2012年11月19日

炭焼き2日目。

 日雇いにて、中能登と奥能登を往復する。今日の親方は作業員ではなく、事務方の課長さん。怒ったことがない、もしくは怒れない、もしくは、怒り方がわからないのではないかと思われる優しい方です。今日は移動距離が長いので、車内の会話も、能登の将来はどうなるんだろうかというマジメな話にもなりました。
 「調べたんだけど、能登の過去10年間の人口減何人やと思う?」
3万人もいるらしい。しかも自然減以外のほとんどが、団塊Jr.なんだそうだ。monzen,anamizuだと、現在65歳以上が過半数を越えて、3分の2に迫っている。ちょうど、現場が志賀原発のそばで、もしも、再稼働しなかったら、壊滅的になるんじゃないかという話にもなりました。


富来。外浦は波風がすごい。
炭焼きの火は今、どうなっているのだろうか。携帯電話を持たないので、情報を得ようにもできずに、急激に温度が上がってしまった状態と温度があがらずに、ほったらかしにされた両極端の炭窯を妄想するしか手がありませんでした。こんな日に限って、仕事の上がりが遅れ、炭窯に到着したのはもう午後8時をまわっていました。学校の駐車場に車を止めて、体育館横の細道を歩くと、煙の匂いが全くしません。近づいても、裸電球の明かりが見えず、真っ暗です。ただちに、あわてて、「ダメで、窯を閉じたのか」と思いました。
 しかし、mii中学校のグラウンド側に入ると、明かりがついておりました。とにかく、温度だ。早朝寄って以来、13時間経っている炭焼き小屋は、初めてきたかのように、椅子がふたつならんでおりました。その上に温度を書き込む棒グラフとasami先生の残されたメモが置いてありました。
やっぱり来てくれたんだ。温度変化の様子と炭窯の焚き口とエントツの入り口をこれまで以上に絞ったことが簡潔に書かれてありました。一人でたたずんていると、sendai先生と、kakida先生が順番にあらわれました。hataoさんのブログから聞きかじった炭焼きの知識と心構えを、生意気にも講釈してしまいました。真剣に聞いてくださってありがとうです。体感したこともないことなのに、話していると、その最中に自分でも自分の講釈に聞き入っております。暗中模索ながら、炭窯はほぼ順調に温度と圧力を上げている(と思いたい)明日はいよいよ、炭窯の中の炭材が、自ら燃えはじめる点火の瞬間を夕方ごろ迎える予定です。わからないながらも、ほんのわずかずつ、知りつつあるという感じがたまらなくよいです。
 帰ろうとしたら、炭焼き委員長の(別に責任転嫁をするつもりはありません)taniguchiさんがあらわれ、どうしてこんな責任を持つのかという疑問がほとんど消えて、心から炭焼きを成功させたいという思いが伝わってきます。炭窯滞在中、薪入れ当番のimaushiさんとhashimotoさんもやってきて、雄弁に、そして寡黙に、炭窯を見つめておられました。炭窯はとにもかくにも、呼吸しているかのように静かに燃え続けています。


19日 6:30 67度 1時間に10度近く上昇。焚き口とエントツを絞る。ふうっ。20:00. 64度。じ

先生方、なにとぞ、よろしくお願いします。

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