今日は神社前田1からSさん前田2枚、そしてTsyoten裏3枚へと移動しました。
Sさんの姿が今年は見られない。いつも夫妻で家のまわりの畑から少し離れた畑を徒歩や軽トラにて動きまわって仕事をされていたのですが。一昨年までは田んぼも何枚かやられていて、林道の奥までていねいに草刈をされていたのです。自分の土地と他人の土地という区分けは、想像以上に明確に持たれているのでしょうが、与呂見の地や水や火や風の中にいて、なにかを栽培する以上、もっと言うならば、同じ用水を共有せざるを得ない田んぼをやっているからには、そうした自分のと他人のという境界はあいまいになるのは、より自然なことと思います。奥さん一人でちょこちょこと動いておられます。与呂見で一番いい伏流水と自慢する水辺のある敷地内に誘われたことがありました。暑い日でした。水辺にはビンビールが冷やされてありました。飲みてえと思いましたが、水だけでした。姿が見えなくなって、はじめて、Sさんを感じました。農道にも、畑にも、もちろん家のまわりにも、倉庫の中にも。
こうしたことを夢想していると、今はいっている田んぼは誰のものかと思い至ります。不動産としての所有は農地ですから厳格にあるのですが、そうしたカテゴライズが意味をなさない空間として与呂見地区が浮かび上がります。そうした時、しつこくつきまとうカラスもミステリアスな友人のように感じます。田んぼのまわりの草を刈り、アゼを点検しながらただ、踏むという単純なことをただ、繰り返していると時間の感覚も揺らぎます。ただ太陽が昇りただ太陽は沈んでいくだけ。そしてそうした一日をこれから繰り返します。毎日、今日もまた田んぼに入るのかあと思っちゃいますが、入るといつの間にか、そうした空間に入ります。妄想といえば、妄想には違いないのですが、わたしが立っているのは、確かにふにゃふにゃしたドロと水であることに気付けば、そうした妄想は永遠ではありません。わたしがいてはじめて成立するわたしだけの妄想であります。そしてわたしは有限でありますから、妄想自体は永遠であります。そんな気がするのです。
言葉が消えて、はじめてその言葉が意味していたものが実現するのでは、というような感覚です。くたくたではありますが、眠れば、休めば、必ず消えてくれる肉体だけの疲労であります。とはいうものの、はよ終らせたいと強く思っておるのも事実であります。田んぼは機械のオペレーティングをのぞいて、それほど難しいものではないです。誰でも、すぐにできます。ただ、田んぼという美しい規範のもとに時節に応じてやることをやらねばならない。そうした仕組みを生み出して、尚残してくれてきた先達に感謝するばかりです。(んでも、はよ終らせたい)
S家前田
用水の真上にハザ(天日干しの際、柱として使用する栗の木などの防腐食、耐水効果の高い木々を使った長い棒)が置いてあって、下に刈り草がたまってしまい用水をせき止めてしまうために田んぼに入る水を止めることができなくて、いつも水がかけ流し状態のために稲の姿の美しさほどに収量が見込めなかった。が、昨秋、田んぼにてそれらを燃やしておられました。そのため、水をコントロールすることが可能になって、今秋の状態が楽しみです。
T商店裏田
この水系の田んぼは土がいいのでしょう。基本的に何をしようが出来がいいです。水系や個別の田んぼによって、これほど収量や稲の様子に違いがあるのかと思うのですが、もしかしたら、長年受け継がれてきた田んぼですから、先達にもピンからキリまでおられて、上手下手や勤勉ナマクラの違いが千年単位になると田んぼの資質に大きな違いがでるのかもしれません。ちょっとした手入れというか、気遣いがのちのちひびいてくるのかなあと思います。
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