらゆる事象を私という主観で見ることはできない。限られた空間を限定してはじめられた事象しかわからない。すばらしい話は話手と聴き手のどちらにもない。面白かったなあ、あの人の話はでは、まだ、話は話手の中にとどまっている。面白い話を聞きたいというjusaiには面白い話など決して近寄ってこないのだ。かろうじて、残っているのは途切れ途切れのフレーズだった。
「真実はシンプル、やるかやらないか」
「あきらめて目をつぶる」
「意味不明な言葉で怒る。たとえばばびぶべぼん」

午後から田んぼに入ろうと思っていたのだが、実家によって、父と話をする。父の父はいつも言っていたフレーズがあった。「この辺の海の沖合に平家の落人の船が嵐を回避するためにやってきて、その中の書記官がこの地を気に入って、そのままこの地に住みついたのがわれわれ、左伝家の先祖なんだ。(jusaiは25才まで左伝という姓だった)屋号が文衛門なのはそのためなんだ」
これは幼き頃jusaiも聞いた。父はそんなもん、うそっぱちのでたらめだと言う。そこで、jusaiは言う。「あんたは理科系だからそんなことを言うけど、俺は信じてる」「ほら、叔父さんが調べた江戸時代後半のご先祖さまの話、ほら、一人でお寺巡りをした女の人が持っていたっていう小さな観音様の像、まだじいちゃんの家の倉庫にあるでしょう。あれ、見れないかな。それに左伝って春秋左氏伝の略なんでしょ。あれって、漢だったかナントカだったか中国の古い時代の戦争の歴史の記録なんでしょ。平家は源氏に敗れて命からがらこんなとこまで逃げてきたんでしょ。きっと奥能登の各地に平家の正確な歴史を残すために奥能登の各地に暗号というか、文字にしない記号が眠っている場所があるげんて。父ちゃんが先祖代々の口伝を受け取らなかったせいで、孫の俺に隔世伝達されてんて。父ちゃん、長男としてあるまじき人生を歩んできてんて」
絶対に文字にしない記号の存在を想像して妄想は止まらなくなってしまいました。jusaiが大好きな本の著者たちはみな共通してこのような妄想に一生を捧げた人が多い。ソシュールや折口信夫、それに中上健次。妄想だから正しいかどうかはわかりませんが。
諏訪神社の真向かいの山にアオサギの巣がある。神社前田に入っていると彼らが神様の侍従のような気がしてくる。(画像中央にアオサギが集落を見下ろしている。

はずれのどん詰りの駅故に、シベリアに向かう。今は廃線となり機関車は来ない。
なんだかすごく疲れた一日でした。

追記

講演会会場の上にある大ホールにて、輪島市主催による「がれき受け入れの説明会」が開かれていたことをニュースで知る。全市民に対する説明会とめいを打っていたようですが、同会場ではなんの看板もそれらしい、デモンストレーションも皆無でした。疲れ倍増。

2012年6月22日

指導者研修会。in Kanazawa

浅野川。下流に向かって。ここにも水がある。

研修会会場のホテルN航。この近くに古い古い辰巳用水が流れておりました。用水が好きです。直前まで奥能登の小さな川で途方にくれていた者が、30年前の麻のジャケットを着てロボットのようにして歩いている姿を想像してください。(喫煙所前から撮影)注。喫煙所は鉄塊のような思いドアの中、全くホテルマンのサービス(思いやり)の届かないスペースとして自立しておりました。一枚の油絵が慈悲のようにして掛けてあり、愛想のよいホテルマンのあんちゃんに誰の何という絵なんですと聞いても、へらへら笑っておりました。注。ホテルマンのあんちゃんは、客の些細な迷いをも見逃すまいという姿勢が存分にうかがえました。このような職業もあるのだなあと思いました。あれはなにマンなのだろうか。

