2012年5月9日

田んぼの荒起こしと草刈。1日目。

yoromi highway


いよいよ、田んぼの荒起こし等がはじまりました。まずはsakata地区。yoromiハイウエイ(林道が舗装された時、むらた住職命名 信号がありません)を走って峠を一つ越えると、10年ほど前までわたしたちが耕作していた田んぼが左右に広がり、小さな切通しを過ぎると、家々が見えてきます。そこを通り過ぎて砂利道をちょっと行ったところに4枚の田んぼhttps://picasaweb.google.com/100960978849891229478/201102#5647384668902460130が並んでいるのです。向いの山に本格的な農道が構築されていて、kenkouの森という複合施設があります。確かな情報ではありませんが、sakata地区でただ一人自家米をつくっていたTさんが今年から田んぼをやめるみたいです。いつもならとっくに姿を見ているはずなのに見えません。田んぼが動いておりません。いよいよわれわれだけなのかという感じです。ちょっと前までは、自分だけでひっそりと田んぼがやれるぐらいに思っていた過疎化ですが、実際に誰もいなくなってしまった田園地帯は寂しいという次元ではとらえられないくらい大変なことなのじゃないかと思いました。世代交代などということを言いたいのではなく、自分が50才を越えたせいなのか、若い人がいるということ自体が人の生活には必要不可欠なのではないかと思うのです。
sakata地区に入ると最初にある家のおばあちゃんが、家の前でちょこんと坐っておられて、ちょうど村田住職といっしょに軽トラに乗っていたのですが、住職が「あー待っとるわ」と言って、車を止めておばあちゃんに声をかけました。彼女は「まだ生きとるわいねえ」と言いました。ちょうど、車中でこれから徐々にではなく、いきなり古老たちが消えていくという話やこういう田舎に暮したい人の家の話題、それにNPOでもなんでもいいから、きちんと経済的基盤を持って暮そうとする若い人の話をしている最中だったので、会話はどうしても地区の将来みたいな話になります。昨年急死された方がおられて、彼女はいろいろ世話になったり、風邪をひいていたその人にご飯やら細かい世話をされていたそうで、息継ぎすることもなく、ずっと一人暮らしで自分の話を聞いてくれる方もおられなかったのか、喋り続けます。印象的だったのは、しみじみと「人の世話をするのはむずかしいと思った」と何度か言ったことでした。
過疎化の問題ではなく、一人のさびしそうなおばあちゃんが目の前におられました。田んぼ仕事はsobakiri jinさんと村田住職の3人ですばやく終りました。トラクターも機嫌がすこぶる良かったです。いきなりあらわれた鍬にオケラやミミズやアオガエルや名前のわからない無数の虫がおどろいて必死になって逃げました。午前中は太陽がさしていて、天気予報による情報に反して、暑いくらいでした。午後は天気予報どおり雲が広がりましたが、太陽もちょこっと出たりして、ちょこっと暑かったです。夕方にはトラクターを運転する村田住職を一人おいて、明日のためにyoromiばばなき田んぼhttps://picasaweb.google.com/100960978849891229478/201102#5609907193635282626の草刈をしました。しまい際に夕日が田んぼの水面に反射して、一日温められた水を揺らしていました。水面にはまわりの雑木や空や雲が移っていました。水平であり鏡でもあります。やっていることは機械の仕事量が幾何級数的に増えた以外は、千年前と同じなんだ。と思いました。こうした仕事が10日以上続き、月末の田植え、その後の除草と来月中旬ぐらいまでは田んぼ三昧になります。



0 件のコメント:

コメントを投稿