2012年8月3日

田んぼで遊んでます。

 雨が降らず、こんなに暑い日が続いているのに、用水に水があるということが、不思議です。高い山もなく、(yoromi自体、標高が高い)勢いが弱まったとはいえ、干せた田んぼを潤すには十分な流量を保っている。
 用水と田んぼの高低が田んぼにちょうどいい具合に設定されている。先人の工夫は文字通り遺産だ。厳密にいうと、おそらく、ちょうどいいではなく、ちょっと足りないくらいなのではないか。それを、たくさんの田んぼで分け合っていた。水争いの歴史は語れないほどに悲壮であっただろうが、村人は互いを治めあっていたに違いない。ほとんどの田んぼでマイペースで用水を利用させてもらっているyoromiムラにとってはそうした争いが無いぶん、孤独でもあるといえる。
 昨日から、田んぼに水を再びいれている。地割れして、乾燥した地面に一刻もはやく、水を届けたいと思うのだが、乾燥しやすいところは、水口から遠いところであるから、田んぼによってはアゼまわりをオロオロ歩きます。用水の取水口の堰と田んぼのあいだを何回も往復します。簡単に水が届くところは、逆に地面が乾きにくいので、水は一刻も速くぬいてしまいたい。超矛盾する行為を同時にはできないので、水のいらないところと、水が必要なところは互いに互いを治めるようにして、傷つきあうしかない。いったん、水がぬかれて干せた田んぼは稲の根が水性から陸性に変わるので、24時間以上水のためられると、窒息して根腐れをおこしてしまうのである。

炎天下。左 村田住職。 右 田中そうる。
水が簡単にたまる田んぼは水をちゃーっと入れて、すぐに排出します。なかなかたまらない田んぼは田んぼを歩きまわって「水がこんな。水がこんな」とぶつくさするしか手がない。届かなかった場所に水がたまっているとき、いや、水がたまっていなくても、土の色が乾いた白色から、くろくなっていくのをみると、心底ほっとして万歳三唱する。乾いた大地に水が訪れる風景は自分のことのようにうれしい。
風呂用の薪。

 

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