2013年1月10日

新年会。

erikoさんの血縁に、酒が入ると激変する人がいる。それほど、極端ではないが、私もその傾向がある。haginoさんのコーディネートで中学校統合を憂う有志が集まって呑んだのだが、説教というか、啓蒙というか、偉そうに人に語ろうとするみたいだ。末娘が言う。父ちゃんって、うざくなって、人にわけのわからないことを言うよね」「ほんとは、なんにもしゃべりたくないんだけど、沈黙がいやだから、しゃべるん」そもそも、すでに、偉そうですな。宿題でもないのに、文章を作るって行為じたいが、そのような性向を助長させているような気がする。
 nakauraさん、聞いてくれてありがとうございました。komukai女史、聞いてくれてありがとうございました。PTAから直接的には引退ですが、いつまでも、意識のある限り地域のお母さんでいてください。komukai女史もわかってくれたのだが、行政の諮問的な委員会がいろいろありますけど、本来、その場で話しているうちに出てくる方向がベターだと思いました。同様に、私っていったい今何を考えているのだろうという根源的な問いは、他者と何か(何でもいいから)をやりとりしていることと同時進行でしか、発生しないのだと思いました。問いが生じるのと、他者が現れるのは同時であろうか?わからないけれども、自分が何を考えたがっているのかは、うすうすわかるが、自分が今何を考えているかと考えること自体が、もはや、原始人とは根本的に違う次元に立たされているのだなあとも思ったのでした。
 むずかしく考えるつもりはないのだが、考えようとして考えられる人がいるとしたら、そいつは病気だと思う。また、思ったように話せる人がいるとしたら、そいつはあまりにも健全すぎると思う。
自分の考えていることを傍観できる人がいるとしたら、そいつは絶対に私自身だ。自分の考えたことをそのまま口に出す以外に、人類を苦境から救う方法はないと思うんだ。

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