私がもっとも嫌うのは方言をそのままひらがなで表記した一節だ。方言とは先人達の血をと汗の結晶が現在を生きる我々の場所で花開き続けるナマモノなのであって、どのような書き言葉でもそれそのものを表記したことにはならない貴重な記録そのものなのである。我々が民俗学的にあるいは博物学的に収集できるようなものなのではなく、我々そのものがそれによって表現され続けている、あまりにも具体的で本物すぎるが故に表現するという傲慢な行為をゆるさぬ聖域に存在するものなのである。
方言を一字一句そのまま未来に持っていこうと言いたいのではなくて、自らの言語空間の輪郭を破壊するくらいの覚悟を持たなければ未来は永遠に変わらないと言いたいのだ。方言をそのまま商品のコピーやネーミングに使用することは自らの出自があからさまになってしまうというくらいの覚悟がいる行為なのだ。
資本主義に対等に向かうことのできる制度が消滅してしまった現在、資本主義を外から客観的に見ることのできる場所がないという事実を忘れないでいたい。そして、方言の生きている空間がいいのか悪いのかという話しの前にとにもかくにも一度たりとも途絶えていない歴史そのものがあって現在の自分が立っている場所そのものを探っていきたい。
暗いが、モノトーンではない。色を持つ空。 |
与呂見地区中心部。音だけではなく、色も吸収してしまう積雪であります。 |
本気でやってください。 |
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