約700人のPTAの方々。このうち100人くらいはPTA会長^^;
 kanazawaにゆきました。石川県PTA連合会による、よりよきPTA活動の指導者としての自覚とテクニックを学ぶという場です。yoromi出発直前まで、N水系の取水口の堰に水がたまらないで、小川にて途方にくれていました。ただ、小川を二枚の分厚い板で堰止める以外に何か独自の操作でもあるんかいなと困っていると、視野に人影が映り、声が届いてきます。Nばあちゃんでした。「それそれ、ほらそこの出口にあるカゴ(葉っぱなどをフィルタリングするためにかぶせてある)に葉っぱ、つまっとる、せい。それ、とるまっし(まっしは強い要請を和らげるための当地に語尾における方言)
取ると見事に出口から用水に向けて強い濁流が田んぼに向かって流れていきました)このまま一生一滴の水も流れてこないんではないかという思いもあっさりとながれてゆきました)葉っぱのせいかもとは思っていたのですが、こんなに影響を与えていたとは思いませんでした。小さな一手間がその年一年の田んぼの風景と収穫量に多大な影響を及ぼすことは何度も経験していたのですが。
kanazawaはjusaiにとって、コンプレックスの場所です。日本の縮図のようにして、一極集中の県都として君臨しており、jusai幼かりし頃、kanazawaへ家族ドライブするなんぞという行為は相当の緊張をもたらしたものです。その反動として、いまだに岐阜の田舎武士をmaeda様として、全面的にあがめておる田舎ものめ、おれらnotoはユーラシア大陸の大部をしめる中国文明との融和によって、きみたちに徳川体制というモダンなイデオロギーを産み出す素地を与えているんだ、などと、強がったりしております。石川県公衆浴場組合(ヨクジョウですぞ)理事として、何度も参勤交代のようにして、金沢にある事務所の会議に参加した折、いつも感じるのは石川県は基本的に地域(この言葉は大嫌いだ)を加賀、能登、金沢と三分割して、催し等を均等に配分するという建前がありながら、議事進行は圧倒的物量を誇る金沢地区の人たちがほとんどイニシアチブを握ってしまい、加賀は金沢よりも関西にちょっと近いぶん、はるかに遠い能登などはただ、追随するどころか、首をちょっとかしげるだけなのであった。うーmm。こうして気づいたが、こりゃただの被害妄想に近いなあ。しかし、田舎者のコンプレックスは、こうした相手側の無自覚に対して、いっそう、妄想はつのるのであった。
研修会にて、二つの学校が自分たちのPTA活動の様子をプレゼンテーションされたのですが、700人近い参加者の間で名刺交換会ゲームがあり、三枚の名刺を持って、知らない人と名刺をやりとりしました。jusaiはきれいな中年女性とやりとりしました。金沢周辺の学校の方で、つい、三時間ほど前まで、こぎたない作業服で、小川で下を向いて、困っていた自分が見えます。が、聞けば女性も奥能登のご出身の方で、何と思い込みの激しい男かとしなだれました。同時に、tokyo在住中も薄々、思っていたのですが、jusaiのような激しい田舎者のコンプレックスが巨大都市の属性の大部分を形作っているのではないかということを裏打ちいたしました。都市市民は、ほんとにただの普通なんではないか。(しかしその普通さに対してもコンプレックスの矢を放つのですが)
さて、今回の指導者!研修会の総括を。
PTAとは、ようするに、ただの保護者会なのだと思う。しかし、教育委員会の属性があいまいなのが、戦後の教育だけは財政やあらゆる社会的カテゴライズから独立させたいという形而上学的発想によることと同様にPTAも子供を神聖化しようとする思いからスタートしたのだろうと思う。(TPPのように記号的な外来語の羅列が好きなのか)
そうした倫理を伴った行政的区画から倫理だけが形骸化して、制度だけが残り、はては、PTA活動をうまく維持するノウハウをやっきになって探すという完全なる逆転現象の海を保護者たちは、ただ唯一自分の子供のためにという現実を頼りに、ほぼ消極的に活動しているのだろうと考える。三時間近くの会議の間中、ただの一度も、今子供たちの様子が垣間見られなかったのである。危険から子供たちを守ることに精一杯で、危険そのものをなくすというベクトルがまったく無いのである。


自家用車で行ったので、会場のすぐ近くにある村田住職の甥であるtatsumi ryoukou住職が守っておられる、kousei寺に車を止めさせていただきました。すぐ、帰ろうと思っていたのですが、ryoukouさんを見たら、しゃべりたくなって、(jusaiは心身疲れるほど、雄弁になるのです)ベラベラとたくさんしゃべらさせていただきました。住職の目が届きまくっているお寺さんの本堂や庫裏にて、ベラベラとしゃべりながら、はて、俺はいったい何を言いたいんだろうという思いがよぎります。そしてこうして回想しながら書いていて気づいたのですが、何が問題なのかを知るためにしゃべっているんであって、問題が明確にあって、それをそのまま表現しようとしているのではないのだということです。そして、問題はそれに近づこうと思えば思うほど、遠ざかります。そして、そうした自意識の正体こそが、形骸化した形而上学なのだと。そうしたエコ、もとい、エゴを、どんなエゴでも拡散させてくれるのが、本堂であり寺域なのだと。住職のエゴがもしあるとするならば、ただちにそうした肉声をせき止めてしまうであろうことは、容易に想像されます。

