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2013年11月17日

あんた頭が悪いからと脳が言う。

『妄想と詩は違う』

脳が腫れているような気がする

使いすぎてはいない

なにか不都合なことが生じているようだ

あるいは生じようとしている

あるいは生じてしまっている

ようだ

使われ方がおかしいと信号を送ってくる

自己は自己否定できないのだ

妄想が詩を書けないように

脳が秘密を持てないように








2013年7月18日

読書感想文。蕪村句集。

 久しぶりに本を手に取り読む。蕪村句集。明治のスター俳人たちの解説がすこぶる面白い会話体をとっているのを読むと明日にさしつかえると、太字になった句のみを追う。月並みという批評が再三入るようではあるが、子規の言わんとしたように、数学的に五七五の17文字の組み合わせには限りがあるであろう。
 が結構長く続いていて、今も尚、この詩形に魅せられている人は多い。想像するにまったく同音同意義の二つの句も、読む人によってまったく違うテキストと感じるのではないか。わたくしが今日思うことは、製作者の視野に絶望がかぶさっているのかどうかが分岐点であるということ。その絶望は他の誰でもない文字をつらねた製作者自身のものでなければならない。自己が自己に対面する時、このような感情をまず一番に感じないものは作句をしても意味がない。
 そして、詠ずるだけでは不完全な形体でもある。必ず書かなければならない。伝わるのはその時、その場所での感情そのものではなく、彼自身が出会った自分自身の絶望そのものなのである。もはや、時間が彼なのであり、場所が彼自身なのであるのだから。その時、その場所で立っていた自分自身、その全体を過不足ゼロで納めることができる!そして詠ずることができるならば最高だ。
 長く、伝承されてきたものは、こうした形式そのものが書かれたという事実そのものなのかもしれないのである。技術的に申すならば、助詞に厖大な責任が課せられていることがわかる。レトリックに限りなく近いが、そうではない。一語一語の倒置やあり得ない終止形など、技ではなく、わたくしの今のこの思いを形にするという義務が課せられた、出来上がった形からわたくしが表現されてしまう、いかなる知識や新規な感覚もここではまったく関係が無い心そのものが、それぞれの孤独な場所で形作られる形式に、技術など入り込むわけがないではないか。
 絶望を希望に転倒させるためにあるのではなく、絶望を絶望のままに書きとどめることができるのだと思う。まったく知らなかった自分が発見されるのである。あるいは、見ていなかった。あるいは気付かないふりをしていた自分。
 今さらながら、語彙を増やすよりは、助詞の力を感じながら、ネイティブとしての日本語を客観的に見て行けたらと思う。

日雇いに 明日も行けと 暦言う

2012年8月7日

日曜日はストレンジャーby石野真子

朝一番に、駐車場用の土砂利を頼んでいた、mori土木の社長さんが現場を見に来る。結局、思ったよりも土砂利が必要にて、けっこうな金額になる。でも、それでお願いすることに。
 nishikawa家の墓をそうじしにいく。日陰にてきもちのよい日。その足で、morishitaさんの家に行く。wajima最高峰のkoushuzanのふもとというか、入山口のような場所にある。海へ行こう行こうとうるさい氏にことわりに。カルピスソーダの冷たいのを出されて喜ぶ。駐車場のことを話すと、いつもの調子で、「なーんで、そんなお金つかって、砂利なんかしくのー」「わけのわからんことをするなー」土砂利をわざわざ使わなくても、地面を切り貼りすればできるよー」とほくそ笑んでいる。
結局、mori土木にお断りの電話をいれる。その際、村田住職に、対応がまずいといわれる。自分の気持ちばかりを優先して相手の思いをまったく聞こうとしないみたいなことを言われる。村田住職によれば、jusaiはふつうにしゃべれていないらしい。いわれることはなんとなくわかるが、ダンプを呼ぶにもかかわらず、ダンプが通れないほどの枝ぶりに囲まれた道は、自分の思いそのものの帰結ではないかと、思う。すると、村田住職は、いきなり会話を打ち切って、すみませんを連発する。冗談とも本気とも理解不能な対応にjusaiは大きな?だった。なんとなれば、yoromiのトポスこそが、村田住職の思いの上に成立したものではないのか。と思う。社会から隔絶して、なおも、その社会の末端にいること自体がおかしいのではないかと思う。その上で、生活費はいったいどうしているんだ。賃金労働をまったくせずに、どうしたら、生活が可能なのか。日ごろの村田住職に対する不満が爆発する。住職は、シンパシーを持つ人に対してしかしゃべれないのではと日ごろから思っている。そして自らにシンパシーを感じない人は、自分にとって知らない人としてまったく放置して、平気だ。なぜに、そのようなポジションが許されるのかがわからない。それが坊主ということなのか???
きく。

