2013年2月20日

つねに、原発事故後。最短で300年間。最長で2億年。

組織っちゅうんですかね、目に見える部分が、何かをやろうと決めた時にその何かは発表されるんすかね。これをやろうとおもうんだけれども、どうだろうかと、決める前に発表されるっちゅうこともあるんすかね。どっちが多いんすかね。
 民間の私利企業と、人の金をあずかって運営している、たとえば、地方公共団体では違うだろ
うし。何かを本気でやろうとしているのが組織の目に見えない部分に属しているとなると、どちらにしても、それはあんまりよくないんじゃねえのという声は届かない。すでに目に見えない部分に沿うようにして、利害関係者からうごめき始め、中間にもろもろのものをとりこみながら、最終的に多くの目に見えない人たちの無言の声が、何か、の全体をゆるやかに覆う。それ、おかしいんじゃねえのは、不思議にも緩やかな幕に覆われたこの、何か、に必ずたどりつく。
 さて、目に見えない部分っちゅう言い方はあまりにも抽象的ですね。これが最大のなぞですね。それ、やめてほしいなあが、増えるほどに抽象度が増していく。これはかなり怖いことですぞ。この部分は目に見えなくなって、しかも無くなりそうもない。(決して、放射線のことを言っているわけではありません)何かをやろうと決めた人物や団体が仮にあったとして、彼らのコントロールの範囲さえ、越えてしまうんですから。コントロールできる意思はこの世にはほとんどありません。地球外生物はこれに全く興味を示さないでしょうし。
 何事も起こらず、よりよく機能する、何か、がほとんどで、そうした事例はとりたてて、騒がれることもなく、ふつうのこととして日常を形成していることと思います。問題は、問題がありそうだと騒がれた、何か、です。致命的なことがあった時に目に見えない部分の不気味な意思は、いろいろな場所で試験紙に反応するようにして出現しております。いまだに放射線が放出されている状況を見ないようにしているテレビなんぞ、その最たるもんだと思います。(あれ、放射線のことをいいたかったわけじゃないんだが)

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