2013年11月28日
2013年11月27日
臆病を選ぶ。
私の親世代以上は、戦争体験があり、戦場体験もあった。戦争の恐ろしさを知っていた祖父の話はいつ、聞いてもおとぎ話のようだった。中身は残酷なのに聞いているこちらの方が想像できないことだからかな。いつもふつうの日常の上で残酷なことは限定されていたからかな。かなりリアルな戦争映画を見ていると、残酷な出来事のわきで揺れている木々や草花を不思議に思ったりした。戦争は経験したものでないと、その残酷さがわからないのだと思う。どこかで、中枢神経をやられた麻薬中毒の人の精神状態を想像してしまう。いきなり前と後の状況が変わってしまうことが、まったくわからない。まさか。まさか、。こうなるとは思わなかったと思うに違いないのである。
福島原発のこと、気象のこと、地震のこと、中国のこと、韓国のこと、考えることがたくさんありすぎて頭がついていきません。
これからは公然と秘密をつくるとする法律が衆議院を通過しただけで、邪悪な国家妄想ふくらみ過ぎと言われてもいい。とにかく、日本が戦争にまきこまれないように、戦争を起こさないように、アメリカの手伝いで戦争をしなくてもいいように、へらへらと金だけ出すばかな国と揶揄されようが、とにかく戦争だけはやらないんだと言い続けるように。祈りたい。
福島原発のこと、気象のこと、地震のこと、中国のこと、韓国のこと、考えることがたくさんありすぎて頭がついていきません。
2013年11月26日
絶対王朝。
古本屋の殴り書き: 文字は絶対王朝から生まれる/『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽
日中戦争時の大本営や、現在の福島原発への対応を考えると、絶対王朝が無いことが想像できる。白川氏はそのことを深く理解されていたのでしょう。意図的なのでしょうか、いつのまにかなのでしょうか。
朝からテレビのワイドショーを見続けていても、特定秘密保護法案を採決するという緊張のかけらもない日常で、昼を過ぎてもミヤネ屋の冒頭でNHKのアナウンサーのゴシップをとりあげており、夕方に採決を強行するのに違いないと思っていると、ふとネットを見れば、すでに午前中に委員会採決が行なわれていたらしいことに気づいたのは午後を半ばをすぎていた。
今頃になって、自民党の法案を読んでいる。秘密指定者は何が秘密かも知られてはならない。ひょんなことで漏らしても罰せられる。また、秘密を保持するにたる資格を得た者も同様である。自衛隊法に同様の秘密保持規定があるらしい。万単位の秘密がすでにあったらしい。開示された1件の秘密を除いて、永遠にそれを知ることができない。それそのものが抽象されたもの、記号化された象徴、伝説、噂、など、限りなくそれそのものに似た情報ならば、無限に知ることができる。
絶対王朝は必ず、秘密を持つ。秘密そのものが王朝であるということも成立する。秘密を確実に守る方法は秘密を持つ者を殺すことである。血を見ないように秘密が共有される空間自体を拡げるという方法もあるが、瞬間的な漏洩の危機を絶えず持つ。秘密そのものが王権である。そのような歴史のない民族の中の、抽象的議員内閣の長に秘密のなんたるかはわからない。せいぜいが、おじいさんの時代の幼稚な世界の断片ぐらいか。安倍と毛沢東の名前を量りにかけよ。比すべくもない。秘密を保持するにたる意識を持てるのか!
二世議員の幼稚な集団がなぜに、かように、急ぐのか。あきらかに、反対もしくは疑念を持った国民がほとんどである。そして、テレビはなぜに、かくも静かなのか。わかっているくせに、知らないふりをしてきたのは、そもそものハジマリからか。
日中戦争時の大本営や、現在の福島原発への対応を考えると、絶対王朝が無いことが想像できる。白川氏はそのことを深く理解されていたのでしょう。意図的なのでしょうか、いつのまにかなのでしょうか。
朝からテレビのワイドショーを見続けていても、特定秘密保護法案を採決するという緊張のかけらもない日常で、昼を過ぎてもミヤネ屋の冒頭でNHKのアナウンサーのゴシップをとりあげており、夕方に採決を強行するのに違いないと思っていると、ふとネットを見れば、すでに午前中に委員会採決が行なわれていたらしいことに気づいたのは午後を半ばをすぎていた。
今頃になって、自民党の法案を読んでいる。秘密指定者は何が秘密かも知られてはならない。ひょんなことで漏らしても罰せられる。また、秘密を保持するにたる資格を得た者も同様である。自衛隊法に同様の秘密保持規定があるらしい。万単位の秘密がすでにあったらしい。開示された1件の秘密を除いて、永遠にそれを知ることができない。それそのものが抽象されたもの、記号化された象徴、伝説、噂、など、限りなくそれそのものに似た情報ならば、無限に知ることができる。
絶対王朝は必ず、秘密を持つ。秘密そのものが王朝であるということも成立する。秘密を確実に守る方法は秘密を持つ者を殺すことである。血を見ないように秘密が共有される空間自体を拡げるという方法もあるが、瞬間的な漏洩の危機を絶えず持つ。秘密そのものが王権である。そのような歴史のない民族の中の、抽象的議員内閣の長に秘密のなんたるかはわからない。せいぜいが、おじいさんの時代の幼稚な世界の断片ぐらいか。安倍と毛沢東の名前を量りにかけよ。比すべくもない。秘密を保持するにたる意識を持てるのか!
