2013年2月2日

研修会。 IT:Information Technology (情報技術)

県庁(中央いちばん高いの)を中心に、開発された街。わかりやすい造りがもっともわかりにくいということの典型を示す。何の道しるべもない。あるのは全国チェーンの店の見なれた看板だけなんだ。
遠い金沢まで1時間半、車でITの研修会に行ってきました。なんとアナログな。ちょっと脱線するが、PTA活動をとおして、感じるのは、このような研修会であれ、発表会であれ、どのような催しも入念な準備がなされているということである。事細かく、主催者の行動が決められてエクセル表に細かい字で印刷されたものを、共有するのである。そればかりではなく、誰がどこでどのような発言をするか、あるいはしそうかなどを想定して、実際の催しの当日には何も考えることもなく予測された時間どおりに進行し終了する。すぐに帰る人もあれば、散歩中の犬の電信柱への小便のように雑談をしていく人もおられます。何かをすることが大切で、何かの中身などどうでもいいのではないかと疑ってしまう。中身をつっつくと、奇異の目で見られるのは気のせいなのだろうか。いや、そのような目が向けられるならまだましかな。誰もこちらを見なくなることもあるんだから。
 さて、ネット中毒気味のjusaiには面白い内容でありました。おそらく、日本の最先端の啓蒙家がそろったのかな。文部科学省、総務省の課長クラスに、現場の先生、それに日本IBM出身のネットアナリストの女性と。積極的に語られているのは、よりよきネット社会の構築なのだが、具体的策となると、フィルタリングをしなさい。スマホはケイタイの進化系なのではなくて、通話機能を持った小さなPCなのだから、複雑きわまりない防御策を調べてください。などなどと、安全安心な場所でネットを利用しましょうという話だった。子供たちを守りましょう。と。石川県は、なんでもこの逃避的行動の先進県なのだそうで、ケイタイを小中学生に持たせないための条例をわざわざ作ったのだそうだ。究極の安心技、ケイタイを持たない。
 いつかは、理想的な空間となりますでしょうという気持ちが問題を先送りしている。このような会を来年も再来年もこれからも続けることで、なんとかなると思っているうちに、老人は死んでゆき、壮年は意識自体がぼんやりとし始め、若者は夢をあきらめていく。そして、子供たちは目上の人たちが、だらだらと残してきた空間で、実利最優先で進化してきた道具を道具たらしめんとして必死であろう。必死な姿を見せないようにして。この私はいつでも傍観してきたのだった。俺は関係ないんだと。俺はがんばったんだと。
県庁。今日は土曜日。お休み。
ネット社会などと区切ること自体が、間違っているのであり、誰も区切ることができないという、ただこの一点だけがネット社会を成立させているのである。したがって、大人の総意として、われわれはこのような世界についていけないと宣言することは、全然悪くないのではないだろうかと思う。その時にはじめて、子供たち、とりわけ、中高生から、「それに気付くなんてやるじゃん」と言われ、話し合うことができるのだと思う。コミュニケーションを学ぶ際に、情報というものに対する感覚の共有は不可欠なのである。ネット社会になんとか付いていこうとするジジイどもの方が、はるかに、リアルを喪失しているのだ、ということに気付き、ITに付いていくことを断念する。これ俺の話です。



追記

 1  石川県PTA連合会「携帯電話・インターネットに関する宣言文」(抜粋)

  原則、小中学生には携帯電話は持たせない。
  インターネットについての認識を高めるために、啓発活動を促進する。


 2  石川県「いしかわ子ども総合条例」


  携帯電話」の利用制限について(第33条の2)
保護者は小中学生には、…の場合をのぞき、携帯電話は持たせないよう務めるものとします。


 3  kanazawa地区のPTAとして参加していた某国会議員のhase hiroshiがガラパゴス条例(前記いしかわ子ども総合条例)の廃止で県の教育委員会の課長をおどしていた。基本的に三流大学出の者は高偏差値の官僚が怖いんだろうなあ。だから群れるし、頭をそっくりかえらしている。
(2月1日付けアップの男性は東大でして、jusaiは胸と頭をそっくりかえらしておりました。)
俺って有名人すきなんやろな。サインもらおうかと思った。

4 ITの道具に対する啓蒙の時期は過ぎ、IT自体を道具として、目の前の諸般の事情に備えることに主眼が移っていくのだそうだ。時代はITからICTにシフトしている。

 PIAAC(国際成人力調査)




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