2013年4月20日

ボソボソと。平成25年度、PTA役員会。第1回。

 PTAの役員会があり、haginoさんを副会長に加えることを提案したが、規則を変えると混乱してしまうのでダメと言われる。しつこく、規則を変えることを議案として、総会に上程してもらえないかと、ぼそぼそと言っていると、あるお母さんに怒られた。まただ。もっとうまく、話を持っていけばよかったのだろうか。もっと笑顔で前向きに言えばよかったのだろうか。どうしてこのような時に切れないんだろうか。いつも、小さなことに切れているのに、こんな大事な時に、なぜ本気にならないんだ。規則を守るためにPTAがあるわけではないんだ。でもすんませんと、提案を取り下げたのだった。守ろうとしているのは自分の体裁だけだ。なかよくしんかまあと、言われるとガックリしているのに、俺の中にも、しっかりと、なかよくしんかまあが、根付いている。
 前もって、役員の方がたには電話で言っておいたのだが…。了承されていると思っていたのだが、教頭先生が規則は変えられないの一点張りだ。変えようという議案ぐらい出してもいいんではないか。永遠に規則は変えられないということなのか。憲法よりも重いものなのか。
 しかし問題は、私が本気になっていないということなんだ。そのような者が、ボソボソと、無愛想で理想論ばかりしゃべっていたから、思わず、怒ってしまったのだろう。お母さんが別のお母さんに今から、晩御飯つくらんといかんのだろうと言っているのを聞いていると、いまどきのお母さんは、分単位、秒単位のスケジュールで家事と仕事をこなしているということがわかる。そんな時にトシヨリが、ボソボソときれいごとを並べているのが我慢ならなかったに違いない。だから、全然怒られても腹が立たなかった。別なお母さんは環境委員として、田んぼ、ビオトープ、炭焼き、などの自然環境と学校の敷地内の環境がうまくシンクロしあうような統一感ある行事を創造できたらいいですねと、意見が一致もしたのだ。(きれいごとが拒否されたわけじゃなかった)教頭先生は、教育委員会のスパイなんじゃねえかって思うぐらいだ。なんでこんなにみんな忙しいのに、世の中、いや、それぞれの家庭はよくならないのかとも思うが、それらのことよりも、半世紀以上も生きてきて、本気になるものが何一つないという事実に愕然としたんだ。で、何か本気になるものはねえかと、子どものようにきょろきょろしているんだ。自分にこもっていることが、わかる。出るのは簡単だ。自分でありさえすればよい。そんな簡単なことをサボって、周りの世話になりながら、ここまで生きてきたんだ。

冬越しのコマツナ。

同じく、ハクサイ。菜の花にchange。

電話で根回しをしていた時に、wajima弁になっていた。相手に自分の意思が伝わり安い感じがする。ようするに「なかよおせんかまあ」だ。個人ということを隠ぺいし、民主主義を規則どおりに運用すればするほど、ムード(空気)が王様になっていくんだ。私のズルさは、そのことに気付いておきながら、そのことを、そのまま言わなかったことである。言わないどころか、方言をわざと使っていると気付いていながら、方言を道具として利用したことである。つまり、強きを助けて、弱きをくじいているのだ。わかっていながら、仲間はずれになることがいやだから、怒るべきところで怒らないのだ。いまだに、個人(personペルソナ)が、まったくわからないのだ。理解すればするほど、わからなくなってくるのだ。


0 件のコメント:

コメントを投稿