きく。

やっぱり、おれはここに入る。
がまんがならないから、書く。今日からは、jusaiは見知らぬ人にあいなったのだった。



真夏の夜の雨

思考という名の

沈黙に眠る私よ

言葉という名の

停止に眠る私よ

眠れないままに

歯ぎしりをする私よ

私という名の

何をさすのかわからない

言葉と思考よ

2012年7月8日

yoromi地区の草刈。

一年に一度、光が夏へと変化しはじめる今頃、与呂見地区の草刈奉仕があります。老老男女が集って、林道(yoromi high way)脇の草刈をします。総勢15人ぐらいはいたでしょうか。yoromiからは村田住職とjsaiが参加しました。村田住職はyoromiを開いて、すでに30年以上、生存中の半分を暮らしていますから、古老たちのまだ、ぎらぎらしていた時を知っているのでよう。「みんな年を取ったねえ」の言葉にも意味深いものがあります。自分自身は、はたしてどうなのか。老人の中には誰一人として、自分を老人だと思っている人はいないのではないだろうか。宮沢賢治ではオーバーで、不謹慎ですが、あなたがたからみれば、さぞや悲惨な風景でしょうが、私からみれば、ただの冬景色ばかりですみたいな詩があったように思いますが、常にいつでもそうなのでしょう。毎夜、歯をみがく時に見る自分の顔は中学生の時とちっとも変わっていない。(最近はそうでもないけれど)自意識は年をとりようがないのでしょうか。
こんな時にカメラを持ってきていなかったので、みなが、ダベっている間にカメラを取りに行きました。しかし再び戻ってきたら、すでに散会となっていたのでした。
諏訪神社の草刈を有志でやるそうです。「あんたらはいいから」と言われたそうですが、いまだに多感なjusaiは「やっぱり、仲間に入れてもらえないのか。まだまだ、旅の人(能登ではよそもののことをこう呼びます)なんだな。でも写真が撮れそうだと諏訪神社前のわれらが田んぼの草刈をしようと思いました。神域で草を刈るネイティブyoromiの人たちを少しうらやましくなりました。実人生では家々の間でいろいろな関係性があることとは思いますが、そういう不都合なことをも含めて家族のようなもんだな、と思いました。もちろん、窮屈だなとも思います。
諏訪神社の神様に問います。私はここにいていいんですかと。返事はありません。しかし、足元を見れば、田んぼのアゼです。田んぼを見やると、オモダカが多くて、ガッカリします。ふと思う。
田んぼというのは、ネイティブであろうと、旅の人であろうとやる人を選ばないのでは?と。まるで楽園ではないか。田園。田楽。今日はかなり強引に攻めました。
その後、saaktaの方に向かいました。堰を元にもどすためです。一人ぼっちです。なんでオモダカあんなに多いんだろうとか、なんで銀座田1はコナギがあんなに元気なんだろうとか、おいおい、ばばなき田んぼ2クログアイ多いやんけとか、落ち込んでいると、夕べの日差しはちょうどやわらかくsakata4枚田を逆光にて照らして稲の緑がやわらかく見えました。ちょうどアゼに大きな石があって座って、ボケーっと条の揺れる様を見ておると泣きそうになってしまいました。「エエなあ田んぼは」と思いました。下手でも許すと無数の稲株が、否、田んぼという意味がjusaiを慰めてくれたのでした。与呂見とyoromiの重なるところに私たちの神秘的な兄弟たちがいる(下記、原詩のアンダーライン部分を拝借)

Into the Twilight  W.B. Yeats (1865–1939)           意訳 jusai123。

  OUT-WORN heart, in a time out-worn,        ほんとにぼーっとしてんなあ
  Come clear of the nets of wrong and right;     そのくせ、いいとかわるいかにだけは敏感だ
  Laugh heart again in the gray twilight,        もう陽が暮れる
  Sigh, heart, again in the dew of the morn.      昨日をまだひきずってやがんな

  Your mother Eire is always young,            あしもとの雑草が濡れてら
  Dew ever shining and twilight gray;           ほら輝いているだろう ほら輝いていただろう
  Though hope fall from you and love decay,    反対か賛成かでアタマいっぱいなんだろう
  Burning in fires of a slanderous tongue.       愛や希望だけで語れる問題なんかじゃないんだ

  Come, heart, where hill is heaped upon hill:    目はもう覚めたかい 芽吹きはじめた丘 
  For there the mystical brotherhood            不思議だと思えるかい
  Of sun and moon and hollow and wood        太陽によって輝く月が雑木林の後で笑っている
  And river and stream work out their will;        明日の話じゃないんだ 水の音が聞こえるかい

  And God stands winding His lonely horn,       善悪正邪の中に神はいないんだ
  And time and the world are ever in flight;       時間も世界もいいわるいの中にしかなかったんだ
  And love is less kind than the gray twilight,     おれらは今どこでなにをしているんだろう
  And hope is less dear than the dew of the morn 明日こそ優しくあれ 明日こそ
                                     The Wind Among the Reeds.  1899.

