2013年3月18日

スピーチ。

 明日、小学校の卒業証書授与式が、三井小学校で行われる。この一週間、PTA会長としての祝辞の原稿を考えてきたのですが、どうも、私は自分自身のペースで盛り上がらないと、どのような対象に対しての言葉も浮かばないらしい。うーmm。まどろっこしい言い方だ。超アガリ症で、ほとんど病気である自分は、自分というものが中心にならないと何も話す気がしないのである。小学生に対してなのだから、わかりやすい言葉で、小難しい修辞を避けて文章を考えてきて、思うのは、原因であるアガリ症があって、自分というものが中心とならざるを得ないのではなくて、ま逆で、自分というものを中心に考えるからアガッテしまうのではないかとということである。とても、とても、弱い自分だから他者を恐れるのではなくて、自分というものを強固に守ろうとするこの状態は必然的に私を侵害する他者の存在が不可避なのであって、その結果として強いものと弱いものという二分法的な筋立てを自動的に妄想してしまうのである。と思うのだが。
 今日は、最終原稿を小学校5年生の末娘に見てもらいました。まあ的確というか、どんどん、私がもっとも気にいっていた節を省いていきました。これいらない。これもいらない。最後に末娘にむかって読んでみると、それらの節が不要であったこと、文と文が見事につながっていることを体感したのでした。それでも、まだまだ、いらないのが多い。というか、全ていらないような気もします。でもあんまり短いのもなあとも思います。自分のもっともええなあと思ったことが、もっとも文章の流れを阻害しているとは!。きっと、子どもたちはおれの気がつかないところに反応するんだろう。なにこのおっさん、あせってるんだよと。(涙)

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