二世議員の幼稚な集団がなぜに、かように、急ぐのか。あきらかに、反対もしくは疑念を持った国民がほとんどである。そして、テレビはなぜに、かくも静かなのか。わかっているくせに、知らないふりをしてきたのは、そもそものハジマリからか。
2013年11月23日
奥さんがあまりにもかわいそう。
一昨日、へんな映画を見た。
タイトルを忘れた。プラムと栗とじゃなくて、うーむ。バイオリニストが惰性でいっしょになった奥さんから大切なバイオリンを壊されて、食を断って8日目で死ぬ。主人公の夢が時系列でフラッシュされる。中身が、実らぬ恋に、師匠との決別まで、それから、、、忘れた。
映画がひさしぶりということもあって、最初はえらく感動していた。それは、死を決心している主人公の夢は夢そのもので、美貌の恋人と結ばれたにも関わらず岳父の反対で結婚できなかったという妄想に近い夢をだらだらと流し続けている絶望的な映画だと感動していたのでした。しかし待てよ、夢はもしかしたら実話なのかな?急に陳腐そのものの映画になってしまうではないか。どちらなんだろうか。主人公はひょっとしたら、バイオリンも弾けないのではないかという期待は俺の嫉妬に転じてしまうではないか。
主人公は死神に会ってしまうのだが(死神に会ったものは死ななければならない)、医学で快癒してしまうと完璧なんだけどなと思っていた。にも拘わらず、どうも、死に枕で見ている夢は現実にあったこととしか思えない形でエンディングロールが流れているではないか。映画の公式サイトなどを見ると、やはり夢は実際にあったことらしい。
いや、主人公は、ものごころついた時から、自分はふつうの人間と違う特殊な才能を持たされた人であるという考えが抜けず、現実に裏切られ続けてきたにもかかわらず、死神に出会っても、その考えが抜けなかったということを、妄想の断片をただ、時系列で並べるだけで描き切った新しい映画だと思いたい。未来の名作は過去の誤読であるといったインテリがおったではないか。
作中、主人公はほとんどタバコを吸っていたのだった。子供が2人、奥さんはパートで数学の先生をしていて、奥さんは死ぬほど主人公を好きなのに、バイオリンを壊された時、言うんだ。
「忘れない」「僕は一度でも、君を愛したことがない」奥さんが好物のチキンのプラム煮を作って仲直りしようとしても許さない。布団に横たわるだけ。思い出したタイトルはチキンとプラムでした。
最近、映画も見なくなったのは、現実が映画よりもドラマティックだからだろう。現実と夢は同じ根を持つのだろう。ならば、自分という主人公ほどおもしろいものがあるわけがないではないか。なおかつ、自分と同じ者を血眼になって探しながら。
追記。
親力セミナーという催事が文化会館にてありました。河井小学校と門前中学校の児童生徒諸君のパフォーマンス以外は、おもしろくなかったです。学校統合まで4カ月しかないことを、市民や当の生徒諸君に啓蒙したいと言っている、あんたらがもっとも大変なんだろうがと思う。校歌も校章も決まっておらず、スクールバスの要求を見事に蹴って路線バス会社との交渉も佳境で、そんな中、会場前に女子生徒の制服だけがぶら下がっている惨状をどうすんだ。
吉岡教育長の最後のしめの御言葉がすごかった。
「生徒諸君の脳みそをひまにさせないようにする」「そしたらいじめなんかしているひまがないんだ」
公の舞台で、こんなおもしろい話をしてくれる展開はめったに見られるもんじゃない。
タイトルを忘れた。プラムと栗とじゃなくて、うーむ。バイオリニストが惰性でいっしょになった奥さんから大切なバイオリンを壊されて、食を断って8日目で死ぬ。主人公の夢が時系列でフラッシュされる。中身が、実らぬ恋に、師匠との決別まで、それから、、、忘れた。
映画がひさしぶりということもあって、最初はえらく感動していた。それは、死を決心している主人公の夢は夢そのもので、美貌の恋人と結ばれたにも関わらず岳父の反対で結婚できなかったという妄想に近い夢をだらだらと流し続けている絶望的な映画だと感動していたのでした。しかし待てよ、夢はもしかしたら実話なのかな?急に陳腐そのものの映画になってしまうではないか。どちらなんだろうか。主人公はひょっとしたら、バイオリンも弾けないのではないかという期待は俺の嫉妬に転じてしまうではないか。
主人公は死神に会ってしまうのだが(死神に会ったものは死ななければならない)、医学で快癒してしまうと完璧なんだけどなと思っていた。にも拘わらず、どうも、死に枕で見ている夢は現実にあったこととしか思えない形でエンディングロールが流れているではないか。映画の公式サイトなどを見ると、やはり夢は実際にあったことらしい。
いや、主人公は、ものごころついた時から、自分はふつうの人間と違う特殊な才能を持たされた人であるという考えが抜けず、現実に裏切られ続けてきたにもかかわらず、死神に出会っても、その考えが抜けなかったということを、妄想の断片をただ、時系列で並べるだけで描き切った新しい映画だと思いたい。未来の名作は過去の誤読であるといったインテリがおったではないか。
作中、主人公はほとんどタバコを吸っていたのだった。子供が2人、奥さんはパートで数学の先生をしていて、奥さんは死ぬほど主人公を好きなのに、バイオリンを壊された時、言うんだ。
「忘れない」「僕は一度でも、君を愛したことがない」奥さんが好物のチキンのプラム煮を作って仲直りしようとしても許さない。布団に横たわるだけ。思い出したタイトルはチキンとプラムでした。
最近、映画も見なくなったのは、現実が映画よりもドラマティックだからだろう。現実と夢は同じ根を持つのだろう。ならば、自分という主人公ほどおもしろいものがあるわけがないではないか。なおかつ、自分と同じ者を血眼になって探しながら。
追記。
親力セミナーという催事が文化会館にてありました。河井小学校と門前中学校の児童生徒諸君のパフォーマンス以外は、おもしろくなかったです。学校統合まで4カ月しかないことを、市民や当の生徒諸君に啓蒙したいと言っている、あんたらがもっとも大変なんだろうがと思う。校歌も校章も決まっておらず、スクールバスの要求を見事に蹴って路線バス会社との交渉も佳境で、そんな中、会場前に女子生徒の制服だけがぶら下がっている惨状をどうすんだ。
吉岡教育長の最後のしめの御言葉がすごかった。
「生徒諸君の脳みそをひまにさせないようにする」「そしたらいじめなんかしているひまがないんだ」
公の舞台で、こんなおもしろい話をしてくれる展開はめったに見られるもんじゃない。
2013年11月20日
他人事のように語っております。
特定秘密保護法案が今週中に衆議院で可決されることが避けられたらしい。遅すぎるマスコミ関係者が一斉に文句を言い始めたことが大きかったのだろうか。平成のはじめ、いわゆる市民団体の事務局長として実務をしていた頃があった。(文字にするとなんかかっこいい)いやいやさせられた事ゆえ、それほどの被害性を感じていなかったゴルフ場建設に反対するというスタンスなれば、さらに当時の輪島市議会議員であったS議員(共産党)の実務能力に頼り切ったということもあって、わたしには全体がなんのこっちゃわからなかった。基本的に実働しているのは共産党のかたがたと、よろみ村の住人、及び(わたしのような)よろみ村シンパシーや止むに止まれず滞在していた方などであるのは明らかであったのですが、役所と議会の様子、建設主体(ゼネコンなど)の相関関係が全く見えず、(S市議の再三にわたるレクチュアが理解できなかった)。
