2012年5月25日

シロカキ。(3)

ネムさん。
お昼直前に雨が降ってきました。昨日までとは違って、寒かったです。トラクターの進行に引っ張られながらシロカキを終えました。お昼早々に撤収して、風呂へ入るとsouruの父ちゃんのネムさんがおいでました。火を炊くのが大好きなネムさんはくりやのまきストーブで火を炊いていました。そばにおりたくて近寄りました。新さんや大阪のakasakaさんもネムさんにつかまって、souruとともに雑談をいたしました。人の写真を撮るむずかしさから始まって、一体一になることの快楽までいろんな話をいたしました。最後は能登半島一帯の古さに雑談は統一されました。明日ネムさんが行く予定の舳倉島の話から、海士町の話、京都や東京から隔絶されてあり、尚且つ、どう考えても地理的に見て、中国、朝鮮との抽象的近さを持つ、というか持たざるを得ないこの地の古さについてであります。おもしろかったです。アラスカなどの独自の文化を持つ世界中の場所をカメラを抱えて対象に迫ってきたakasakaさんにネイティブとしての海士町文化を説明していると、普段はそんなに整理されて考えているわけでもないのに、自分が普段思う以上の魅力が海士町から湧き上がってきます。無論、住んでいる人の話なのだが、話はそこだけにとどまらなくなるのがおかしかったです。土地そのものの思考というか伝統というか、なんというか、匂いというか、。
いつの間にか、ヒッピー(この呼称はワケのワカラナイ若者たちをマスコミが流行語の範疇に彼らを押し込めて安心しようとして名づけたらしい。ワケのワカラナイ渦中の彼らは人に説明する場合自分たちのことをフリーク(カタワ者)と呼んだらしい)の話になり、その世界では高名な人の話にもなり、世界的な詩人ナナオサカキが能登半島の不思議な古さを尋ねようと役場に電話をしようとしたネムさんに、「そっとしておこう」と言ったという。密やかな楽しみ。でもあるし、言葉にすることによって、微妙に意味名指されたものから遠ざかってしまうような気もするし。私の能登などと思ってしまうと、いきなり能登半島そのものがイメージの中に閉じ込められてしまう感じ。そっとしておけなくて、つい浦島太郎のように気がつけば、老人になって、かつての名指し、意味したかった頃の私がもう二度と戻っては来ない感じ。どんなに繊細に扱ってもダメなんだ。
それでも私が名指し、意味したいのは、自分が立っているこの土地(ほうら、すでにズレている)場所、足の裏を支えるこのここ。疲れた身体が少し癒されました。ネムさんというのは、そのような力を持っている人なんだな。

yoromiT商店裏1

用水路にフタをするように置いてあった材木に刈草がつまって、用水をせき止めて田んぼの中に勝手に水が入ってしまうために、水の出し入れを全くコントロールできなかったのが、材木が燃やされてなくなり、コントロールが可能になった田んぼ。でもコンクリートのユウジコウの下から水が入ってしまうのでした。原因不明なり。
souruと新さんが入っている田んぼはyoromiT商店裏2  
田植えしました。

yoromiT商店裏2


yoromiT商店裏3

アゼが高く、固く、モグラの穴が皆無の田んぼ。持ち主のT家のご先祖さまが勤勉かつ篤農家だったのか。

水を深く田んぼにはるほどに元気なコナギ。もう発芽しています。葉っぱはハート型。


移動するjusai 。 新さん撮影。

ばばなき田んぼ2

ばばなき田んぼ2


Sさん田んぼ(谷内)

ちょっと林道に入るので、ついつい忘れてしまう。


tajiri田んぼ


小さい。こんな小さな田んぼ止めましょうというと、村田住職がこの田んぼはかなり苦労して試行錯誤した田んぼなんだと言った。





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