2012年10月28日

久しぶりの妄想大会。


wajima市PTA研究大会にて、企画委員会委員として会場準備より参加する。一年生で、初めてのPTA活動という言い訳が通用しない局面が多い。他のみなさん、ほとんどが複数年PTA活動をやっているということもあって、テキパキと会場準備をなさるのです。しかし、ここは、当然こうやるみたいな標準というものが、実はあるようでないのではと思いました。標準はワタクシが考えている理想の漸近線みたいなもので、絶対に届かないがゆえに、希望にすらなりうるものなのではないかと。
 jusaiは確かに自意識過剰です。そのことを正当化するためにだけ脳みそを使っているようなところがあるのですが、理想の漸近線は他人の中にあるから届かないという言い方もでき、もしもそうなのならば、普遍というか、普通の事実というのも存在しないということになり、すべては私の脳みその中の妄想ということになる。そのうえで、いったい、新しいことだらけの現象の中で、新しいことを感じるいかなる感覚器官も持っていないということになる。私というペルソナは。
 しかし、こうした分析を自分で無にするようだが、馴れというのは大きいのではないか。思えば馴れを拒否したかったんだな。と自己分析に終始しとりました。今日は。しかし、自意識過剰というのは、ほんとうにすごいものなんですよ。自意識が過剰でない人には、まず、想像できない世界が目の前に広がっているのです。私しか感じられない世界なんですよ。みんなは違うのかな。感じていて、尚、普通っぽく、やってるのかな。聞いてみたいのだが、ますどのような言葉で聞けばいいのかわからないし、言葉の連続というのは、どんどんずれていくんですね。話し手からも、聞き手からも。言葉が通じるということは初手から個人は成立しようがないんじゃないですかね。
しかし、同時に言葉を使えるということは、絶対的に一つのモノでないとありえないですね。絶対的な孤独ですね。
 ということは、心の存在ぬきにしては、コミュニケーションなど不可能なことですね。自己否定なのか、他者への愛なのかはわからないけれども、互いに自分の場を明け渡しあわないと本来ならば会話など成立しませんよね。
 ああ私の存在は、あなたによって気付かれているとわかった時の喜びったらありゃしません。それが悪意であってもです。wajima市の教育行政をつかさどる方々のすぐ隣にて、そのような妄想にあけくれておりました。時折みせる、眠気覚ましの姿勢変更の時など、ああ中学校の統合問題では私は徹底的に反対論者で、あなたたちにとってはとても疎ましい存在ではあるのでしょうが、私たちは、基本的に、同じようなシステムで動く人間なんだと実感できました。最終的な行動が正反対なんだということは、たいしたことではないと思いました。

おれはなんで、スーツにネクタイで、こんなところにいるんだ。wajima文化kaikan。


リハーサル。一回経験しとくとぜんぜん違う。



ほんとうはこの列の中にいないといけなかった。だあれも教えてくれない。

kawai小PTA会長のsakashita氏。やはり統合問題に疑念を抱いておられます。wajimaのネイティブなんですか?どこですか。とネイティブどうしでローカルな話題。漆芸研修所の先生でもあり、塗師屋さんでもあります。wajima市の未来のために、ふだんづかいのおわんの良さを全世界に啓蒙してくださいとお願いしました。ほしたら、観光客もどばっと来ますって。
他のフロアーでは謡いの発表会やバザーのようなものもあり、厨房を無理やり食堂に変更していただきました。おいしそうなおそばですなあ。と言ったら汁と昆布のきざんだものをサービスしてくれました。wajimaのお母さんたちは、とてもファンキーなのです。
会も終盤。



あとかたづけ。

 統合問題では、賛成、反対を問わず、行政の手続きの進め方に疑念を持っておられる方が多いということは自明なことのようです。すなわち、賛成反対を素直に考えることができないプレゼンテーションのなされ方がされているのです。ようするに本気で新しい学校をつくるという理想に燃えたペルソナが一人としていないということなのです。
 どうせ妄想なのならば、全国的な標準からほど遠い、まったく新しい学校をつくるいい機会なのだと思う。松稜、上野台、三井の3中学校を消滅させてまで、つくる新しい学校なんだから、すっげえ夢のある話なんじゃないか。と思う。どうせ金をかけるなら、じっくり時間をかけてコミュニケーションをとってからでも遅くないんじゃないか。すでに河井、鳳至、三井小学校の有志はつながりはじめてるのだし、差別問題をはじめとする、これまで言語化を避けてきた問題が、ちゃんと問題として俎上に乗る、いいチャンスだと思う。

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