2012年6月18日

台風ドストライクで当地に来そう。

yoromi地区とsakata地区はおおむね、田んぼまわりの雑草の風景は違わない。山を一つ隔ててはいるが、山というよりは丘のようなもので、気候風土、村落の様子もあまり違わないように見える。
 ただ、それぞれの地区にしか見られない草がある。

sakata地区は、アザミ。yoromi地区は名前がわからないのだが、菊のような黄色い花を咲かすコウゾリナと言うんだろうか。推測するに、yoromiの人はアザミのギザギザした葉っぱが嫌いで、sakataの人はカミソリ菜の意味を持つコウゾリナが嫌いだから、それぞれをそれぞれの地区の人が徹底的に草刈をしたのか。(jusaiの見る田んぼに限ってのことだから、どうだかわからない)一回一回の草刈でも、同じようなことが千年単位でなされると植生と呼べるレベルの違いとなって現れたりしないものなのだろうか。
yoromiTsyoten裏2。

sakata4枚田。
天然の遷移ではなくて、人為的選択による風景の相違みたいな感じがあるのではないかと想像しました。我々は容易に原生を見ることができないのではないか。
 ならば、田んぼなど、相当に不自然なことのように思われる。同時に、そのような連続が千年単位でなされてきたことは人為を越えて、文明を越えて、自然の中に溶け込んでいるフィールドとしての田んぼを浮かび上がらせるように感じる。だから宮沢賢治は日照りの夏にオロオロとアゼをまわっていたものと想像できる。

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