  井村君江さんの翻訳から原文を知りました。井村さんのは最高でした。完璧な詩ほど、微妙に勘違いをする翻訳が多いと思いました。未知なる世界に飛び込むんですから、翻訳にはそれなりの覚悟が必要なのではないかと思います。それに音韻がすばらしい。なまいき言ってしまいました。
Tさん、N(s)さん、それと、名前知らないです。

この人の草刈後は病的に美しい。

N(h)さん。この人の田んぼ技はあのgenさんをもってしてもわからないほど土木工学的です。

Tさん。

yoromi high way。この三叉路がsakataとの分岐点なんだな。むこうがわが、yoromiで、こちらがわがsakataです。

肉眼ではこのような光の具合ではなかったですが。







2012年6月30日

無題

何をやってもておくれだが
それでも生きていく
何でもやってしまうのだが
それでも生きていく
どうしようもないけど
生きていく
とてもたいせつなようにして
つねにあるものが邪魔なのであるが
それがなければこれもなかった
それがなくてもあったもののうちのひとつには違いないのだが
なぜこのようになってしまったのかが
これには
これにだけは
わからない
だからあるといえるようなそれは
どこにもなくて
だからこそ
ておくれでも
生きていく
何もやらないでいられるような
ておくれはありえない
どうしようもないと
言えているうちは
まだなんでもやってしまうんだ
なぜこのようなかたちでしか
生きていられないのだろう
こたえのないなぜだけが
すくなくとも
50年間続いているのだった

