2013年11月27日

臆病を選ぶ。

 私の親世代以上は、戦争体験があり、戦場体験もあった。戦争の恐ろしさを知っていた祖父の話はいつ、聞いてもおとぎ話のようだった。中身は残酷なのに聞いているこちらの方が想像できないことだからかな。いつもふつうの日常の上で残酷なことは限定されていたからかな。かなりリアルな戦争映画を見ていると、残酷な出来事のわきで揺れている木々や草花を不思議に思ったりした。戦争は経験したものでないと、その残酷さがわからないのだと思う。どこかで、中枢神経をやられた麻薬中毒の人の精神状態を想像してしまう。いきなり前と後の状況が変わってしまうことが、まったくわからない。まさか。まさか、。こうなるとは思わなかったと思うに違いないのである。
これからは公然と秘密をつくるとする法律が衆議院を通過しただけで、邪悪な国家妄想ふくらみ過ぎと言われてもいい。とにかく、日本が戦争にまきこまれないように、戦争を起こさないように、アメリカの手伝いで戦争をしなくてもいいように、へらへらと金だけ出すばかな国と揶揄されようが、とにかく戦争だけはやらないんだと言い続けるように。祈りたい。
 
福島原発のこと、気象のこと、地震のこと、中国のこと、韓国のこと、考えることがたくさんありすぎて頭がついていきません。

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