2012年7月17日

木っ端です。

冬の薪を準備し始めました。wajimaの市街地にある、製材所の木っ端(製材した後の木の皮に近い部分)の束をもらってきて、チェーンソーで輪切りにして積んでいきます。2トントラックに2束重ねて持ってきます。だいたい、6束ぐらいで一冬分です。チェーンソーのエンジンうるさいので、ボヨヨンと静かなyoromiムラで主役のように主張します。刃の調整がへたなので、なおのこと、うるさくなるんです。こんなんで、山暮らししてるんかいとはずかしくなるんです。
恥ずかしいといえば、製材所を実務的にとりしきっている専務さんは、中学時代、野球部の後輩です。私が、3年生で主将をやってきた時になれないジャージ姿でやってきて、おどおどしながら、あるいは、希望に胸をふくらませて、「やきゅうぶにいれてください」と私に頭を下げてきました。私は「おういいだろう」ってな感じで、重みを演出しつつ許可しました。前任の主将がすこぶる厳しい人で、キャッチャーというポジションも同じで、野球に対する技量と熱意が全く正反対ではありましたが、どこかで、前任の主将の物まねをやっていました。その極端がケツバットでした。ちゃらちゃらしていたわけでもなかったのに、たぶんイライラしていたのでしょう。「おう。一年生ちょっと集合、並べ」「お前らなんでおれが集めたかわかるか」「たるんでんだよ」みたいなことを言いながら、一年生を並べて、後ろを向かせて、順番にバットでケツをなぐったのでした。その中に専務さんもいたのでありました。うーmm。中略。私は高校一年で野球をやめました。明るいうちに家に帰りたいという理由だったのですが、実際はどんどんうまくなっていく後輩の後塵をはいするのがいやだったからです。案の定、私の1年後輩たちは、夏の甲子園予選で決勝まで行きました。(決勝の相手は箕島高校と死闘を演じた星陵高校でした)2年後輩たちも準決勝まで行き、再び星陵高校に破れました。そして、専務さんはプロ野球のスカウトもやってくるほどの投手だったのです。うーmm。
よくもまあ、ずうずうしくも生きてこれたものだと、彼の顔を見ると逃げだしたくなります。いまだに、この途中落伍者を先輩として扱ってくれます。丁寧なことばづかいがたまらなくなって、「お願いだから、その口調をやめてもらえませんか。私はもう先輩じゃないんですし」と言ったことがありました。今日、最初のあいさつで、~さん、今年も木っ端よろしくお願いしますね」とはじめて、名前をさん付けで呼んだ時、少なくとも、私の中で何かが一つ、落ちて行きました。終わったんです。専務さんの中ではとうの昔に終わっていたのでしょうが。


追記。

四角田のカモのタマゴは、おそらくカラスに食われたものと思われます。カラが一つだけ散乱しておりました。

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