2012年2月11日

マスードの戦い


詩は物語に加担してはならない

あらゆる文脈を拒否して

空白の空間をつくり

私にも私たちにも頼らないで

それそのものを表記する可能性をさぐる

行いそのもののコト

私は私たちより出でて

異物としての自分を表記する

それははじめより

不可能であることをこそ知れ




http://jusai123.blogspot.com/

2011年6月3日

いまだに現在進行形の

Kさんのリヤカー

こざかしい知識などいらねえ

いかにもみたいなのはなおさらいらねえ

田んぼは毎年つくられてはこわされる

来年の種もみだけがそれを知っている

何千年かはしらねえけど

一世代もとぎれていねえからすばらしい

こんな大きな話じゃなくても

小さい話もすばらしい

こざかしいのははずかしい

こんなことをいっているおれさまが

こざかしい はずかしい

Kばあちゃんの仕事量に関して

ばあちゃんだいじょうぶかい

そんなにふらふらしてだいじょうぶかい

もうとしなんだからゆっくりやればいいじゃん

やさしくてまじめなおれさまはばあちゃんの心配をするが

ばあちゃんの手は何十年もくりかえしてきたしごとを

追いかける。ちょうどよいタイミングで、今できる最善の速さで

ごちゃごちゃこざかしい知識だけでものを言うおっさんに

見るに見かねたようにしているのは

ばあちゃんのこころではなくて

ばあちゃんのしごとそのものだ


2011年5月16日

いったい何が今おこっているのだろう

さんがつじゅういちにちよりも前にかえりたい

そしたら平和で、豊かで、未来に満ちた現在が戻ってくるのに

いま いったい なにが おこっているのだろう

みんなだいじょううぶなのかと言っている

何が大丈夫なのかと聞いているのだろう

だいじょうぶとはどういう状態を指すのだろう

さんがつじゅういちにち以前には答えがあったのだろうか

そういう問いそのものがあったのだろうか

若いときにみたタルコフスキーのサクリファイス(犠牲)の残像が常にある

核爆弾と原子力発電所事故との違いはあるが

物質そのものどころかこのぶっしつという文字の成立にすらかかわるのだから

そんなことはどうでもいい

明日が来なくなる映像だ

映画だから フィクションだから必ず終わらなければならず

主人公が魔女と取引をしてジンルイの破滅は回避される

ここで再び問う

いまいったいなにがおこっているのか

現実はこれほどまでに目にも見えないのか

ならば第一原発の現在とわれわれの意識という装置との違いを指弾できるものが

この地上にいようか

何かを問う前に自分の鼻先でも見るか

こんな意識上のパニックを笑える日が再び来ますように

そしてその時こそ

かつてなにがあったのかを忘れることのないように

ジンルイの歴史にあったことがそのままアーカイブされますように


2011年4月26日

すみません

あれやこれや並べやがって

かっこよさそうで

かんたんで

無料で

いかにも便利そうなのを並べやがって

意味不明の内容より

明確な構造の発見だって

ばっかじゃねーの

ようするに

おいらのうすっぺらい欲望のエッセンスみたいなもんで

それは決しておいらそのもののエッセンスではなくて

どんどんおいらから遠ざかっているのだ

詩だからって何でも言えると思ったんだろ

それじゃあますます詩から遠ざかる

2011年1月22日

今は冬なんだ



金はないし、雪はひどいし

車は壊れるし、税金は取られるし

おもしろい詩を書こうと思っても

書けないし

素直になろうと思うほど体に力がこもっちまうし

みんな幸せそうだなあ

自分の不幸が世界一だって自信も

だんだん失ってしまったし

絶望ってほんとに思えたらもう絶望ってないのかも

ほんとに思えるのはほんとに絶望って時だけかも

雪は勝手に降ってくるし

とにかく今は冬なんだ

2011年1月18日

悩んでいるふりをしている君(ネルケ無方さん)



言葉の力にも限界がある

そう思った瞬間

言葉にならないものが発生した

のではなく

すでにあった言葉が

限界を生み出した瞬間を捕らえられず

ほら未来が今カコになる

女の名前のような過去になる

思い出のような

歴史のような

過去という言葉に依存する

未来を抱きしめられないようにして

過去に抱きしめられる

顔が宙に浮き

何を考えているのか

自分が何を考えているのか

考えるほどに

普通にしゃべる言葉すら見失う


これら全ての

生々しい事実は

言葉のない場所で発生していたのに

千年のスケールで書かれてある

難しい顔をしてしまうと

思いもよらず

古典としてカコを解釈してしまう

僕のためだけにあらわれたテキストにしてしまう

カコはまだ生きているんだ

言葉にできないのは

カコがもういないんだという

思い込みの強さを見つけられる

シュゴがいないからだ

言葉の限界がこの私を主語として区切る

だから意識には際限がなく

ぼんやりとした輪郭を描くことで

永遠を語りだす

永遠とつりあうためには

言葉に出来ないものがあると

言葉で表現するしか手がない

カコはその言葉が大嫌いだ

いなかったのはそれをきいてくれる人ではなくてぼくじしんだった

2011年1月17日・18日 著者ネルケ無方(安泰寺住職)
よろみ村龍昌寺にて
正法眼蔵 現成公案を講義
¥777
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迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教 (新潮新書)/ネルケ 無方

¥777
Amazon.co.jp

2011年1月14日

機械の中の幽霊



あまりにもスカスカな文字のやまにいやけがさしそうになると

そのまわりのすてきですばらしい広告のやまに癒される

密室でひとりキーボードを鳴らしている男が

ほんとうは孤独からは遠いのだと知らせてくれる

しかもその広告はスカスカな文字のやまを頼りにやってきたのだ

私情をはさまない、いわばエコノミカルな行為は

たとえ機械的に誘導されたとしても好感が持てる

そのすてきな広告のやまは一人の孤独な男を

もしかしたら孤独からは遠いのかもしれないと知らせてくれる

今日はどんな広告がやってくるのだろうか

機械の中の幽霊はどんな顔をしてやってくるのだろうか

機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)/アーサー ケストラー

¥1,529       (文庫で出てるとは思いませんでした)
Amazon.co.jp

幽霊よりも、スカスカな詩の方が怖くて

内容も忘れちまった本のリンクを張っちまった(中原中也風に)

2011年1月13日

時間がタイムマシンに乗って



目に見えぬ水の流れを封印した

つららは時間を止めて

手のぬくもりをもたずさえて        

今私の目の中にある

解けだした時間がつららを語る           


語りだしたのは時間のほうで               

水の流れは今も小さな川をつくり続けている             つらら

流れているのはつららのほうで

今もなお語る方法が見つからないで                     

ただつららを持つこの子の胸で

語られる希望が固まろうとしている

一方で                             
微生物が時間を封印して        

まな板の上で

自分の行き先を見つめる

目に見えない微生物の時間を

心ではとても感じられなくて       

口の中で確認しようとする                        くわん

目がここにある

つららとたくわんが似ていると

ムリヤリ思う目が口を邪魔している




2011年1月10日

すんません

自立したテキストを編むには

自立した人間であらねばならない

韻文はそうした人間をまるごと表現する

もはや文字の組み合わせが書く人を超える

逃げ出したくなるのを押さえ

代わりにひとつ言い訳とすんませんの山に逃げ込む