2012年6月22日

指導者研修会。in Kanazawa

浅野川。下流に向かって。ここにも水がある。

研修会会場のホテルN航。この近くに古い古い辰巳用水が流れておりました。用水が好きです。直前まで奥能登の小さな川で途方にくれていた者が、30年前の麻のジャケットを着てロボットのようにして歩いている姿を想像してください。(喫煙所前から撮影)注。喫煙所は鉄塊のような思いドアの中、全くホテルマンのサービス(思いやり)の届かないスペースとして自立しておりました。一枚の油絵が慈悲のようにして掛けてあり、愛想のよいホテルマンのあんちゃんに誰の何という絵なんですと聞いても、へらへら笑っておりました。注。ホテルマンのあんちゃんは、客の些細な迷いをも見逃すまいという姿勢が存分にうかがえました。このような職業もあるのだなあと思いました。あれはなにマンなのだろうか。

約700人のPTAの方々。このうち100人くらいはPTA会長^^;
 kanazawaにゆきました。石川県PTA連合会による、よりよきPTA活動の指導者としての自覚とテクニックを学ぶという場です。yoromi出発直前まで、N水系の取水口の堰に水がたまらないで、小川にて途方にくれていました。ただ、小川を二枚の分厚い板で堰止める以外に何か独自の操作でもあるんかいなと困っていると、視野に人影が映り、声が届いてきます。Nばあちゃんでした。「それそれ、ほらそこの出口にあるカゴ(葉っぱなどをフィルタリングするためにかぶせてある)に葉っぱ、つまっとる、せい。それ、とるまっし(まっしは強い要請を和らげるための当地に語尾における方言)
取ると見事に出口から用水に向けて強い濁流が田んぼに向かって流れていきました)このまま一生一滴の水も流れてこないんではないかという思いもあっさりとながれてゆきました)葉っぱのせいかもとは思っていたのですが、こんなに影響を与えていたとは思いませんでした。小さな一手間がその年一年の田んぼの風景と収穫量に多大な影響を及ぼすことは何度も経験していたのですが。
kanazawaはjusaiにとって、コンプレックスの場所です。日本の縮図のようにして、一極集中の県都として君臨しており、jusai幼かりし頃、kanazawaへ家族ドライブするなんぞという行為は相当の緊張をもたらしたものです。その反動として、いまだに岐阜の田舎武士をmaeda様として、全面的にあがめておる田舎ものめ、おれらnotoはユーラシア大陸の大部をしめる中国文明との融和によって、きみたちに徳川体制というモダンなイデオロギーを産み出す素地を与えているんだ、などと、強がったりしております。石川県公衆浴場組合(ヨクジョウですぞ)理事として、何度も参勤交代のようにして、金沢にある事務所の会議に参加した折、いつも感じるのは石川県は基本的に地域(この言葉は大嫌いだ)を加賀、能登、金沢と三分割して、催し等を均等に配分するという建前がありながら、議事進行は圧倒的物量を誇る金沢地区の人たちがほとんどイニシアチブを握ってしまい、加賀は金沢よりも関西にちょっと近いぶん、はるかに遠い能登などはただ、追随するどころか、首をちょっとかしげるだけなのであった。うーmm。こうして気づいたが、こりゃただの被害妄想に近いなあ。しかし、田舎者のコンプレックスは、こうした相手側の無自覚に対して、いっそう、妄想はつのるのであった。
研修会にて、二つの学校が自分たちのPTA活動の様子をプレゼンテーションされたのですが、700人近い参加者の間で名刺交換会ゲームがあり、三枚の名刺を持って、知らない人と名刺をやりとりしました。jusaiはきれいな中年女性とやりとりしました。金沢周辺の学校の方で、つい、三時間ほど前まで、こぎたない作業服で、小川で下を向いて、困っていた自分が見えます。が、聞けば女性も奥能登のご出身の方で、何と思い込みの激しい男かとしなだれました。同時に、tokyo在住中も薄々、思っていたのですが、jusaiのような激しい田舎者のコンプレックスが巨大都市の属性の大部分を形作っているのではないかということを裏打ちいたしました。都市市民は、ほんとにただの普通なんではないか。(しかしその普通さに対してもコンプレックスの矢を放つのですが)
さて、今回の指導者!研修会の総括を。
PTAとは、ようするに、ただの保護者会なのだと思う。しかし、教育委員会の属性があいまいなのが、戦後の教育だけは財政やあらゆる社会的カテゴライズから独立させたいという形而上学的発想によることと同様にPTAも子供を神聖化しようとする思いからスタートしたのだろうと思う。(TPPのように記号的な外来語の羅列が好きなのか)
そうした倫理を伴った行政的区画から倫理だけが形骸化して、制度だけが残り、はては、PTA活動をうまく維持するノウハウをやっきになって探すという完全なる逆転現象の海を保護者たちは、ただ唯一自分の子供のためにという現実を頼りに、ほぼ消極的に活動しているのだろうと考える。三時間近くの会議の間中、ただの一度も、今子供たちの様子が垣間見られなかったのである。危険から子供たちを守ることに精一杯で、危険そのものをなくすというベクトルがまったく無いのである。


自家用車で行ったので、会場のすぐ近くにある村田住職の甥であるtatsumi ryoukou住職が守っておられる、kousei寺に車を止めさせていただきました。すぐ、帰ろうと思っていたのですが、ryoukouさんを見たら、しゃべりたくなって、(jusaiは心身疲れるほど、雄弁になるのです)ベラベラとたくさんしゃべらさせていただきました。住職の目が届きまくっているお寺さんの本堂や庫裏にて、ベラベラとしゃべりながら、はて、俺はいったい何を言いたいんだろうという思いがよぎります。そしてこうして回想しながら書いていて気づいたのですが、何が問題なのかを知るためにしゃべっているんであって、問題が明確にあって、それをそのまま表現しようとしているのではないのだということです。そして、問題はそれに近づこうと思えば思うほど、遠ざかります。そして、そうした自意識の正体こそが、形骸化した形而上学なのだと。そうしたエコ、もとい、エゴを、どんなエゴでも拡散させてくれるのが、本堂であり寺域なのだと。住職のエゴがもしあるとするならば、ただちにそうした肉声をせき止めてしまうであろうことは、容易に想像されます。

多くの方々が浅野川の氾濫によって命を落とされたそうです。

本源山 廣誓寺。http://www.kouseiji.net/ryusyou寺からやってくると、いっそう寺域が綺麗に見えます。
自分のことを精一杯心配することだけが、真にそれらの個体同士をつなげざるをえないと思うのです。

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