2012年9月22日

9・15~9・22。

人はじじいではなく、おそらくロストジェネレーションと呼ばれる30代であろう、。高度成長の恩恵をこうむった世代と違って、過去の歴史とまっすぐにつながっているのだろう。ロストと呼ばれるが悪いことだけじゃなかったんだと思う。我が聖地、吉崎次場弥生公園にて。
わたくしの日々の経験は、どんどんカレンダーの時間にとってかわられます。記憶はわたくしの経験の中にあるはずなのですが、もはやわたくし自身を超えて、わたくしの全体の一部に組み込まれてしまった。その蓄積を見るという経験はわたくしには不可能なのでした。たくさんの時間軸をわたくしの経験は持っているのであろうか。一つの統一したわたくしを維持するためには、なんという無数の見えないカラクリを経験しているのであろうか。ある一つのカラクリは他のあらゆるカラクリとなんのかかわりも持たない。にもかかわらず、わたくしはわたくしのことをわたくしと呼んで一つのものと思っている。自分自身はなんちゅう、みえない働きを休みなしで行なっていることであろうか。

9・15  運動会。
子供たちを前にして、もしかしたら挨拶せねばならないのかと緊張していたのですが、そんなプログラムは無かった。

9・18  ふたたび、hakuiにて日雇い。末娘が連休を利用して単泊している。居間のTV前に蒲団を      敷いてクネクネしている。じじばばと血がつながっているんだ、こいつは。リラックスしやが
      って。


9・19  teion倉庫に無肥料・無農薬米入庫。住所を見ればなんと岳父宅とおんなじではないか。      寄宿している部屋から見える、まだ刈っていないあの田んぼは、もしかしたら。
hakui市農協は、あの奇跡のリンゴの木村氏を迎えて勉強会もしている。あなどれない。
     やり手の職員watari氏に尋ねると苗作りから完全に無農薬・無肥料であるとのこと。しかも
     除草にチェーンを使っているという。やるー。いつしか邑智の田んぼ地帯がそうした無肥料
     無農薬の田んぼになればかっこいいと思っていたのだが、すでに萌芽は始まっていた。
見事なわざで一日で4600袋もの米を一人で運んだyamamotoさん。
毎年、飛来する白鳥も、気多大社の尊も、折口先生も、そしてわたくしも喜ぶのである。

9・21  wajima市にて中学校統合協議会第4回のために早引けする。学校の名前をどうするか
     という議題だった。やけくそのわたくしは、wajima中学校がええというじじいどもに腹が立ち
     wajima中学校というのはもはや、過去の異物であり、ただの思い出に過ぎない。そんな名     前をつけることは先人たちを冒涜するものであると言った。怒りにまかせて、wajimaという 
     名前は全国的に有名かもしれんが、それがどうしたんですかと言ってやった。名前より中
     身です。しかも名はたいをあらわすのだから、そんなに安易にwajimaという地名におんぶ
     するのはいかんと。その後、何を言ったか思い出せない。わたくしを含めて、こんな能天気
なじじばばで、wajima市の将来は暗い。まったく暗い。根がない。hakui市にはあると思う。
teion倉庫の日は暮れて。
火事じゃないよ。田んぼだよ。

yoromi田んぼ街道。しかし、なんにもねえところだ。

こんなに風に草の生えている田んぼは、なかなかねえな。takashima田。
こんなにゆっくりは歩けません。わたくしも、もうちょっとすればおんなじです、なんて言ったが、存在する次元が違うって。

蕪村句集講義(全3冊)を注文する。ついでに、大乗起信論も。ちょっと金が入るとはすわになるのだ。一万円なり。
明日はこえくみせんといかんなあ。


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