2012年11月11日

炭焼きの火入れまであと7日。

炭焼き委員会。
 mii小学校の炭焼きの初期を知る、asami先生が来てくれました。PTA活動自体、引き継ぎがマニュアル化されていないので、(こうしてこうすると紙に書いていない)、前にやったことがある人が重宝されるのだが、今回の炭焼きに関しては、みな初心だ。

資料はこのファイルだけ。じっくり読むが、うーmm。
asami先生に、いきなり言われる。「nishikawaさんは、確か、知っていてもおかしくないですねえ。あっ、でも炭焼き委員会に関係なかったら、わかんないですよね」天罰じゃ。末娘の上、3人の兄、姉たちの時も炭焼きはあったはずなのだが、ぜんぜん、なんにも覚えていない。言われたことを言われたとおりにやっていると、記憶も浅はかで美しくないものだ。んでも、asami先生に言われたのなら腹も立たない。一生懸命だったもんなあ。炭窯の前で、テントを張って、一週間学校との間を往復したとか、いろいろ伝説がありました。(今日、本人の口からそれらはデマであると証明されました)
業務用掃除機だけが頼り。

ホース延長。手造り。そこらへんにあるもので。(基本)

左から  kakida先生 tsugumiさん asami先生 taniguchiさん。
 前出の資料を見ていてもちんぷんかんぷんなのですが、ただ、PTAのまとまりと、テンションには年代によって相当な差が出ているのが感じられます。やはりPTAをリードする執行部の質と量が学校行事の成否を握っているのです。炭焼きというのは、失敗と成功がわかりやすい、とても厳しい行事です。
 炭焼き委員会のtaniguchiさん、tsugumiさん、学校からはkakitaさん(学校のカギをもってきてもらいました)、ukawa小学校勤務のasami先生、それにjusaiの5人が集まりました。少々、内向的な執行部ですが、asami先生の参入で、引っ張られました。エントツのつまりをなくす作業で、ほとんどが終わりましたが、炭焼きを愛する(ほんとうに、本人がおっしゃいました)asami先生が、学校の垣根を越えて、終わりまで付き合ってくれそうなので、こころづよい限りです。
 
左 asami先生 右 taniguchiさん。エントツの前で。(窯側)

手が届かない、見えない場所を触るのは大変だ。エントツ(外側)


 asami先生が、エントツ掃除を終えても、残ってくれて、今度は焚き口の作り方や、炭焼き中の薪の投入方法など、実技を交えて丁寧に解説してくれました。完全には覚えられませんが、一度聞いたことのあることは、理解も速いだろう。それにしても、知らないことを知らないもの同士が伝え会うというのはなんと困難を極めることだろう。逆に言えば、知っていることを知っているもの同士が会話する時には言葉の機能よりも、名前だけがあればいいという気もするが。ほらっあのあれとしか言えない。頭の中には明らかにそのそれがある。勢い、右は左ではないそれで、左は右ではないあれみたいな。現場系の人、建築土木系の人は、2度同じことを言うことが少ない気がする。えっと、聞き返すのは、サイズの違いなどの微妙な問題ではないのか。
 
焚き口の補修を、miyaguchiさんにお願いする。長女の同級生のむすめさんがいる。できる人です。


すぐに修理にとりかかる。

仕事も速いが、段取りと検証も速い。


1時間ほどで補修完了。


話は変わるが、初出のファイルの資料を見ているとインターネットからダウンロードしたもの、それにエクセルによるグラフなどの資料が最初は見やすい。が、しかし、今日のような現場確認をした後は、あのわかりにくかった手書きの資料が輝き始めるのだ。後世にわかりやすい記録を残そうとするこころが感じられるから。ただ、そのためには、相当な表現力が必要でもあるのであった。それと、文学と記録との関係もきわどく迫ってくるのである。(そんなことないか)
 しかし、どのような参考書にも書かれていないことが問題なのである。すなわち、いま、ここ、目の前にある、この炭窯のことなのである。








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