2012年2月18日

「へなま」の意味について

風邪をひいてしまいました。全身だるく、喉が少し痛いです。これぐらいの中途半端なか風邪は、ふだんならば怒ってしまうようなことにも怒る気力がなくなってむしろ平和です。これくらいの思うようにならないがいいです。能登半島の丘のような山、用水のような川、雨も風も人も中途半端で好きです。

【奥能登の研究―和嶋俊二】よりhttp://jusai123.blogspot.com/2012/01/blog-post_18.html
奥能登の農山村の各家庭で、個々に行われるその祭儀は、まことに繁簡区々であり、そのいわれや伝承についても異同が多く、いずれがその祖型なりや否やは容易に見分け難い。その点、皇室は日本の大家(おおやけ)として千数百年来(文献上の初見は清寧紀二年、厳粛に神秘的に行われてきたものである。それにしても応仁の乱で絶え、二百有余年を経て東山天皇が徳川幕府の援助を得て貞享四年(一六八七)復活されて今日に至ったものであるという。研究者の中にはこの大嘗祭空白期間がなんとも大きな痛手という。これに対して奥能登の「あえのこと」は、国家神道や荘園領主・武士などの政治権力の統括統制を受けず、ひたすら農耕民としての敬虔な信仰を、素直にうけついできたもので、ここには父祖の気持ちが生きており、それを通して日本人としてのアイデンティティーを自覚することができると信じるものである。

当地であえのことは必ず、絶対に二ユースで放送されますが、ものごころついてから最近まで笑ってばかにしておりました。N家の当主以外にもこの神事をなさっていたお宅もあったのでしょうが、いつも裃をつけておおげさに見えもしないものを12月に招きいれ2月に田んぼに送り出すのを見て、こいつバカじゃないのかと思っておりました。ごめんなさい。あやまります。確かに見える妄想を具現するのと、まったく見えないものを見えないままにしておくこととどちらが非科学的なことかと思う。古い行事を我々のこざかしい大脳新皮質だけで見てはいけない。古い行事の最たるものは、方言そのものではないだろうかと思う今日であります。

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