議会に提出した請願書が否決されたのだったか、継続審議になったのだったかは忘れたのだが、何か動きがあった日、朝日新聞の記者から電話があった。「まずい…」とにかくわたしがウーmmとかすんmmとか発していたら、向こうが「今はこれこれこういう状況ですよね」。と見事に反対運動の顛末を鳥瞰したのに感心しながらそうですと言っただけだったのでした。電話を置いてから落ち着いて考えてみると誘導尋問のような。でも国会議員や、専門家と言われる人たちもおんなじなんじゃねえか。物語を構成する力の比べ合いだな。
議会に提出した請願書が否決されたのだったか、継続審議になったのだったかは忘れたのだが、何か動きがあった日、朝日新聞の記者から電話があった。「まずい…」とにかくわたしがウーmmとかすんmmとか発していたら、向こうが「今はこれこれこういう状況ですよね」。と見事に反対運動の顛末を鳥瞰したのに感心しながらそうですと言っただけだったのでした。電話を置いてから落ち着いて考えてみると誘導尋問のような。でも国会議員や、専門家と言われる人たちもおんなじなんじゃねえか。物語を構成する力の比べ合いだな。
2013年11月17日
あんた頭が悪いからと脳が言う。
『妄想と詩は違う』
脳が腫れているような気がする
使いすぎてはいない
なにか不都合なことが生じているようだ
あるいは生じようとしている
あるいは生じてしまっている
ようだ
使われ方がおかしいと信号を送ってくる
自己は自己否定できないのだ
妄想が詩を書けないように
脳が秘密を持てないように
脳が腫れているような気がする
使いすぎてはいない
なにか不都合なことが生じているようだ
あるいは生じようとしている
あるいは生じてしまっている
ようだ
使われ方がおかしいと信号を送ってくる
自己は自己否定できないのだ
妄想が詩を書けないように
脳が秘密を持てないように
まだまだ秘密がございます。(恥ずかしくて言えません)
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| 小春日和。やさしい言葉。 |
とりわけ怖いのは梯子から足を離して屋根に上がる瞬間です。帰りも怖い。梯子にいざって近づいて、立って、梯子に足をかけて、そして、体を反転させる時がなんとも言えず怖いです。だいぶん慣れましたが、それでも、怖い時に思うのは、なんと平地で安穏とボケーっとしているのかということです。高いところと、へびがダメだから自給生活者にはなれんなあ。それに不器用で釘も満足に打てない(特に4寸釘以上)。一人ではまず、自給生活をできない男なのであります。無芸、大食、人畜有害。高い志も無く、無難に人生を終われたらよしと思っているし、身体が遺伝的に丈夫で(胃痛の経験がない)、寝つきの時と集団生活以外の時はまことに熟睡できるし。(夢も覚えていない)いやなことからは逃げ続けているし。人の文句を言うのは上手だが、自分をきらいきらいと言いつつも、自分にまともに反抗したこともなし。煙草をバカバカ吸うし、真夏はわざわざ、ビールを買いに行くし。まともな定職を持ったことがなく、奥さんのパートで食べさせてもらっているヒモのくせに、奥さんをいたわるどころか、結婚初期から中期まで、DV夫だったし。
………。もうやめます。キリがない。ほんとにダメなことを、こうしてわかっているのなら、なぜすぐに今にでもやめないのか。屋根の母屋瓦と同じくらいにしか、思っていないんだ。いや母屋はすごく大事なところなんだけれども。
![]() |
| 完全に真っすぐなんてムリ。これでいいと自分に言い聞かせる。 |
2013年11月10日
私はネット中毒です。
newyork timesの記事で安倍内閣の秘密保護法成立への拙速さを牽制していた。原発事故しかり、モンサントなどの巨大多国籍企業による遺伝子組み換え種の問題しかり、TPPによるアメリカ主導の新自由主義勢力のグローバル化という究極的な地球のローカル化といい、全ての問題に世界という定義付けを成す主体、すなわち最終責任者がいないことという共通点を感じている私にとって、英語を原典で読むという行為が新鮮だった。(もちろん、定義付けを行い、最終責任を負っていると思っている者はいる)。
(インターネットのブラウジング技術の真新しさを感じた日でもあった。原典のわからない単語やイディオムを右クリック選択すると、即座に翻訳があらわれ機械仕掛けにもかかわらず、発音までしてくれるサイトがあるのであった。長文でもOK)
しかし、英語というのは客観説明に適した言語だと思う。通時的な歴史が現在使われている文法に何の影響も及ぼしていないかのように見える。もちろん新聞社の構成と校閲を重ねた末のテキストであるからという理由もあるのだが。そして、これだけ地球上に蔓延した言語であることの理由にはキリスト教の存在も否定できないのではあろうが。
屈折語と分類されるように単語の語順がすこぶる文法的なせいで、絵柄としてというか、イメージとして単語の並びを見ることができ、一つ一つの単語の意味を介することなく書き手たるI(わたし)の書きたいことが感じられるような気がしたのでした。日本語ではじめて知った漢語を英語の和訳から再認識できるような期待が感じられて、しかも、発音ボタンをクリックすると、生々しい女性の肉声(もちろん機械)のアナウンスが何度でもくりかえして聴けるという喜びもあるのである。(どうして即座に任意の英文を朗読できるのだろうか)(すけべ)偏差値75で、英文和訳の名手とよばれた高校生の時代を思い出しました。
PS 日雇いポツポツと行っております。
(インターネットのブラウジング技術の真新しさを感じた日でもあった。原典のわからない単語やイディオムを右クリック選択すると、即座に翻訳があらわれ機械仕掛けにもかかわらず、発音までしてくれるサイトがあるのであった。長文でもOK)
しかし、英語というのは客観説明に適した言語だと思う。通時的な歴史が現在使われている文法に何の影響も及ぼしていないかのように見える。もちろん新聞社の構成と校閲を重ねた末のテキストであるからという理由もあるのだが。そして、これだけ地球上に蔓延した言語であることの理由にはキリスト教の存在も否定できないのではあろうが。
屈折語と分類されるように単語の語順がすこぶる文法的なせいで、絵柄としてというか、イメージとして単語の並びを見ることができ、一つ一つの単語の意味を介することなく書き手たるI(わたし)の書きたいことが感じられるような気がしたのでした。日本語ではじめて知った漢語を英語の和訳から再認識できるような期待が感じられて、しかも、発音ボタンをクリックすると、生々しい女性の肉声(もちろん機械)のアナウンスが何度でもくりかえして聴けるという喜びもあるのである。(どうして即座に任意の英文を朗読できるのだろうか)(すけべ)偏差値75で、英文和訳の名手とよばれた高校生の時代を思い出しました。
PS 日雇いポツポツと行っております。
2013年11月8日
2013年11月1日
飛んで火に入るエホバの方々。
ズルズルとしていたら、エホバの人たちがやってきた。神様の話かよと居留守をつかおうと思ったけど、けっこうそういう話は好きなので会う。マスクにめがねのおばちゃんと、女子大生のようなかわいいねえちゃんがいる。今日の神様の話は何から始まるんだと待っていると、パンフレットを取り出して、死んだ人に会えると聖書には書いてあるのですが、あなたはどう思いますかと来た。
生前に知っていた人となら、私の頭の中でいつでも会えます。でもそれはあくまでも私の想像上のその人ですから、今目の前にいるあなたとここでこうして神様の話をしているかのように思えますが、私はあなたとほんとうに会っているのかと疑問に思うことがあります。
