2012年3月24日

金沢大学の周辺で。

 年度末で、金沢大学の学生街は新入生の父母がかいがいしくわが子のために荷物を運んでいた。十分なことをできる父さんおれば、なんとかやりくりをして節約してやっと少しぐらいは仕送りをするお父さんもおれば、私のように奨学金やアルバイトでほぼ自分でやらせるしかないお父さんもおるだろう。何の心配もなく勉強や技術の習得にまい進できる子供もおれば、全くお金のことを心配なく勉強などができる環境にいるのにもかかわらず、遊んでばかりの子供もいることだろう。
私自身、何の心配もなく大学へ行くこと自体が当然のように育った者だから、何をか言わんやなのです。
しかし、いっせいに、みんなが、同じように動かなければならんのはなんとかならんか。もっと時季が一人一人違ってもいいのにならんのか。せまい国土の上に市街地がただでさえ狭いんだからみんないっせいってのはやめてくれ。
原発の安全に対して、原子力安全委員長と経済産業大臣のコメントがむちゃくちゃわかりにくいが、顔を見ていると責任をなすりつけあっているのだけははっきりとわかった。心配なのは、彼らがなすりつけあっている責任の中身がどちらにも見えていないのではないかということだ。まあ大丈夫なんだけど、で始まるのと、ちょっと心配なんだけど、で始まる議論はまったく違うと思う。
こんなのありえないくらい危険なんだけど、経済が立ち行かなくなるから原発を動かしたいのだが、と言えばいいものを、絆やいのちという言葉を乱発して原発を動かさないと日本がダメになるみたいにもっていくのはダメだと思う。核を扱うということは大変危険なことなのだというところから始めてほしい。情緒的なことと技術的なことをわけて考えてほしい。
ただ、放射線に対してはどのような態度をもってしても、やっぱりこわいとしか言いようがない。これは情緒的なんだろうか。
 娘に父ちゃん、金ないんだ、と言うしか手がないのだった。

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