2012年5月23日

シロカキ。(2)

今日は順番として、シロカキの日。シロカキをして、次の日に田植えをして米ぬかをまくということになってはいるのですが、一度荒起こしをていねいにしてある田んぼの仕上げシロカキですから、田んぼどうしが近いロケーションにおいては、村田住職オペレーティングのトラクターも明日田植え予定の田んぼを午前中に仕上げてしまいます。ですから、genさんは明日の負担を軽くするために、今日のうちに、yoromi銀座田2の田植えをすませました。
大学卒業後、瞬間的に会社勤めをしていたことがあって、そこは零細工場にもかかわらず、ビジネスかぶれの婿養子が会社の実権を握っていたせいもあって、横文字の活動が盛んでした。なかでもQC活動すなわち、クオリティコントロールを社内に蔓延させようとして必死でありました。一人一人の微細な動き、何気ない動きにまで意識の網の目をかぶせて、どのような無駄も省いて、利益増大につなげようという浅はかな思惑です。そこには徹底的に大切なことが無視されていたように思います。システムを何よりも優先して人はそうしたシステムの一員であるに過ぎないことを、天から命令されたわけでも、意識の進化によって実現されたわけでもないのに、絶対的に容認するという姿勢であります。あまりにも無邪気すぎる。と思う。個人の構築の歴史が長い西洋人と違って、われわれのような感情的な人間にとっては、無理がありすぎる。日本国じたいが、そうしたあいまいな国家感だけを日々、育てているだけなのではないかと。思うのですが。


あれま、ズレた。ラクになることを真剣に考えてもいいんではなかろうか。昨日やっていた決まりのようなものが、今日ころっと変わってもいいんじゃないだろうか。そうした決まりがスムーズに実行されるために仕事をやっているのではなくて、決まりそのものが、どうしたらわれわれはラクに生きていけるのだろうかということを、必死になって考えるスペースのための途中経過に過ぎないと思う。どうなるのかわからないのだから、私という自意識は肥え太るのではなかろうか。そうした意味で、意識というのは(現在は自意識という体裁をとらざるを得ないのだが)天からのさずかりものであり、同時に自ら進化を遂げる可能性を持つ不思議なものとしてあると思うのです。

てなことを考えて田んぼをやっているわけではありませんが、ふっと思うことはあります。

yoromi銀座田1

苗箱  明日genさんに聞きます。
yoromi銀座田。
yoromi銀座田2

人が一人増えるだけでこんなに違うものか。例年3人でやっていたのが、souruくんが加わってくれたおかげで、午前中(pm:12:45終了)にシロカキどころか、一枚田植えをすませてしまったのだった。v(=^0^=)v

夕方撮影。
神社前田1

トラクターがはまりそうだった箇所。(記録用画像)
神社前田2

トラクターがはまりそうだった箇所。(記録用画像)
神社前田3

田んぼからの脱出。左 genさん。 右 村田住職。ほんとはオモリがついていたのだが、紛失したまま。買えよ^^。


神社前田3枚。右より1~3。
   追記
村田住職によると、 どうも、米ぬか散布によって、田んぼがどんどん深くなってきているらしい。それで来年からは神社前田3枚は荒起こしを省いて、いきなりシロカキをしようということに決定。


Sさん田んぼ(自宅前)

暗いぞ。_(._.)_ 




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