また始まった。が、止まらない。メガネ越しの目に向かって、べらべらとしゃべっている。人格神として、五体が人のような姿の神様のイメージが強烈すぎて、聖書に入ることができないんです。あなたは何を信じてらっしゃる。と尋ねれれて、そのように言い訳を入れてから、私の中にあるであろうむずむずしたわからないこのこれを信じています。きっといつの日にか、私なりの言葉でこのむずむずを解き明かすことができるという可能性を信じています。なんにも、知らないくせに、キリストであろうとマホメットであろうと、お釈迦様であろうと、マザーテレサであろうと、達磨さんであろうと、ダライラマであろうと、かの人たちはきっと解き明かしたのでしょうが、それらの言葉は皆彼らの言葉にとどまっているのであろうから、ワタシ自身の言葉でそれらを翻訳できる日がきっとくるのだと思っています。メガネの方の影に隠れるようにして立っていた女性が一歩踏み出してきて、顔を見せてワタシの話を聞こうとしはじめるのを、いいことにして、何かうまくこの話をエンディングに持っていこうと思う。喋れば喋るほど、彼女は近づいてくる。メガネの女性も負けじと興奮してくる。まさかこのように自分たちの話に相槌をうってくれるような状況に少し驚いている。
あなたたちのように、信仰を持つことを決心された方たちの知識とワタシのようにズルズルとしている者が読む聖書の知識とはゼンゼン違うんでしょうね。
いつものように謙遜でつまりは自己韜晦でしめくくろうとするワタシにメガネの女性がマスク越しに言う。あなたのように、自分の思考のイメージの中だけでグルグルと堂々巡りをしている状態から見る神様と聖書に書かれた神は違うんです。このように言われる。後ろの彼女に向かって、聖書のもっとも古い言葉は何語で書いてあったんですか。「初期はヘブライ語で後半はギリシャ語です」。はじめにことばがあったと書かれてあったと思うが、それゆえに言葉が止まらない。言葉の止まらなさを人は人自身の永遠ととりちがえてしまう。
このような話し合いは、相手に優しくしよう、相手とつながろうと思う限り、ゴールが見えないのであった。どんどん一人になっていくのであった。神はいつでも、必要な言葉だけをあらゆる人の形をとって届けてくれる。メガネとマスク越しの目が光っていた。「また会いましょう」ありがとうございました。
生前に知っていた人となら、私の頭の中でいつでも会えます。でもそれはあくまでも私の想像上のその人ですから、今目の前にいるあなたとここでこうして神様の話をしているかのように思えますが、私はあなたとほんとうに会っているのかと疑問に思うことがあります。
また始まった。が、止まらない。メガネ越しの目に向かって、べらべらとしゃべっている。人格神として、五体が人のような姿の神様のイメージが強烈すぎて、聖書に入ることができないんです。あなたは何を信じてらっしゃる。と尋ねれれて、そのように言い訳を入れてから、私の中にあるであろうむずむずしたわからないこのこれを信じています。きっといつの日にか、私なりの言葉でこのむずむずを解き明かすことができるという可能性を信じています。なんにも、知らないくせに、キリストであろうとマホメットであろうと、お釈迦様であろうと、マザーテレサであろうと、達磨さんであろうと、ダライラマであろうと、かの人たちはきっと解き明かしたのでしょうが、それらの言葉は皆彼らの言葉にとどまっているのであろうから、ワタシ自身の言葉でそれらを翻訳できる日がきっとくるのだと思っています。メガネの方の影に隠れるようにして立っていた女性が一歩踏み出してきて、顔を見せてワタシの話を聞こうとしはじめるのを、いいことにして、何かうまくこの話をエンディングに持っていこうと思う。喋れば喋るほど、彼女は近づいてくる。メガネの女性も負けじと興奮してくる。まさかこのように自分たちの話に相槌をうってくれるような状況に少し驚いている。
あなたたちのように、信仰を持つことを決心された方たちの知識とワタシのようにズルズルとしている者が読む聖書の知識とはゼンゼン違うんでしょうね。
いつものように謙遜でつまりは自己韜晦でしめくくろうとするワタシにメガネの女性がマスク越しに言う。あなたのように、自分の思考のイメージの中だけでグルグルと堂々巡りをしている状態から見る神様と聖書に書かれた神は違うんです。このように言われる。後ろの彼女に向かって、聖書のもっとも古い言葉は何語で書いてあったんですか。「初期はヘブライ語で後半はギリシャ語です」。はじめにことばがあったと書かれてあったと思うが、それゆえに言葉が止まらない。言葉の止まらなさを人は人自身の永遠ととりちがえてしまう。
このような話し合いは、相手に優しくしよう、相手とつながろうと思う限り、ゴールが見えないのであった。どんどん一人になっていくのであった。神はいつでも、必要な言葉だけをあらゆる人の形をとって届けてくれる。メガネとマスク越しの目が光っていた。「また会いましょう」ありがとうございました。
2013年10月31日
2013年7月29日
無題。(至上の理解者は最悪の誤解をしている!)
あいかわらず、わけのわからないことを書いている。自分に正直であれと思うほど、アタマに浮かぶわけのわからない文章を許してしまう。意味の生じない文章を書く力がほしい。天邪鬼であってはならないが、言語そのものを感じたい。言語が記号であるということをスタート地点とするならば、言語そのものを説明することは不可能である。しかし、破綻した文章、すなわち絶望的な文章は、それが言語ではないというただ一点により、言語そのものを間接的に説明することができる。色も匂いも重さもないその場所をあらわすためには、言語で言語を説明しようとする行いよりは、悪くないし、間違ってもいないと。それそのものはあるのならば、ないのではない。などと言っても、どうにもならない。
先日、BS放送で、どこかの民放局が1956年産のコメディー映画をやっていて、たまたま見た。くっだらねえと悪態をつきながら、なんかの溜飲を下げていると、ほんの2分も経たないうちに映画にのめりこんでしまった。ストーリーが完璧ゆえに、くっだらねえプロットが逆に人の生活そのものを描き出すのに有効であることがわかる。人を笑わせるためには今現在ある人の至高の標準的生活そのものを壊さなければならない。そして何より、普通の生活を骨の髄まで知り尽くしていなければならない。やはり一瞬でも意識が壊れたことの無いものには喜劇など到底不可能であることがわかる。さすが、目に見えない原子力発電にエネルギーのほとんどを頼ることを決定した国家だと思う。それに大好きなデリダやソシュールもネイティブとしての言語はフランス語だったのではないのかしら。(あんまり細かいこと言わないでください)明治維新政府は近代の国体をフランス人に真似たらしいのもわかる。自分の言語が音声的に世界一であると確信していることもここでは清々しい。
ソシュールに関しては、今このおれさまが、言葉をしゃべっているということ気付くことのきっかけを作ったスゴイ人だと思っている。ソシュール自身はいま、私が言葉を話していることに気づいたとき失神も絶望もしなかったのだろうか。ソシュールの以前にもたくさんの人が気づいたではあろうが、そのことを説明できるそれこそ言語を持つまでになんという長い年月を費やしたことだろうか。今では、言葉を話すから人間であるという転倒が平気で行われていることを誰も不思議とは思わないのはなぜであろうか。彼自身は著作を残さず、沈黙してこの世界を去ったと言われているが、彼の沈黙が現在の(現在よりもちょっと昔か)構造主義と呼ばれる磁場を作ったのは自明の理である。
