2013年2月27日

雪漠。

 今日、午前中は陽もさして温かった。真昼から夕方にさしかかろうとした時、温い雨音がしてきた。窓を見るとしずくが屋根からおりてくる。ああ春だなあと思った。夜、小便をしに外に出ると、月明かりの下に砂漠ならぬ雪漠がひろがっていた。北斗七星がうっすらと見える。PC漬けの目のせいか、ぼんやりとしか見えないんだ。気温がもっと低かったら、結晶が凍ってキラキラとしているのだろうが、積雪ものんびりと横たわっているようで、安楽な感じがした。雑木山もつぼみが膨らみはじめているに違いない。なんだかふっくらとした輪郭で風景を覆っている。空が高いなあ。と思いました。
 三月が近づいて、せわしくなってきた。統合問題もいよいよ、明後日、教育委員会と直談判だし、日雇いの予定も入ったし。よろみ村通信もあるし。過去の通信を、再度入力している。なんとも、いいかげんなのだが、過去のテキストファイルが全く無いのです。ひまつぶしと言われそうだが、私はよろみ村通信の賛成派なんで。くだらねえなあと思いながらはじめたのだが、なかには新たな理解を与えてくれる文章も結構あって、いつの間にか読んでる。すでに死んでしまったitayaさんやhirota emikoさんの文章はほんとうに面白くてためになるという感じです。自分のは
ちょっとつらくて読めません。が入力はします。なぜこんな言い方しかできんのか。なぜ、すべてを人のせいにしているのか。我慢して読んでいると、決して意味のないことではないと思います。
 書いた人に対する先入観でしか読めないのだなあと強く感じます。いいわるいの基準も、明確に持っている。それはかなりの驚きです。文章自体は、書いた本人から自立しているにもかかわらず、自分の理解を書いた人に返している。もちろん私の中にある書いた人です。私の中にあるその人と本人自身(なんと言ったらいいんだろう)は違うのですが、書いた本人自身も自分自身に対しては他者でもあるんですから、結局、いいも悪いも、決めようがない。事実は藪の中です。
 私がいいと思える通信原稿は、書いた人の残像がまったく感じられない、文自体が自立した文章です。書いた人はなんでこんなものを書いてしまったのだろうと思ったに違いないのです。

追記

 よろみ村通信原稿募集中。

  年齢、性別、氏、素性、等々一切不問。

   yoromimura@gmail.comあてに必ずテキストファイルで送ってください。マジです。

  締切は3月10日。

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