2011年5月9日

田んぼの記録2


与呂見地区から車で10分くらいのところにある坂田地区の4枚の田んぼを耕運しました。10年ほど前には10枚ほどの田んぼで米づくりをしていました。当時、砂利道の農道が舗装されてハイウエーのようです。
坂田地区の4枚の田んぼの用水歩いて5分ほどの川から板の堰で水をせき止めて用水にもってきます。用水域には何枚も田んぼがあってかつてはその全ての田んぼがその用水を頼っていたのでしょう。今は流域には我々の田んぼしかありません。従って自由に使えます。同時にその用水の管理を本当は自分達がしないとだめなのでしょうが、いまだに坂田地区の方々のおかげでせいぜい用水にたまる落ち葉や枯れ枝をのけるぐらいしかできません。だんだんに人が減っていき、将来はいったいどうなるのだろうと漠然と思うだけで、とりあえず今年も水があることを当然のこととして田んぼにふんだんにある水を入れてトラクターで耕運をはじめました。畦を手入れしながら見る小川の土手にはワラビが見られのどかな田園地帯が広がっていますが、小川の中洲には柳の木が生い茂りほんの少しの増水でも川の蛇行する箇所では簡単に田んぼにまで水が入りそうで心配です。そうしたことが無いように坂田地区でかつては村民総出で危険な場所を川や用水だけではなく山や畑や道路の全てに目を光らせて将来の想定外の事象に対して備えていたものと思われます。
個人を制限するメカニズムが用水というはっきりと目に見える形で水となって田んぼに流れてきて私たちのご先祖さまはある一つの時代を作ってきたのだろうと想像します。おそらく千年単位で続けられてきたであろう坂田地区のようなコミュニティーが日本を形作ってきたのだと思いたい。想像したい。証拠がないけれどそんなことを体感できるのが田んぼ仕事の醍醐味です。こんな妄想をこきながら、ただひたすらに畦を塗り田植えに備える日々が当分続きます。



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