田んぼで稲を育てようとしても、畑で野菜をどしどしこしらえようとしても、あるいはよき父としてなどとは言わないが、普通の家庭を築こうとしても、何かを始めようとするときに必ず、去来する寂しくて無力で虚無な感じ。そうした癖が私の意識にはあって、しかも、このことをまず説明してからではないと何事も始めてはならないと思っていた。が、これは今となって見れば、たんなるグズでのろまでこざかしい言い訳にしか過ぎないとは思う。再び、が、ミタビしかし、わたくしという一個の特殊現象をそもそも社会的言語にて説明するという間違いに気づくためにはとても、有効な遅延行為であったと思う。今50才を越えて、大脳の生理学的年齢も古くなり、記憶力、思考力などの能力も衰えて、しかもスタートラインでのぼたんのかけ違えに気づいたことは、わたくしという個人的現象にとっては何の意味がなくとも、社会的には非常に有効な検体となりうるのは間違いのないことであると思う。(犯罪者が明確に正義を輪郭づけるように)
われわれは物語を脱して小説世界を維持できるかが、晩年の中上健次のとらわれだったように思う。文学者はそもそも破綻しているがゆえに世界を求めざるを得ないのだと。日本の俳諧には何かまだわれわれの知らない魅力があるように思える。否、日本語そのものにわれわれネイティブがネイティブであるがゆえに気付くことのできない磁場があるように思える。音声(的)言語だけをランガージュとするソシュール、書かれたものの中にエクリチュールを発見したデリダ、その両者ともによだれを垂らさんばかりに日本の書物を手に取るに違いない。
日雇いに 明日も行けと 暦言う
先日、BS放送で、どこかの民放局が1956年産のコメディー映画をやっていて、たまたま見た。くっだらねえと悪態をつきながら、なんかの溜飲を下げていると、ほんの2分も経たないうちに映画にのめりこんでしまった。ストーリーが完璧ゆえに、くっだらねえプロットが逆に人の生活そのものを描き出すのに有効であることがわかる。人を笑わせるためには今現在ある人の至高の標準的生活そのものを壊さなければならない。そして何より、普通の生活を骨の髄まで知り尽くしていなければならない。やはり一瞬でも意識が壊れたことの無いものには喜劇など到底不可能であることがわかる。さすが、目に見えない原子力発電にエネルギーのほとんどを頼ることを決定した国家だと思う。それに大好きなデリダやソシュールもネイティブとしての言語はフランス語だったのではないのかしら。(あんまり細かいこと言わないでください)明治維新政府は近代の国体をフランス人に真似たらしいのもわかる。自分の言語が音声的に世界一であると確信していることもここでは清々しい。
ソシュールに関しては、今このおれさまが、言葉をしゃべっているということ気付くことのきっかけを作ったスゴイ人だと思っている。ソシュール自身はいま、私が言葉を話していることに気づいたとき失神も絶望もしなかったのだろうか。ソシュールの以前にもたくさんの人が気づいたではあろうが、そのことを説明できるそれこそ言語を持つまでになんという長い年月を費やしたことだろうか。今では、言葉を話すから人間であるという転倒が平気で行われていることを誰も不思議とは思わないのはなぜであろうか。彼自身は著作を残さず、沈黙してこの世界を去ったと言われているが、彼の沈黙が現在の(現在よりもちょっと昔か)構造主義と呼ばれる磁場を作ったのは自明の理である。
田んぼで稲を育てようとしても、畑で野菜をどしどしこしらえようとしても、あるいはよき父としてなどとは言わないが、普通の家庭を築こうとしても、何かを始めようとするときに必ず、去来する寂しくて無力で虚無な感じ。そうした癖が私の意識にはあって、しかも、このことをまず説明してからではないと何事も始めてはならないと思っていた。が、これは今となって見れば、たんなるグズでのろまでこざかしい言い訳にしか過ぎないとは思う。再び、が、ミタビしかし、わたくしという一個の特殊現象をそもそも社会的言語にて説明するという間違いに気づくためにはとても、有効な遅延行為であったと思う。今50才を越えて、大脳の生理学的年齢も古くなり、記憶力、思考力などの能力も衰えて、しかもスタートラインでのぼたんのかけ違えに気づいたことは、わたくしという個人的現象にとっては何の意味がなくとも、社会的には非常に有効な検体となりうるのは間違いのないことであると思う。(犯罪者が明確に正義を輪郭づけるように)
われわれは物語を脱して小説世界を維持できるかが、晩年の中上健次のとらわれだったように思う。文学者はそもそも破綻しているがゆえに世界を求めざるを得ないのだと。日本の俳諧には何かまだわれわれの知らない魅力があるように思える。否、日本語そのものにわれわれネイティブがネイティブであるがゆえに気付くことのできない磁場があるように思える。音声(的)言語だけをランガージュとするソシュール、書かれたものの中にエクリチュールを発見したデリダ、その両者ともによだれを垂らさんばかりに日本の書物を手に取るに違いない。
日雇いに 明日も行けと 暦言う
2013年7月18日
読書感想文。蕪村句集。
久しぶりに本を手に取り読む。蕪村句集。明治のスター俳人たちの解説がすこぶる面白い会話体をとっているのを読むと明日にさしつかえると、太字になった句のみを追う。月並みという批評が再三入るようではあるが、子規の言わんとしたように、数学的に五七五の17文字の組み合わせには限りがあるであろう。
が結構長く続いていて、今も尚、この詩形に魅せられている人は多い。想像するにまったく同音同意義の二つの句も、読む人によってまったく違うテキストと感じるのではないか。わたくしが今日思うことは、製作者の視野に絶望がかぶさっているのかどうかが分岐点であるということ。その絶望は他の誰でもない文字をつらねた製作者自身のものでなければならない。自己が自己に対面する時、このような感情をまず一番に感じないものは作句をしても意味がない。
そして、詠ずるだけでは不完全な形体でもある。必ず書かなければならない。伝わるのはその時、その場所での感情そのものではなく、彼自身が出会った自分自身の絶望そのものなのである。もはや、時間が彼なのであり、場所が彼自身なのであるのだから。その時、その場所で立っていた自分自身、その全体を過不足ゼロで納めることができる!そして詠ずることができるならば最高だ。
長く、伝承されてきたものは、こうした形式そのものが書かれたという事実そのものなのかもしれないのである。技術的に申すならば、助詞に厖大な責任が課せられていることがわかる。レトリックに限りなく近いが、そうではない。一語一語の倒置やあり得ない終止形など、技ではなく、わたくしの今のこの思いを形にするという義務が課せられた、出来上がった形からわたくしが表現されてしまう、いかなる知識や新規な感覚もここではまったく関係が無い心そのものが、それぞれの孤独な場所で形作られる形式に、技術など入り込むわけがないではないか。
絶望を希望に転倒させるためにあるのではなく、絶望を絶望のままに書きとどめることができるのだと思う。まったく知らなかった自分が発見されるのである。あるいは、見ていなかった。あるいは気付かないふりをしていた自分。
今さらながら、語彙を増やすよりは、助詞の力を感じながら、ネイティブとしての日本語を客観的に見て行けたらと思う。
日雇いに 明日も行けと 暦言う
が結構長く続いていて、今も尚、この詩形に魅せられている人は多い。想像するにまったく同音同意義の二つの句も、読む人によってまったく違うテキストと感じるのではないか。わたくしが今日思うことは、製作者の視野に絶望がかぶさっているのかどうかが分岐点であるということ。その絶望は他の誰でもない文字をつらねた製作者自身のものでなければならない。自己が自己に対面する時、このような感情をまず一番に感じないものは作句をしても意味がない。
