2013年11月23日

奥さんがあまりにもかわいそう。

一昨日、へんな映画を見た。
タイトルを忘れた。プラムと栗とじゃなくて、うーむ。バイオリニストが惰性でいっしょになった奥さんから大切なバイオリンを壊されて、食を断って8日目で死ぬ。主人公の夢が時系列でフラッシュされる。中身が、実らぬ恋に、師匠との決別まで、それから、、、忘れた。

 映画がひさしぶりということもあって、最初はえらく感動していた。それは、死を決心している主人公の夢は夢そのもので、美貌の恋人と結ばれたにも関わらず岳父の反対で結婚できなかったという妄想に近い夢をだらだらと流し続けている絶望的な映画だと感動していたのでした。しかし待てよ、夢はもしかしたら実話なのかな?急に陳腐そのものの映画になってしまうではないか。どちらなんだろうか。主人公はひょっとしたら、バイオリンも弾けないのではないかという期待は俺の嫉妬に転じてしまうではないか。

 主人公は死神に会ってしまうのだが(死神に会ったものは死ななければならない)、医学で快癒してしまうと完璧なんだけどなと思っていた。にも拘わらず、どうも、死に枕で見ている夢は現実にあったこととしか思えない形でエンディングロールが流れているではないか。映画の公式サイトなどを見ると、やはり夢は実際にあったことらしい。

いや、主人公は、ものごころついた時から、自分はふつうの人間と違う特殊な才能を持たされた人であるという考えが抜けず、現実に裏切られ続けてきたにもかかわらず、死神に出会っても、その考えが抜けなかったということを、妄想の断片をただ、時系列で並べるだけで描き切った新しい映画だと思いたい。未来の名作は過去の誤読であるといったインテリがおったではないか。

作中、主人公はほとんどタバコを吸っていたのだった。子供が2人、奥さんはパートで数学の先生をしていて、奥さんは死ぬほど主人公を好きなのに、バイオリンを壊された時、言うんだ。
「忘れない」「僕は一度でも、君を愛したことがない」奥さんが好物のチキンのプラム煮を作って仲直りしようとしても許さない。布団に横たわるだけ。思い出したタイトルはチキンとプラムでした。

最近、映画も見なくなったのは、現実が映画よりもドラマティックだからだろう。現実と夢は同じ根を持つのだろう。ならば、自分という主人公ほどおもしろいものがあるわけがないではないか。なおかつ、自分と同じ者を血眼になって探しながら。


追記。

 親力セミナーという催事が文化会館にてありました。河井小学校と門前中学校の児童生徒諸君のパフォーマンス以外は、おもしろくなかったです。学校統合まで4カ月しかないことを、市民や当の生徒諸君に啓蒙したいと言っている、あんたらがもっとも大変なんだろうがと思う。校歌も校章も決まっておらず、スクールバスの要求を見事に蹴って路線バス会社との交渉も佳境で、そんな中、会場前に女子生徒の制服だけがぶら下がっている惨状をどうすんだ。
 吉岡教育長の最後のしめの御言葉がすごかった。
「生徒諸君の脳みそをひまにさせないようにする」「そしたらいじめなんかしているひまがないんだ」
公の舞台で、こんなおもしろい話をしてくれる展開はめったに見られるもんじゃない。

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