2012年5月1日

リアルじゃないところで生きたことがないんじゃないですか。

毎月一日は、一日中坐禅をする日となっているのですが、ストイックに坐る方があまり来なくなったせいか、それぞれのスケジュールにて坐ったり坐らなかったりと、とてもゆるい状態になっております。
正法眼蔵の勉強会やら(jusaiは別に準備することはないのだが、)待ったなしの野菜苗のたねまきや移植定植などやら連休後からいっせいにはじまる田んぼ仕事のための田んぼまわりやらと、気がせいていて、今日はそちらを優先しようと思って朝、昨日の残りの仕事を片付けようということになり、村田住職も坐らないんだなと勝手に思っていたら、足元を見ると靴下をはいていなかった。さては坐るのかと、尋ねると「勉強会の準備をなんもしていないから、今日はこもらにゃ」と苦笑いをしていました。
やっぱりjusaiは坐りたくなかったんだな。という負い目からか、今日は畑を右往左往しました。長ネギを定植しながら、サトイモのことを考え、サトイモを定職しながらショウガのことを考え、ショウガを植えながらパプリカやピーマンや長ナスやピーマンのことを考え、腰がいてえと言いながら、坐っているよりはマシかと思いながら、以下同文。
目の前のことに集中していることが一秒もない。畑仕事に追われているという感覚は決してイヤではありません。というかそんなことを考えるヒマもありません。さて忙しいのは誰なんだ。定植や移植が一日おくれてもたいしたことはないのだが。いったい誰が困るんだろうか。誰のどの部分が困るのだろうか。
激務のサラリーマンや都市生活者の方にとってはなんちゅうバカで甘えたことを言っているんだという感じでしょうが、誰からも指図なしに自分のスケジューリングだけで日々を送っている者のことも少しは思い馳せていただきたい今日この頃であります。ですから話は戻りますが、畑仕事に追われているというのは、時間ではなくて、時季に追われているわけで、とどのつまりは太陽の運行に追われているということでありますから、イヤとか嫌いとかいう次元とはほんの少しズレているように思います。
以前、来客の方にjusaiが「リアルを求めるという意味がわからない」と言うと、「リアルじゃないところがあるんですよ」と怒られたことがありました。

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