そして、詠ずるだけでは不完全な形体でもある。必ず書かなければならない。伝わるのはその時、その場所での感情そのものではなく、彼自身が出会った自分自身の絶望そのものなのである。もはや、時間が彼なのであり、場所が彼自身なのであるのだから。その時、その場所で立っていた自分自身、その全体を過不足ゼロで納めることができる!そして詠ずることができるならば最高だ。
長く、伝承されてきたものは、こうした形式そのものが書かれたという事実そのものなのかもしれないのである。技術的に申すならば、助詞に厖大な責任が課せられていることがわかる。レトリックに限りなく近いが、そうではない。一語一語の倒置やあり得ない終止形など、技ではなく、わたくしの今のこの思いを形にするという義務が課せられた、出来上がった形からわたくしが表現されてしまう、いかなる知識や新規な感覚もここではまったく関係が無い心そのものが、それぞれの孤独な場所で形作られる形式に、技術など入り込むわけがないではないか。
絶望を希望に転倒させるためにあるのではなく、絶望を絶望のままに書きとどめることができるのだと思う。まったく知らなかった自分が発見されるのである。あるいは、見ていなかった。あるいは気付かないふりをしていた自分。
今さらながら、語彙を増やすよりは、助詞の力を感じながら、ネイティブとしての日本語を客観的に見て行けたらと思う。
日雇いに 明日も行けと 暦言う
2013年6月26日
中学校準備委員会第3回。
通学委員会にて、三井地区の要望書を正式に上程しました。後は教育委員会や財政課などの部局にて、審査検討となります。新しい学校に対する力の入れ方が近日中に判明することと思います。詳細な要望を甘えととるか、切実な願いと見るかの問題であります。三井地区から中学校が消滅することの重さを、考えてほしいと願います。
まずは、スクールバスになるかどうかであります。
まずは、スクールバスになるかどうかであります。
2013年6月23日
三井地区の意思決定へ。輪島中学校開校にむけて。
三井地区の要望をまとめた素案を、小中学校の全保護者に配布いたしました。アンケート形式にて、新たな要望が無い場合は、素案が正式なものとなります。スクールバスと路線バスの融合的進化形として、バスが広い三井地区を巡回するという可能性が開けたように思います。なによりも、人口減少や過疎を容認しつつ、地方公共団体として生き残りをはかるという大きなビジョンが無くてはならないものとして急浮上するのではないか、という希望にjusai123の胸は躍りつつあります。こんな場所で暮したいと思う見ず知らずの人が出てくるのではないか?
新中学校への通学方法に関する要望について。
新中学校への通学方法に関する要望について。
2013年6月20日
新中学校への通学方法についての話し合い2回目。
三井公民館にて、該当小中学校の保護者と先生、教育委員会から2名、合わせて、18人ほどが集り、通学方法について話し合いました。参加した保護者が少なかったのですが、開校までに1年を切ったというタイムリミットの関係で、この会合での意見を三井地区の保護者などの基本的意見とするということで合意いたしました。すぐに、萩野さんがレジュメを起こし、学校経由にて全保護者に今日合意した案件を周知し、来る26日の第3回中学校準備委員会に諮ることといたしました。
合意された案件の概要は、
1 路線バスではなく、三井地区専用のスクールバスを準備する。
三井地区をnigyo,yoromi方面と、uchiya,ichinosaka方面に分け、
2台のバスを用意し、できる限り各生徒自宅まで送迎する。
2 新中学校側の乗降場所は輪島市役所にする。
3 詳細は今後も三井地区にて協議する。
でした。
萩野さんが作った三井地区の0歳児までの、年代別分布によれば、2013年現在の小学3年生以下の年代が3~4人となります。その際の地域循環バスへの変更なども含め、長期的なビジョンを持って、新しい住人がワクワクするような施策を期待したいとの意見も出されました。全国的に学校統廃合が増える現在における、先鞭を切るような場所になればよいと思います。「なんかラクそうな場所だな」みたいなのがjusai123のイメージです。(自分で自分の首をしめながら生きているという事情は、ちょっと置いてですが、それは又別な問題です)。
つくづく、しゃべるのは難しいなと思いました。自分では理解しているつもりというのが、実は聞く側にとって障害になっているのかもしれんと思いました。ほんとに言いたいことは、そんなにたくさんあるものではない。と思った次第です。萩野さんに、またわかりにくい西川節が始まったとよく言われますが、その意味がちょっとわかったような気がする。かたくなに自分の思いがあると思っている!。そして常に正しい!。と思っている。それは思っているだけなんだ。
合意された案件の概要は、
1 路線バスではなく、三井地区専用のスクールバスを準備する。
三井地区をnigyo,yoromi方面と、uchiya,ichinosaka方面に分け、
2台のバスを用意し、できる限り各生徒自宅まで送迎する。
2 新中学校側の乗降場所は輪島市役所にする。
3 詳細は今後も三井地区にて協議する。
でした。
萩野さんが作った三井地区の0歳児までの、年代別分布によれば、2013年現在の小学3年生以下の年代が3~4人となります。その際の地域循環バスへの変更なども含め、長期的なビジョンを持って、新しい住人がワクワクするような施策を期待したいとの意見も出されました。全国的に学校統廃合が増える現在における、先鞭を切るような場所になればよいと思います。「なんかラクそうな場所だな」みたいなのがjusai123のイメージです。(自分で自分の首をしめながら生きているという事情は、ちょっと置いてですが、それは又別な問題です)。
つくづく、しゃべるのは難しいなと思いました。自分では理解しているつもりというのが、実は聞く側にとって障害になっているのかもしれんと思いました。ほんとに言いたいことは、そんなにたくさんあるものではない。と思った次第です。萩野さんに、またわかりにくい西川節が始まったとよく言われますが、その意味がちょっとわかったような気がする。かたくなに自分の思いがあると思っている!。そして常に正しい!。と思っている。それは思っているだけなんだ。
2013年5月30日
バスケットマン&中学校準備委員会第2回。
1 インターハイ予選at kaga。
バスケットマンの次男坊のインターハイ予選を夫婦して見に行ったのだった。次男坊は少し自意識強めゆえか、今までに一度もプレイを見せてくれなかったのだった。長男もバスケットマンだったが、彼は恥ずかしいけれどまあいいか、で観戦を許してくれたものだったが、次男坊は絶対に許してくれない雰囲気があった。
しかし、知らない間に父の想像する彼ではなくなっているのかもしれない。最後の試合ぐらい、見せてくれとお願いすると、試合日程をメールしてくれた。(試合前日ではあったが)せっかくだからと細君も誘ってkanazawaの少し先hakkusan市までドライブしました。