多くの方々が浅野川の氾濫によって命を落とされたそうです。

本源山 廣誓寺。http://www.kouseiji.net/ryusyou寺からやってくると、いっそう寺域が綺麗に見えます。
自分のことを精一杯心配することだけが、真にそれらの個体同士をつなげざるをえないと思うのです。

2012年6月6日

お百姓さん。

 旧柳田村を通ると、尋常ではない丁寧さで草刈のなされた田んぼがあります。奥能登は全体的にそのような傾向があるのですが、ここのは更にその上を行っている。職人が壁を塗ったようにして、それが普通の光景としてある。同時に、草刈がなされていなかったり、刈ってあっても、どこかちょっと違う田んぼも増えてきた。ひがな一日じんまりと草をつんでいるおばあちゃんも減ってきている。一気に丁寧な田んぼが減っていくのかもしれない。経済成長を経ても、なお受け継がれてきた丁寧な田園風景が変わってしまうかもしれない。上手に田んぼを仕上げる人は居続けるだろうが、どべっとアゼ際にたたずむ農夫はいなくなってしまうだろう。単に心を込めて田畑に向かうのではなくて、ただ風景としてしっくりと佇む農夫が居なくなってしまうのだろう。徐々にではなく、急激に消えてしまうのだろう。
旧柳田村 某所にて。
にしても、左官仕事のようなアゼ塗りが消えて久しい。


「働かなければ食ってゆけない」――我々が生きる世界は苛酷だ。しかも「働く」ことが「賃金を得る」ことを意味している。資本主義経済は労働を貧しいものに変えてしまった。そして食べることと働くことを完全に切り離すことに成功した。

 等価交換の幻想を支配しているのは金融と流通である。そしてこの舞台に広告会社とメディアが演出を施す。経済の実態は消費という反応に堕してしまった。

ブログ 「古本屋の殴り書き」より、コピーさせていただきました。

2012年2月26日

わからないと知ってはじめて知ることの可能性が生じる。

プロの作家のすごいところは、人とは違う特別なことを書けることではなくて、あたかも普通の人がいるかのような普通の世界を書けることだと思う。何かを書こうとするド素人は自分にしかわからないことを書こうとするするものが多く、文章そのものが普通ではなくなっている。では普通の文章なるものはあるのか?普通の世界を普通の文章で書くことに何の意味があるのかと思うが、残念ながら自分にはわからない。自分というものが特別であることを疑えない私には一人のシンパシーも知人もなく、最低限の普通もありえない。特別な状態が普通なんだとも思うが、これは単なるレトリックというやつだろう。どうして、普通をわかったように普通と言えるのか。書き言葉そのものが普通の素地を生み出しているとしか思えない。いいとかわるいとかの問題ではなくて、書かれたものがあるということに疑いをいだいた書かれたものなどあるのだろうかと尋ねたい。唯一生きることそのものが苦であるとゴータマシッタルダが言ったと書かれたものに可能性を感じるのは偶然でも、出版社の宣伝によるのでもなくて、求めざるをえない事情が私の中にあるのだ。作家には草野球や、草芸術家というジャンルが存在しないと思うからプロ作家という言い方をしたのだが、彼らの書いたものの中に出てくる登場人物がどんなに異常な存在であったとしても普通に読めるのは作家の力なのだろうか、それとも読者の力なのだろうか。あるいはほんとうに実在するほんものの世界の力なのだろうか。どんどんわからなくなっていく。

2012年1月29日

大脳までもが老いるということを想像できなかったのか。

構造主義とかポストモダンだとか、哲学的な問題だとかにひっかかるようでありながら、いざそれらが何を指すのかということを考えてしまうと、どこから入っていいのかわからなかったり、個別の用語が
説明者によって微妙に違っていたりして、時間だけが経過してしまったという感じだ。何かを考えたい盛りの若者が最初にぶつかる壁のようにしてあったのだった。そうした感じはもしかしたら簡単にわからないと言えなくなるような装置として、少なくともこの日本ではジャンルとして置かれていたのではないかと最近になって思う。種としてのジンルイであるとか人間であるとかの表現自体がいわば本来普遍的な一般名詞であったものが、それを考える主体としての個人しか指さなくなってしまったのではないのか。普遍を記述する物がそもそも一個のモノになってしまっている。そこには当然のこととして長年積み重ねられてきた言語活動の中で抽象化されてきた意味そのものの否定が含まれてしまうのではないか。意識が肉体を否定したというか。こうした活動記録そのものが想像されるしか手がないものとして時に文学そのものの構成要素であったと思う。人間の外にたった元人間はいったいどこに立っているのであろうか。ついに最近の若者はという言い方が消えたのだが、成長の止まったままの最近の若者がついに初老を迎えつつあるのであった。

