2012年6月20日

タマワリ。

いくばくかの金にはなっているが、今日のタマワリが直接金になっているという感覚はなく、台風の残り風が吹くさびしいムラを軽自動車が行く。コナギとのタタカイは峠を越えようとしている。秋草と村人が呼ぶオモダカやクログアイが目立つようになってきた。が、全体的に稲が他の植物より一歩先に育っている。(田んぼだから当たり前ですが)んでも、草が多いところは多いです。(当たり前ですが)
 そいういえば、例のコウゾリナほんとうにどこにでもあって、自宅近くにもありました。sakataやyoromi high wayでもけっこうあります。それでもやはりsakata4枚田はアザミ田んぼと名づけたいくらい目立ちます。他の草より目立っている。争っているのだろうか。生き物は争うことによって、質を高めないと種としての存続は無いのだろうか。イヤ、同じ種でも、それぞれの個体同士間で異種間よりもさらに苛酷な争いが不可避なのだろうか。(個体という感覚はヒトにしかないのかな)突然変異は遺伝しないというから、むしろヒト以外の意識を持たないと言われる生物の方が、個体感覚は強いのではなかろうかとも思います。個体感覚が強いと、かえって固有名を必要としませんし、当然のことながら他者すら必要ありません。原理的に言って、そうした個体は個体そのものであって、周囲の環境と全くの対等であることでしょう。すなわちワタシがココにいるという感覚だけが鮮明であろうと思います。説明や描写をする必要がありませんでしょう。
 台風一過、本来ならば、深水のために注水をしたい田んぼが何枚かあったのですが、これから再び雨も予想されるような今日の日に、洪水予防のために用水を止めた場所を開けるのは気が引けます。実際、空はどんよりと曇っており、天気予報も雨となっている。まっいいか。
 このようなムラの常識からぬけられないヒトにとって、周囲の環境は経済的であり、歴史的であり、気象学的でもあり、今目の前にある田んぼに水が貯まるには相当な段取りが必要になってくるのでありました。
 にもかかわらず、実際に手をくだすことといえば、田んぼから泥をすくって、アゼに塗ったりすることぐらいなのでした。消費増税法案や、電力の問題などで飛び交っている何兆円という単位とはあまりにも違いすぎる自分の仕事に情けなくなってくるのでありました。(そうではない価値などといっても、見えません)
ばばなき田んぼ1。

ばばなき田んぼ2向い。コナギどころか草自体が皆無なのだ。

sakata3.。

saakta4。

sakata2,1を望む。アザミの花はほんとに目立つんだ。

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