2013年1月8日

精進するんだ。

久しぶりに読経をしました。わしの声に合わせてくれと懇願されているのにもかかわらず、いまだに合いません。第三者に尋ねてもそうなのだから、合っていないのは間違いないのだろう。この期におよんで、私はまだ、他人を疑っている。村田住職はわしの声が聞こえるでしょう。それじゃ合うわけがないとおっしゃいます。私もそう思うから、聞こえないようにと自分の声を調整しようとする。自分の声だと意識した時点で、もはや客観も絶対もなくなります。俺の大脳で聞きうるリズムとスピードを私の大脳を通した他者に強要しはじめます。ようするに、まったく合わないということ自体がわからなくなる。
 だが、問題は少しもややこしくないし、複雑でもない。ただ、それぞれがそれぞれのスピードを持って、尚且つみんなして、それを合わせようとしているということだ。音楽演奏に造詣のあるあーちゃんが言うとったな。「合わせようとした時点で合ってない」問題がとてもシンプルゆえに、とてつもなく簡単なひと手間で好い故に、今現在の私には、とてつもなく難しい。
 ということが今日、わかった。私の心と素直に出会おうとしないこの私がいけないんだ。仏道がどうちゃらとか、言語がどうちゃらとか、私とはどうちゃらとかなんぞ、その次でよかったんだ。

 追記
 げんさんは、さりげなく、音痴は許されるけど、リズム感は、みたいなことを言っていた。村田住職の木魚に照準を充てようとすると、村田住職のくせのある「森のくまさん」を思い出す。住職にしかできない、(まねできない)リズムなんだ。読経中、ほとんど声が聞こえないけいこさんは「合ってるわよ」と小さく笑う。謎は深まるばかりだが、謎を謎として放置することもありだな。
どぶろく。甘酒に…。甘い。若い。これから。

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