2013年4月13日

いっしょうけんめいなどと言うレベルを越えて。

野良仕事ほどセンスを問われるものは無いと思われる。試験の答案用紙のように標準的なアクションがあるわけではなく、数学のように絶対的に正しいと思われる答えも無い。右と左だけではなく、上下などの方向が加わる3次元の壮大な宇宙が舞台だ。
 器用なだけでは美しくない。仕事ぶりは。否、たとえば田んぼの畦塗りなどは結果が出ると同時にその過程の美醜もばれやすい。この観点からすれば、わたくしなどは仕事ぶり、すこぶる無様にて、結果は見事に美しくない。
 だが、このような者が絶望的なわけではない。苗代の長い畦を触っていると、土質や雑草たちの種類の違いによって、スムーズに仕事が進む場合と、もう泣いて帰りたくなるほど足腰に負担をかけてくる状況が交互に反復する。そして、太陽のあるなし、風のあるなし、現れる野生動物たちの種類によっても感情というか自意識は一瞬ごとに変化する。かてて、加えて奥さんとの小さな(だが夫婦間の問題としては小さくない!)けんかのことを回想したりして、まことにドラマティックで忙しい。田んぼ仕事では単調な反復が多いので、(というかほとんどが単調な反復だ)基本的にトランスしやすいことはしやすいのだが、それを越えて喜びも又、現れやすいのだ。
 目の前の一つ一つの手間をしっかりとし続ける。朝から晩までと考えると、まことに嫌になることの多い野良仕事だが、そうしたことを考える自分をまずはほっぽり出すことができれば、これほどダイナミックな仕事はないんではないか。むろん、自分をほっぽり出すなんぞ考えたらできやしない。が、可能なのである。と言うより、誕生以来、常にワタクシたちは自分なんぞというものを持ったことなど1秒も無いのである。出会う人やモノなしには自分なんぞ、事実として無い!
 秋まで無数の行程が控えていて、ウンザリもするのだ。しかし、秋は無いのだ。なぜならば、ひと手間ごとに刻んだ時間が秋なのであり、私ですら、一秒でも留まることができない時間なのだから。

苗箱摩天楼2013。880枚。種まき終了。

左 murata住職 中 sobakiri jin 右 gen。苗代田2013


tokyoの個展から帰宅。ひさしぶりです。fukuda sumikoさん。

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