2012年11月26日

炭焼き9日目。

早朝、炭窯はエントツと焚き口や空気穴など目につく出口は閉じたのだが、窯全体からうっすらと甘い煙が立ち上っていました。原理的には酸素の供給を遮断して熱分解による炭化(勉強しました)を停止するというものですが、窯は石と粘土でできているせいなのか、毎度の修復が甘いせいなのか、煙が少しでも出ているということは炭化が進んでいるということなので、最悪の場合、窯止めの段階では、炭になっていたものが、燃焼しつくして灰になるということもあるらしいのです。
 炭窯の中は、開けるまで、様子がわかりません。とにかく、炭窯の全体を何度も見て、刷毛で砂状の粘土を掃き、露出する窯の肌を、さらによーく見て、穴あらば、塞ぎ、穴ありそうならば、やはり塞ぐということを、当番で少なくとも、5日間実行する予定です。燃焼や炭化といった現象は科学的なものであるのでしょうから、つまりは、絶対的にそのようにすれば、そのようにしかならないものなのでしょうから、人の不手際を露わにいたします。
 一回炭を焼いただけなのに、思ったのですが、炭窯は雑木山のふもとにあり、粘土と石だけでできている。原料の生えている近くに、原料の近くから見つけた土や石でつくった空洞を、やはり原料にならなかった部分を燃やして暖める。結果として、原料からたくさんのものを分解して、最終的に原材料の炭素の純度を上げてつくるということがわかった。さらに、原材料は20年ほどのサイクルで再生するということ。今回は遠くから原材料を運び、チェーンソーも使ったから、えらそうなことは言えないが、ようするに、何が言いたいかというと、身の回りのもので全てが完結しているなあと思ったのです。
 が、あたりまえのことに対して、もっとも障害になっているのが、こうした自分の思いであるような気も同時にしたのでして。今も、炭窯の中は高温で、燃焼もとい、熱分解による炭化が現在進行形でして、同時に、炭窯に集った方々の記憶は、いかに鮮明であっても、それは過去なのでして、時間の感覚も、炭窯から立ち上る煙が揺らぐようにして、揺らいでいるのですが、炭焼きの時間の全てを含んで、今も炭窯の表面は温い、まるで生きているようにしてどかんとそこにあるのです。

追記

 昨日の記者発表の件
    朝日、北陸中日に掲載されました。読売、北国は当該発表は掲載されませんでした。

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