2013年2月1日

議事録。

事務局3人、市議3人、ご来場の方々、21人。新聞記者1人。


自分の発言が文章になったものを見るのは、えらく恥ずかしい。輪島市の方がえーとか、あーとか、(さすがに咳払いは入れていない)も全て含めて、忠実にテープから書き起こされてあるので尚更、はずかしい。発言の中身以上に、支離滅裂な論理なき思考体系みたいなものに覆われている自意識があるということそのものが恥ずかしい。自意識を自意識たらしめようとする、魂胆のいやらしさが恥ずかしい。決して、統合のことなんぞ憂えていないのも丸わかりだ。
 やっぱり、編集してくれよと思う。いいように汲んでくれよ。おれの考えていることを理解してくれよという甘えも満載なのがわかる。今日は、市内のPTAや市議会議員も集まる場であるから、いつもの緊張以上に、別な緊張がありました。きちんと自分の思いを伝えるという基本的なことをやれるようにならないと。と強く思う。yoromiの勉強会でのようにいったい俺は何をどう考えたらいいんですかねということを聞き手に丸あずけしてしまう悪いくせを治したい。
 いやそんなむずかしそうな話じゃねえな。なんだかすげえ勉強になるな。こういう社会的な場っちゅうのは。甘えがゆるされないもんなあ。話している時って、もっとも理解してほしいのは自分自身の方だもんなあ。相手の顔はそん時、自分自身そのものなんだな。相手そのものに、向かうことばが、俺には今まで無かったなあと思う。自分勝手ってレベルじゃねえな。そして相手から言葉をもらう心地よさっちゅうのも味わってみたいと思う。

 第一回輪島市統合協議会。議事録。西川のご発言部分。

言文一致のことなど、俺にはまるでわからないんだけれども、最初から書かれた文章は、その表現力の高低はともかく、誰が書いても、わかるものしか、つまりは読めるものしか許されないことは間違いないだろう。どう違うのかはわからんが、話されたことばと書かれたことばは全く別なものというのも間違いなさそうなのが、わかる。でも俺の文章でたまにドツボにはまってわからないものがあるのだが、その時の具合の悪さと前述の議事録の具合の悪さは、どこか共通している。私のこだわりのポイントがそこにあるという感じなんだ。性格の悪さと表現力の低さかもな。簡単にわかることをそのまんましゃべって、(書いて)どうなるってんだよ。てな感じだな。

教育委員会さまへ。

無党派の会(なんたる矛盾)、無印良品というブランド(なんたる過剰)、連絡会(なんたる無責任)。結局、反対だけではなく、あらゆる意見が集約される集団というアイマイな感じ的なことに落ち着きそうである。定義しないという定義、ここらへんで意識は止まっちゃうんだ。俺の場合。

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