2012年8月23日

雨が降る。


 思いがけず、雨が急に降った。sakataにだけ降ったのかと思うほど、自分の願いが通じたのかと思うほど、遠方には、青空があった。絶対に不可能なことが可能なのかと思えた一瞬だった。雨乞いはありだなと。田んぼや畑など、人為的な始まりのようでいて、今では神がかりとしか思えないような心とともに長くあったのだなあと。
 そして、食べ物を得るということが、神事としてあったのだと。小賢しい分別の、いかに有用なように見えて、いかに無力なのかと。生きることと、食べることと、働くことと、祈ることの区別のなかった時のことを思う。阿含経の現代語意訳(といっても、大正12年刊)を読んでいる。ブッダの話されたことにもっとも近いテキストと言われている。文字通り、神話のような筋を歩むが、書かれてあることは簡便のように見えて、かなり恐ろしいことを意識に要求している。ゆえに、私というふんばりさへはずせば、これほど、染み入る経典は無いように思える。かなり、抄訳されてあり、訳者が選んだ全体の中のごく一部ではあるが、最後の章が恐ろしい。釈迦族の滅亡に際し、ブッダが静かに荒れ果てた聖地をただ見るシーンである。
 



 佛は思わず、次のような短詩を口ずさまれたのであった。

すべての作られたるものは、

みな無常である。

生まれ出でたるものは、

必ず死なねばならぬ。

それゆえに、

生まれることがなければ、

そこには死がない。

滅だ、ほろびだ、無だ。

この滅こそ、

最上の楽しみである。


 「さあ、お前達、みんな一緒に、尼狗留園に行こうではないか。」


やがて、その尼狗留園についたとき、佛は座につかれてから、弟子達に次のような、悲しい言葉を與えられた。

 「これが、尼狗留園だね。何と言う驚くべき荒廃であろう。わしは、かつて、ここでお前達に何度いろいろ語ったろう。その当時は、数知れぬ人々が群衆していたのに、いまは、砂漠の中にいるように、誰もいないではないか。ああ、もう、再び、わしはここへは来れないだろうよ。」



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