目立たぬようにと思っていたのだが、興奮してしまい、一人で頑張れ、絶対勝て、と絶叫してしまった。次男坊に目がいってしまうのはしょうがないのですが、チーム全体を応援しようと思いました。目の前に若い子供たちが私の大好きなwajimaと染められたユニフォームを着て一丸となって相手よりも多くのゴールを決めようと集中している様があるのです。ここでのwajimaは高校の名前でもあるし、地方公共団体の名前でもあるし、古くからの倭の島でもある。それだけたではない、今現在、寝起きし飯を食べ遊び学んでいる地球上の一点、昨日も立っていたし、明日も立っているであろう空想上の場所でもあるのです。
試合は惜しくも負けました。3点差。残念でした。試合後次男坊とことばを交わしたいと思ったのですが、いやがるだろうなと思い、体育館の玄関脇のロビーで血圧を計っていると、目の前の階段から次男坊とゲームメークをしていたchihara君、それにバイプレーヤーのyachi君の3人が降りてきました。思わず、写真を撮らしてくれと近寄りました。「あの応援やめて」と冷静に言われました。他の二人がいや、あの応援はオッケーですと言って次男坊を笑ってたしなめてくれました。次男坊も笑っていたので、まあいいかですまされそうだと安心をしました。(今現在、恥ずかしさがこみ上げてきていますが)3人の写真を撮ると、「お父さんと二人で」と促してくれ、それに乗じて次男坊と肩をくんで写真に収まりました。「いいゲームを見せてくれてありがとう」と握手をしました。最後に次男坊も手を出してくれました。父親になって初めて、私は次男坊の保護者としての父親であるのだと強く思いました。
2 中学校開校準備委員会 第2回。at noto。
無料になった能登里山海道をwajimaに向かいました。いつものことながら、人や自動車の数とスピードがどんどん遅くなっていくのがわかります。wajima市街地をゆっくりと車間距離をあけて並ぶ車列の中で、思いました。kaga地区の子供たちと同じ土俵では、文武ともにもう勝てないのではないかと。都会の人たちと同じ政治システムを容認していては、子供たちだけではなく、大人が、否、大人の方こそ、ふるさとを維持できなくなるのではないか。情報量だけは都会と同じになっているが故に、かえって不自然な場所を作ってしまうのではないか。深く、冷静に、緻密に探し出せば膨大な文化遺産があるのに違いなく、その多くが金銭的価値に移行しにくいというだけで、もはやどのようなセンサーや最先端の道具を使っても探し出せない場所にもぐってしまうのではないか。少しぐらい貧乏でもゆっくりと、優しく暮らせる場所を自らの手で作り出すことは可能であると思うのです。そのための背骨として膨大な文化遺産が再び息吹き始めるのです。今現在も生きているものとして、生活として、多くの山や川や能登半島を取り囲む海とともに。
何よりもその先鞭となる人間こそが、wajima市に生まれ、これから思春期を迎え、大人に飛翔するであろう13才以下の子供たちなのです。そして彼らの輪郭を縁取る要因としての教育があり、教育を行う場所としての学びやがあるのです。校歌や制服や細部の通学経路は2番目の議題であるのです。何よりも真っ先に準備しなければならないものは、私たち大人の思いなのです。今現在加齢を重ねている大人たちのふるさとをどうしたいのかという理念でもあり、具体的な目標であると思うのです。思考だけで(机上のアイディア)発展を目指す都市に肩を並べて競えるのは、優しい思い、強い信念、ほんとうに危機的なふるさとを次世代に渡そうとする遠いまなざししかないのです。
グローバリゼーションという究極のローカリズムを生み育てるのは、愚直な思いという超個人的な、今ここに私は生きているという認識以外にはないと思うのです。そこにしか世界は育たないのです。似て非なるグローバリズムは、この視点が無いと、一信教的なイデオロギーに一瞬にして堕するのです。
ほんとうに高校生たちは可愛らしかった。そんな彼らもほんの少し前まではお母さんにまとわりつき、ほんの少し先で大人になっているのである。一瞬も止まらないで動いているのである。
バスケットマンの次男坊のインターハイ予選を夫婦して見に行ったのだった。次男坊は少し自意識強めゆえか、今までに一度もプレイを見せてくれなかったのだった。長男もバスケットマンだったが、彼は恥ずかしいけれどまあいいか、で観戦を許してくれたものだったが、次男坊は絶対に許してくれない雰囲気があった。
しかし、知らない間に父の想像する彼ではなくなっているのかもしれない。最後の試合ぐらい、見せてくれとお願いすると、試合日程をメールしてくれた。(試合前日ではあったが)せっかくだからと細君も誘ってkanazawaの少し先hakkusan市までドライブしました。
目立たぬようにと思っていたのだが、興奮してしまい、一人で頑張れ、絶対勝て、と絶叫してしまった。次男坊に目がいってしまうのはしょうがないのですが、チーム全体を応援しようと思いました。目の前に若い子供たちが私の大好きなwajimaと染められたユニフォームを着て一丸となって相手よりも多くのゴールを決めようと集中している様があるのです。ここでのwajimaは高校の名前でもあるし、地方公共団体の名前でもあるし、古くからの倭の島でもある。それだけたではない、今現在、寝起きし飯を食べ遊び学んでいる地球上の一点、昨日も立っていたし、明日も立っているであろう空想上の場所でもあるのです。
試合は惜しくも負けました。3点差。残念でした。試合後次男坊とことばを交わしたいと思ったのですが、いやがるだろうなと思い、体育館の玄関脇のロビーで血圧を計っていると、目の前の階段から次男坊とゲームメークをしていたchihara君、それにバイプレーヤーのyachi君の3人が降りてきました。思わず、写真を撮らしてくれと近寄りました。「あの応援やめて」と冷静に言われました。他の二人がいや、あの応援はオッケーですと言って次男坊を笑ってたしなめてくれました。次男坊も笑っていたので、まあいいかですまされそうだと安心をしました。(今現在、恥ずかしさがこみ上げてきていますが)3人の写真を撮ると、「お父さんと二人で」と促してくれ、それに乗じて次男坊と肩をくんで写真に収まりました。「いいゲームを見せてくれてありがとう」と握手をしました。最後に次男坊も手を出してくれました。父親になって初めて、私は次男坊の保護者としての父親であるのだと強く思いました。
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| mattou sougou undoukouen。絶叫していてあせってスナップしました。wajima高校生写っておりません。バスケットマン3人の写真は私の秘蔵写真となりました。 |
2 中学校開校準備委員会 第2回。at noto。
無料になった能登里山海道をwajimaに向かいました。いつものことながら、人や自動車の数とスピードがどんどん遅くなっていくのがわかります。wajima市街地をゆっくりと車間距離をあけて並ぶ車列の中で、思いました。kaga地区の子供たちと同じ土俵では、文武ともにもう勝てないのではないかと。都会の人たちと同じ政治システムを容認していては、子供たちだけではなく、大人が、否、大人の方こそ、ふるさとを維持できなくなるのではないか。情報量だけは都会と同じになっているが故に、かえって不自然な場所を作ってしまうのではないか。深く、冷静に、緻密に探し出せば膨大な文化遺産があるのに違いなく、その多くが金銭的価値に移行しにくいというだけで、もはやどのようなセンサーや最先端の道具を使っても探し出せない場所にもぐってしまうのではないか。少しぐらい貧乏でもゆっくりと、優しく暮らせる場所を自らの手で作り出すことは可能であると思うのです。そのための背骨として膨大な文化遺産が再び息吹き始めるのです。今現在も生きているものとして、生活として、多くの山や川や能登半島を取り囲む海とともに。
