2011年12月5日

大阪へ

前略
娘の住まい探しのために大阪にゆく。
12月4日午前3時出発。冬型の天候にて風雨強し。誰も走っていない能登有料道路をひた走る。
アサヤケに合わせて北陸自動車道より名神高速道路へ侵入。裏日本から表日本へ。大阪に入るころにはポカポカ陽気。いつも思う、こんなに対照的なのかと。
新大阪駅付近に入るといったいどこをどう走ればいいのか見当もつかない道路が上下左右前後に広がっている。隣りの娘がへんな看板を見つけても、あれ何だろうと聞いてきても視野は狭いところを凝視しそうになる。狸やネコだけを注意していればすむような慣れた道からいきなりこれはないだろうと思う。
中略
不動産屋さんの担当者の人のたくみな段取りの後をぺらぺらと言葉をつなぎながらくっついていく。
全部で7つの部屋を見る。部屋の諸条件をできるかぎり見ようと思うが何一つ凝視できない。とにかく明日の朝返事しますからとスケジュールを終える。駐車場のマイカーを予約したビジネスホテルに運ぶ道順が不安で不安でしかたがなく、帯同する娘にここを右にいって左にいってこうだよねとだよねを連発。娘が予想以上に感がよく助かる。
後略
12月4日PM7:00 ホテルに到着。イケメン不動産マン オオノちゃんありがとうございました
ホテルにて今日のセッションを振り返りながらずさんなメモ書きだらけの物件情報のコピーをカルタのようにベッドの上に並べる。娘にどれがいいと聞いておきながら、娘がやっぱり私はこれがいいという物件のコピーを押さえて、だよねと言う。部屋で一服できないので地下駐車場まで降りて吸う。扉が開くとちゃんと灰皿が備えてある。俺の意図などちゃんと読まれていてすがすがしい都会の配慮。
12月5日午前9時バイキングの朝食。新大阪駅前の安ビジネスホテルのレストランの窓際の席で娘と向かい合わせにて食う。幸い朝からのカレーはテンションを上げるのに最適だというキャンペーンのおかげで何を食うか考えなくてすんだのだった。食後の一服を地下駐車場のエレベーター前で吸う。
今日は月曜日 街の空気が一変 街が働きはじめる
すでにホテルのクラークが一人ケイタイを触りながら一服こいている。ここでは客とホテルマンではなく二人の同人なのである。週明けのビジネス街のざわめきが新鮮で心地いい。契約をすませてもう一度決定した物件を見てから帰路につく。
北陸自動車道 金沢東付近 シェルタリングスカイ
帰りは来たところをそのまま戻り無事に高速に入る。後は信号もなくただアクセルを踏むだけでいい。われわれはいつのまにか灰色になった景色の中を走る。車中はほどよい騒音と振動のおかげで深くも浅くもない話をすることができる。ただハンドルをにぎり、ただ思いついたことを話す。
北陸自動車道 安宅PAのトイレより撮影 展望台寒いのでここで
12月5日午後6時、無事に輪島に入る。まだおれの心は大阪においてきたままだぜ、ここはまだ大阪なんだと詩人面するも娘は返事のしようがない。まるで宇宙から帰還したふるかわさんのようだとダメ押し。ぜんぜん次元が違うけれど構造はおんなじなんだとさらにダメ押し。なんか言ってくれるとだよねと言えるのに。
名神高速 草津PAにて買ったアンパンが関西への郷愁を誘う。
今後のお金のことを考えるばかりのおれの心はおれのだいすきな北陸の暗い冬とおんなじなんだぜと娘には言いたい。往年の明大野球部監督島岡さんのようにおれの心はおれに「なんとかせい」と言うしか手がないのであった。(ちなみに島岡監督は全くの野球素人で応援部団長だったと記憶しております)

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