2012年6月10日

コロガシからタマワリ(田まわり)へ。





sakata4枚の状況が気になりつつ、yoromi田んぼ街道を下る。(水は上から下へ)明日から村田住職が不在にて、jusaiが田んぼを見る。(すなわち水を見る)不思議なもので、4月の水入れ以来、自分がマワルものと思ってやっていた時と、村田住職が見ると決まった時と、再びワタシが見る時と、同じ田んぼながらに見え方がガラリと変わる。決して、ワタシの田んぼなどと積極的に思うわけではないのだが、水を見るということは、どうしても、この1区画がワタシのものとなる。責任を持つということか。(ヘッセ。「1区画に責任を持つ」)アナタにまかせるわけにはいかなくなる。つまりワタシが現されるわけだ。ピアノ田の排水口から少し田の温い水が漏れているのを塞ぐ。

yoromi田んぼ街道、終点 角田 を右に曲がるとyoromi old villageへの県道を西進する。数軒すぎるころに、Nさん田んぼが見え始め、道の左右にわがyoromiの田んぼが点在する。まず水は入っているか、土面が氷山の一角のようにしてあらわれてはいないかを見る。ふっ。心の準備をすべく、Sさん田んぼ(谷内)へ左折する。再び県道に戻り軽トラを止める。歩く。アゼ際を歩く。うひゃ。水が入ってしまっている田あり。(〃ω〃)。再び、軽トラに乗り、一路、諏訪神社を流し目でyoromi old vollageを下る。うひゃ、Sさん田んぼ(自宅前)のアゼから水が漏れて、アスファルトを濡らしている。なおも、Aばあちゃんと名前をまだ知らない古老が二人、話しているではないか。ああきっと、こんなばかなことをしてと、jusaiを笑っているに違いない。止まらずにルーティンの道を進む。神社の鳥居の前に対面で軽トラを止める。柏手をうつ。神社前田2の水口へと歩く。水は漏れていない。雨はちょうどよかったのだなあと思おう間もなく、大きな穴が開いていて水が出ている。Sさん田んぼ水漏れの件を忘れる。塞ぐ。(穴を塞ぐのはほんとうにやりがいがある)そして、銀座田のアゼをマワリ、はずれのばばなき田んぼのアゼを水口に向かって歩く。よし。あとは、Sさん田んぼのアゼをふもう。そっと、水もれのあたりにやってきた。どうして、田んぼから水が出ているのははずかしいのだろうか。どうして、田んぼに水を入れるのは照れるのだろうか。(我田引水へのうしろめたさか)(エコじゃないからか)
ちょうど、アゼをふんでいる場所から諏訪神社の社寺林が見え、もっと右に顔を向けると本殿が見える。と最前の古老2人が数多い井戸端のうちの一つに座ってこちらを見ているではないか。あーやはり俺を見ていたんだ。長靴を超えそうな水位故にそちらも気になる。うわっ。神社前田2にアオサギの野郎がエサに集中している。そんな時、ふと思ったのが、二人の古老がこちらを見る見ていない以前にオマエは二人の古老をしっかりと見たことが、一度でもあったのかということだった。ならばと、神前にて見るんだあと顔を右に向け、井戸端を見ると二人はもういなかったんだ。
sakataが気にもなる。はやく向かおう。yoromi high way を上る。(下るのか。分水嶺がわからない)信号も標識も皆無だから、すべての行動は自己責任なのだった。スーパーカブだとそうでもないが、軽トラだといろいろ考えるてしまう。見れば、ヤマボウシの花が各所に見られる。花が咲かないとヤマボウシがどこにあるなんてのはわからないのだが。向こう側が見えない場所はほんとうに恐ろしいから一番悪い想像すなわち、正面衝突の情景を浮かべながらゆっくりと進む。途中、yoromiがやっていた田んぼが並んでいる。何年か前に排水のためにユンボにて深く掘り返した場所があって、デカ目の石がゴロゴロ転がっている。なんとも寂しいg風景だと思う。まるで賽の河原のようだ(知らないけど)。
わずか、数センチの地面が田んぼとしての情景にマッチするまでにいったい、どれだけの年月がかかっているのかと、残念な気持ちになる。
がsakata4枚田、思ったより水が入り込んでいたのだが、その水は長い長い道のりを経て、なおも、今日一日の温度を浴びているために温く、ほっとする。さあ帰ろう。家に帰ろう。(夕方の光線の具合からか、田んぼのコナギの早苗が思ったよりも少なく思えたので、機嫌がよい)明日からはもっとじっくりとコロガシも少しやりつつ、タマワリだな。

追記

雨量、降ったタイミングともに最適でした。

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