2012年8月7日

日曜日はストレンジャーby石野真子

朝一番に、駐車場用の土砂利を頼んでいた、mori土木の社長さんが現場を見に来る。結局、思ったよりも土砂利が必要にて、けっこうな金額になる。でも、それでお願いすることに。
 nishikawa家の墓をそうじしにいく。日陰にてきもちのよい日。その足で、morishitaさんの家に行く。wajima最高峰のkoushuzanのふもとというか、入山口のような場所にある。海へ行こう行こうとうるさい氏にことわりに。カルピスソーダの冷たいのを出されて喜ぶ。駐車場のことを話すと、いつもの調子で、「なーんで、そんなお金つかって、砂利なんかしくのー」「わけのわからんことをするなー」土砂利をわざわざ使わなくても、地面を切り貼りすればできるよー」とほくそ笑んでいる。
結局、mori土木にお断りの電話をいれる。その際、村田住職に、対応がまずいといわれる。自分の気持ちばかりを優先して相手の思いをまったく聞こうとしないみたいなことを言われる。村田住職によれば、jusaiはふつうにしゃべれていないらしい。いわれることはなんとなくわかるが、ダンプを呼ぶにもかかわらず、ダンプが通れないほどの枝ぶりに囲まれた道は、自分の思いそのものの帰結ではないかと、思う。すると、村田住職は、いきなり会話を打ち切って、すみませんを連発する。冗談とも本気とも理解不能な対応にjusaiは大きな?だった。なんとなれば、yoromiのトポスこそが、村田住職の思いの上に成立したものではないのか。と思う。社会から隔絶して、なおも、その社会の末端にいること自体がおかしいのではないかと思う。その上で、生活費はいったいどうしているんだ。賃金労働をまったくせずに、どうしたら、生活が可能なのか。日ごろの村田住職に対する不満が爆発する。住職は、シンパシーを持つ人に対してしかしゃべれないのではと日ごろから思っている。そして自らにシンパシーを感じない人は、自分にとって知らない人としてまったく放置して、平気だ。なぜに、そのようなポジションが許されるのかがわからない。それが坊主ということなのか???
きく。

きく。

やっぱり、おれはここに入る。
がまんがならないから、書く。今日からは、jusaiは見知らぬ人にあいなったのだった。



真夏の夜の雨

思考という名の

沈黙に眠る私よ

言葉という名の

停止に眠る私よ

眠れないままに

歯ぎしりをする私よ

私という名の

何をさすのかわからない

言葉と思考よ

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