2012年1月28日

どこに行っちゃったんだよお。

 世界的に国際的に見るとどうも共通して60歳前後に目立つ政治家がいない。アメリカだとブッシュからいきなりオバマ。日本だと麻生や官からいきなり野田。つまり70年代前後に学生生活を送った人が政治家にはならなかったのか。この間にいったい何があったんだ。歴史にの教科書にも載っていなかった。俺が1960年生まれの共通一次試験第一号で、野田がおそらく五年ほど上。さて国政に目立つ政治家というと、一体誰がいるんだ。どこにいったんだよお。今60前後のやつらはいったいどこにいったんだよお。俺ら世代の5,6年あとがジュリアナ東京とかいうディスコでひもパンで踊った女の連中の世代。俺はよ、小学校の教科書に日本の原子力発電所による発電量が世界二位だって書いてあって、はよ、1位になればいいのにと思っていたんだ。
そういえば、中学校の卒業式で、二歳上の最上級生の兄ちゃんが大きな栗の木の下でという有名な歌を替え歌で大きなクリトリスの歌って言っているのがよくわからなかったんだ。まあ都会の兄ちゃんの反体制の流行が辺鄙な輪島にも届いていたんだろうな、まあ何かに反抗すること自体に価値ができたんだろう。いまだにその生徒会長の姿がトラウマになっているんだ。意味がわかんなくて。
にしても、なぜポッカリと間が抜けているんだ?そいつらはいったい今どこで何をしてんだ。まさか自分たちが最も否定していた国家の施し(年金)をもらいはじめたんじゃねえだろうな。おまえらは今どこで、どのように暮してんだよ。国家をなんだと今思ってんだよお。まさか、古きよき時代として思い返してんじゃねえんだろうな。自分たちが生きている間だけなんとかなればいいと思ってんじゃねえんだろうな。なあちゃんと答えてくれよなあ。大事なもんをよお、破壊しただけで居なくなっちゃうんじゃねえだろうなあ。なあ。
なんで、海城高校のあいつは金属バット事件。もう少し後の宮崎は宮崎事件。平成の加藤被告にいたっては秋葉原事件。もはや、地名で事件が呼ばれてんの。金属バットで親を殺したあいつは同級生なんだぜ。おれらモラトリアム世代にしてピーターパンシンドロームだ。ようするに大人になることを拒否した世代なわけだ。俺らが大人になれないのは俺ら一人、一人の責任なのだろうか。何故これほどまでに無意味なことを考え続けてきたのか。個人にて負担できるほどの問題なのだろうか。 ようするにさ、その70年前後に学生だった連中はいったい自分たちが何を壊してしまったのかぐらい、後世の」連中にちゃんと教えておいてくれよな。思い返す青春が奪われてしまったんじゃないかって俺は妄想してるわjけよ、お前らのせいで、考える土台すら奪われたんじゃねえかって思っているわけよ。なあ反論してくれよ。お前らよお。今いったいどこにいるのかぐらい教えてくれてもいいんじゃねえのか。
反抗ってのは、簡単なんだ。反抗するべき大人がいないのを嘆け平成生まれの君達。恥ずかしことだが大人買いだとか大人のなになに。が異様に増えてはいまいか。わざわざ商品コピーにしないと存在しないのかよ。われら50才になりたてはよお。

2012年1月15日

直感に頼るしかない。

作文する時に、書くことを考える。内容を考える。いいのを書きたいと考える。が、実際に文面が生まれる瞬間を考えるならば、ほぼ気絶している。徹底してライブでありながら、書かれたものを見る時にはすでに過去である。考えれば消えてしまうような場所に書かれたもの(作文)はある。人はどのように考えても、考えるということそのものの源から生じている。書かれたものはその流れのどこにもない。何かを書くということは、ただ生きるということからはあまりにも遠いのではないか。にもかかわらず、今この私を表現することができる全ての媒体の源でもある。正しくて、いいものを書こうということがすでに間違っている。何かを書くという行為がすでに絶対的に正しいのではないか。もちろん、人という範疇においてのみ。うそも、間違いも正確に記述できる一つの場所が作文(書かれたもの)である。
と思う。

 根雪になった。→http://jusai123.blogspot.com/search?updated-max=2011-12-18T11:42:00%2B09:00&max-results=10
屋根雪。葛飾北斎っぽい。

雪道。モーゼっぽい。



塩漬け大根をべったら漬ける。バベルの塔っぽい。