2013年2月8日

授業参観。

末娘の小学校の授業参観日でした。男女5人づつで10人。少ないっちゃあ少ない。来年はもっと少ない。少ない少ない。テレビをつけるとにぎやかで、元気な老若男女がいっぱいっちゃあ、いっぱいだ。授業後の懇談会で、中学校統合のことを話す。反対っちゃあ、反対なんですけど、それだけでもないっちゅうか、賛成でも反対でもなく、みんなで議論する勉強会をやりますっと、ぼそぼそしゃべっていたら、お母さんがたに怒られる。いったい、西川さんは何がやりたいんですか。ぼそぼそっとぶったこれまでの活動はことごとく、すべて、論破されてしまう。結局、ごちゃごちゃやっていて、輪島市の市街地の対立を煽っただけではないかと思う。これはもう、立派な差別の問題が浮上している。川を挟んだ町と町。新しい中学校に慣れるのは子供たちの運命だが、大人が唯一やれること、やらなければならないことは、くだらなさすぎるが、決して侮ることができない町内対立の存在の共有である。(この問題の解決は、私の夢のようなものだ)タブーは言語の枠内に簡単には訪れることがない。今回の統合はこれまで大人が脳裏にはっきりと意識しているのにもかかわず、決してそういうことがあると問題にしてこなかったことを見事に抽象してくれた。抽象的場所では、世界そのものがこうした構造にあり、次元がまるで違うが、原発問題や米軍基地の問題、あるいは尖閣などの領土問題もそうした具合のわるい、めんどうくさい構造が否が応でも、われわれの意識にとげのようにして刺さっていることを明示してくれる。
 お母さん方は、一生懸命に一日も早く統合してほしいという意思を私にぶつけてくれました。強がりとええかっこしいも入ってはいたのだが、そこまであからさまに統合賛成の気持ちをおっしゃてくれて気持がよかった。反対派のレッテルはおおげさですよと言っても、彼女ら賛成派から見ると、われわれは一つの力であり流れであるのだそうだ。敵対すると互いが互いの等身大を見ることができなくなってしまう。「急に私は考えを改めることはできません」とへらへら言うと、あんまりへんなことすると「埋めますから」と言われる。yoromiへのかえり道。考える。問題は「俺がどうしたいのかなんだ」ただずるずる引き延ばしているわけではないのだが、愚図まるだしだ。統合中学校の仮校舎は俺の実家のすぐそばだ。なんで俺はこんな遠い山奥に戻る必要があるんだと思う。はて、どのような問題があるのだっけ?ほら、もう忘れている。忘れる!この方法があるではないか。問題はこの私だ。

追記

勉強会1回目。


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