2012年6月24日

公演会。in Wajima

 PTA活動にて、講演会に行く。親力で決まる子供の将来。うーmm。つらい。50を越えてなおも、自分はいったいどうしたらいいのかわからない者にとってはストレートすぎる演題でした。聞いているふりをして、200人を越える観衆に、一人立ち向かう方の話し方を研究しようと思いました。あがり症のjusaiにとっては神業にも近い行為なのです。
話を聞いてしまっていましたから、話し手が一枚上手でした。何百回も講演を重ねると、おそらく自分はこんなにうまく話しをしたなどという感慨はないのでしょう。それに、重大な集団的勘違いに気づいたものにとっては、その勘違いの要点を簡潔に伝えたいという強烈な熱意も生まれているのでしょう。親野智可等(おやの ちから)さんにはそれがあったように思います。話し方のマニュアルなんぞなかった。教育を大上段に語る場合に、容易に陥りやすい、権力への迎合もなく、かといって、在野で、がんばって、がんばらないでおこうみたいないい加減なスタンスもなかったように思いました。子供に対する教育の重みを臨床的に痛感せざるを得ない、教師としての現場を土台にされた方ですから、臨床例(すなわち実際の教育現場)を素直に研究しようという決意のようなものも感じました。
中庸というのはむずかしい。客観という主観からしか客観が見えないようにして、あらゆる事象を私という主観で見ることはできない。限られた空間を限定してはじめられた事象しかわからない。すばらしい話は話手と聴き手のどちらにもない。面白かったなあ、あの人の話はでは、まだ、話は話手の中にとどまっている。面白い話を聞きたいというjusaiには面白い話など決して近寄ってこないのだ。かろうじて、残っているのは途切れ途切れのフレーズだった。
「真実はシンプル、やるかやらないか」
「あきらめて目をつぶる」
「意味不明な言葉で怒る。たとえばばびぶべぼん」

午後から田んぼに入ろうと思っていたのだが、実家によって、父と話をする。父の父はいつも言っていたフレーズがあった。「この辺の海の沖合に平家の落人の船が嵐を回避するためにやってきて、その中の書記官がこの地を気に入って、そのままこの地に住みついたのがわれわれ、左伝家の先祖なんだ。(jusaiは25才まで左伝という姓だった)屋号が文衛門なのはそのためなんだ」
これは幼き頃jusaiも聞いた。父はそんなもん、うそっぱちのでたらめだと言う。そこで、jusaiは言う。「あんたは理科系だからそんなことを言うけど、俺は信じてる」「ほら、叔父さんが調べた江戸時代後半のご先祖さまの話、ほら、一人でお寺巡りをした女の人が持っていたっていう小さな観音様の像、まだじいちゃんの家の倉庫にあるでしょう。あれ、見れないかな。それに左伝って春秋左氏伝の略なんでしょ。あれって、漢だったかナントカだったか中国の古い時代の戦争の歴史の記録なんでしょ。平家は源氏に敗れて命からがらこんなとこまで逃げてきたんでしょ。きっと奥能登の各地に平家の正確な歴史を残すために奥能登の各地に暗号というか、文字にしない記号が眠っている場所があるげんて。父ちゃんが先祖代々の口伝を受け取らなかったせいで、孫の俺に隔世伝達されてんて。父ちゃん、長男としてあるまじき人生を歩んできてんて」
絶対に文字にしない記号の存在を想像して妄想は止まらなくなってしまいました。jusaiが大好きな本の著者たちはみな共通してこのような妄想に一生を捧げた人が多い。ソシュールや折口信夫、それに中上健次。妄想だから正しいかどうかはわかりませんが。
諏訪神社の真向かいの山にアオサギの巣がある。神社前田に入っていると彼らが神様の侍従のような気がしてくる。(画像中央にアオサギが集落を見下ろしている。

はずれのどん詰りの駅故に、シベリアに向かう。今は廃線となり機関車は来ない。
なんだかすごく疲れた一日でした。

追記

講演会会場の上にある大ホールにて、輪島市主催による「がれき受け入れの説明会」が開かれていたことをニュースで知る。全市民に対する説明会とめいを打っていたようですが、同会場ではなんの看板もそれらしい、デモンストレーションも皆無でした。疲れ倍増。

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