2011年5月10日

田んぼの記録3


田んぼの大きさは田んぼに入って感じるのと田んぼの外から感じるのと全然違う。また、入ったとしてもその広さをなかなか実感できない。トラクターの耕運時間とか田植えに使う苗箱の量ならば確実にそれぞれの田んぼの大きさを比較することによってその広さを確かめられる。だが絶対的な大きさは主観を通したイメージでしかわからない。不確かな私という場所における具体的なスケールを持たない、いわば言語のようなものであるような気がする。
今日入ったのはタグ風に言うと神社の前、与呂見地区のメインストリート ばあさんが泣くほど全長が長い などといったものか。独自の歴史を重ねている一枚一枚の田んぼの画像を付けたとしてもそれらの世界に一つだけの田んぼそのものを表現することはできない。
テキストという言葉の意味を確かに知りもしないのですが、なぜだか興味を持っていて、何とかPC上で軽く動くTEXTという単語とごちゃまぜにして田んぼの自慢ができる日がはやくこないかと、ただ考えるだけの状態がまだまだ続きそうだ。田んぼに入って仕事をしていて、こんなことを考えているわけではないのですが…。延々と同じ動作が鍬とともに続きます。
でも、しつこいですが、それぞれの田んぼの千年の歴史は全く違うということを言いたい。


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