何よりもその先鞭となる人間こそが、wajima市に生まれ、これから思春期を迎え、大人に飛翔するであろう13才以下の子供たちなのです。そして彼らの輪郭を縁取る要因としての教育があり、教育を行う場所としての学びやがあるのです。校歌や制服や細部の通学経路は2番目の議題であるのです。何よりも真っ先に準備しなければならないものは、私たち大人の思いなのです。今現在加齢を重ねている大人たちのふるさとをどうしたいのかという理念でもあり、具体的な目標であると思うのです。思考だけで(机上のアイディア)発展を目指す都市に肩を並べて競えるのは、優しい思い、強い信念、ほんとうに危機的なふるさとを次世代に渡そうとする遠いまなざししかないのです。
グローバリゼーションという究極のローカリズムを生み育てるのは、愚直な思いという超個人的な、今ここに私は生きているという認識以外にはないと思うのです。そこにしか世界は育たないのです。似て非なるグローバリズムは、この視点が無いと、一信教的なイデオロギーに一瞬にして堕するのです。
ほんとうに高校生たちは可愛らしかった。そんな彼らもほんの少し前まではお母さんにまとわりつき、ほんの少し先で大人になっているのである。一瞬も止まらないで動いているのである。
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| 畳に、座布団では、ちと話しがat homeになりすぎるぞ。 |
2013年5月28日
新中学校の開校に関する説明会及び意見交換会。
教育委員会主催で、三井地区限定の会であります。制服や校歌などの案件よりも、輪島市街地から最大で17㎞も離れている生徒(私の末娘!)が存在する通り、遠距離通学の問題がほとんどの話題でした。教育委員会の誠意は感じます。既存の路線バスを負担ゼロで(当面5年)利用するのか、1年生から3年生まで合わせて、35人(平成26年度)いるので、三井地区専用バスを運行するのかということに問題は収斂しました。
その際、私も思いましたが、三井地区の保護者の総意はムリとしても、今日のこの会合に参加している保護者の総意ぐらいは決定してもいいのではないかとの意見が出ましたが、大きな声で引っ張る保護者がいないので、あいまいな状態(また今度)に戻りました。路線バスの増便があるかないか、愛のりバスというバスで末娘が通っているのですが、これは小学校のスクールバスと、廃止された路線バスの融合したもので、このバスの増便と距離の増加、とりわけ、生徒の帰宅に都合のよい増便があるかないかによっても、どちらがいいかは変わっていきます。
この愛のりバスは、末娘にいろいろお菓子をくれたりしてかまってくれるお年寄りが結構いらして、親としてもyoromiの誰それさんが元気であることや、誰それさんはちょっと元気が無いとかの情報が手に入ったりして、なんだかほんわかとしたイイ感じだなんです。保護者の方々としても、現在、三井地区内の限定運行である、この愛のりバスを輪島市街にまで延伸することが最大公約数的な提案だと思うのだが。代々三井在住の人の中には、そのような少数で固まっていることを忌避したい方が少なからずいらっしゃって、ここでも、ベストな解決が無いか。根なし草の私としては村社会の解放は、このような忌避では逆効果だと思う。
何よりも、三井地区は面積が広く、かててくわえて、生徒一人一人の部活選択などのライフスタイルの違いなどが出てきて、とても、全体の総意が生まれにくい問題であることだけは、はっきりとしたような気がしました。時間は限られているけれども、じっくりと決めていこうということだけは、教育委員会、保護者双方の見解は一致したと思います。
あいかわらず、かっこつけて、「素晴らしい学校なのならば、少々の問題は我慢する覚悟があります」なんて言ってしまった。でもそう思う。素晴らしいの中身がはっきりと見えないのだが。
その際、私も思いましたが、三井地区の保護者の総意はムリとしても、今日のこの会合に参加している保護者の総意ぐらいは決定してもいいのではないかとの意見が出ましたが、大きな声で引っ張る保護者がいないので、あいまいな状態(また今度)に戻りました。路線バスの増便があるかないか、愛のりバスというバスで末娘が通っているのですが、これは小学校のスクールバスと、廃止された路線バスの融合したもので、このバスの増便と距離の増加、とりわけ、生徒の帰宅に都合のよい増便があるかないかによっても、どちらがいいかは変わっていきます。
この愛のりバスは、末娘にいろいろお菓子をくれたりしてかまってくれるお年寄りが結構いらして、親としてもyoromiの誰それさんが元気であることや、誰それさんはちょっと元気が無いとかの情報が手に入ったりして、なんだかほんわかとしたイイ感じだなんです。保護者の方々としても、現在、三井地区内の限定運行である、この愛のりバスを輪島市街にまで延伸することが最大公約数的な提案だと思うのだが。代々三井在住の人の中には、そのような少数で固まっていることを忌避したい方が少なからずいらっしゃって、ここでも、ベストな解決が無いか。根なし草の私としては村社会の解放は、このような忌避では逆効果だと思う。
何よりも、三井地区は面積が広く、かててくわえて、生徒一人一人の部活選択などのライフスタイルの違いなどが出てきて、とても、全体の総意が生まれにくい問題であることだけは、はっきりとしたような気がしました。時間は限られているけれども、じっくりと決めていこうということだけは、教育委員会、保護者双方の見解は一致したと思います。
あいかわらず、かっこつけて、「素晴らしい学校なのならば、少々の問題は我慢する覚悟があります」なんて言ってしまった。でもそう思う。素晴らしいの中身がはっきりと見えないのだが。
2013年5月15日
こかせてください。
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| ryushou寺前デカ田の裏山に道があります。5年ほど前に炭窯がつくられました。→わじゅカタルへ |
よく考えれば、古い言葉は自分にとっての他物として封印されているがゆえに、現行の意識がどうにかこうにか、古い書かれたモノを認識できるようになるということは、他文明では考えられないような出来事をもたらすのではないかという淡い希望です。なぜ、唐突にこのように言うかと言えば、yoromiのような僻村にて、連日田んぼに入っていると風景を描写しようとすると、あまり使えるような言葉がなく、(かえって、測量、土木系の専門用語が機能せざるを得ないという気がします)もしかしたら、長い文章を重ねることなく、たったの一語で目の前の瞬間を書きとめることができるのではないかと思えるのです。(かろうじて、芥川龍之介の中期の伝記的作品にその名残があるような気がします)
小学校から漢文をはじめとする難しい勉強をしておけばと思ったりします。良かれと思ってという明治時代の官僚の方々の努力がかえって、自分自身を表現する時に、その行為を阻害する働きをしていると思うのです。われわれ、現在に生きる者は明治時代以前を博物学的にとらえるより手立てが無いのです。
古い言葉は消えてしまってはいない。無用の長物としての厖大な古書を、今一度、じっくりと味わってみたい。
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| itayaAさん、朝の読経後、くりの窓を拭いておられます。 |
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